二百三十二話 おにぎり
文字数 2,179文字
こんこん。
「どうぞ」
『失礼しまァす!』
千代が事務室に入ってきた。
「どうしたの?」
「お昼、まだですよね? 『おにぎり』、食べませんか?」
「うーん?」
俺は笑いながら唸り、首を傾げる。千代の発言の意図を問うためだ。千代もそれをわかって、ニッと笑う。
「愛坂さん、やっとやる気を出したみたいです。ぴょんぴょん日和の一番最初のシーン、主人公が娘達のためにおにぎりを握るところから始まるんですよォ。で、愛坂さんが大量に拵えるであろうおにぎりを、美代さん達に食べていただきたくてですねェ」
「言い方は悪いけど俺達に『消費』しろってことだろう? 食べものを『無駄』にしないためにね」
「モチモチのロンロンで、承諾していただけないことは存じております」
「で?」
「都さんが唯一嫌いな食べもの、ご存じですよね?」
「おにぎり」
千代は二回頷く。
「実は私、貧乏時代の影響でおにぎりが好きではありません。コンビニのおにぎりは嫌いです。ンでェ、桜子さんも握ったことが無い、と。都さん曰く、できない人が一人で頑張るより、できない四人が集まって頑張った方が、愛坂さんの気持ちも楽なのではないか、と。敵対心でカチカチの愛坂さんとの交流の目的も含めて、おにぎりを握ろう、ということに。あっ、安心してください、ラップ越しに握りますので!」
「要するに都のおにぎりに釣られて、他の三人が握ったおにぎりを食べてくれってことね」
「淳蔵さんと直治さんは承諾してくださいました。どうなさいます?」
俺は両手をあげて肩を竦め、椅子から立ち上がった。二人で事務室を出て、キッチンに向かう。米の炊けるいいにおいが充満していた。
「おっ、来たな食いしん坊!」
都が腕を組んで笑う。
「じゃ、握りましょうかァ!」
千代が笑い、『初心者のためのおにぎりの握り方』という本を取り出した。炊けた米の粗熱を取り、ラップを敷いて、軽く塩を振る。米を乗せてラップで包むと、形を三角形に整える。
「できました」
一番乗りしたのは桜子だった。お手本のような、綺麗な三角形のおにぎりだ。
「ん、こんな感じですかねェ?」
千代も握り終わる。
「あ、あ、こ、こうですか?」
「上の手の平で三角形の角を作るように、下の手は包むように柔らかく・・・」
「は、はいっ!」
愛坂は真剣に握っている。
「で、でき、ました!」
殆ど丸だが、一応、握ることはできた。
「あのぅ・・・」
都が小さな声で言う。
「どんどん小さくなります・・・」
ぎゅむ、ぎゅむ、と音が鳴りそうな程、都は力を込めて握っていた。
「都さん、小動物を触るように優しく、です。次、頑張りましょう」
「はい・・・」
淳蔵が愛坂に歩み寄り、手を差し出す。愛坂は驚きながら、淳蔵の手におにぎりを渡した。淳蔵はラップを解き、おにぎりを齧る。
「んー、悪くないんじゃねえの?」
愛坂は俯き、瞳を潤ませながら頬を紅く染めた。絶対惚れたな。都の一番近くに居た直治が都のおにぎりを受け取り、齧った。
「かッてえ・・・」
「ご、ごめんなさい」
「塩も薄い」
「改善します」
俺は千代のおにぎりを貰い、齧る。
「美味しいよ」
「ありがとうございまァす!」
直治は二個目のおにぎり、桜子のものを齧った。
「ん、美味い」
「ありがとうございます」
それから、都と愛坂によるおにぎり地獄が始まった。二回目は千代と桜子も握り、淳蔵と俺が食べたが、美味しいおにぎりだったので三回目からは握らず指導役に回った。愛坂は塩加減は良いもののなかなか三角形に握ることができない。それでも回数を重ねるうち、コロコロとした形の可愛らしい三角形になっていった。千代と桜子もおにぎりを昼食代わりに食べ始める。問題は都だった。
二回目。淳蔵が食べる。
「うーん、しょっぱいし歯が折れそう・・・」
「ご、ごめんなさい」
三回目、俺が食べる。
「塩加減は良いよ。でも齧っても齧ってもお米が出てくるね・・・」
「ああっ、ごめんなさい・・・」
四回目、千代が食べる。
「凝縮されております」
「申し訳ないです・・・」
五回目、桜子が食べる。
「硬い、ですね・・・」
「ご、ごめんなさい・・・」
六回目、愛坂が食べる。
「お米って、こんなに硬くなるんですね・・・」
「あああ、ごめんなさい・・・」
「都さん、お料理は苦手なんですか・・・?」
愛坂が不思議そうに首を傾げる。都はがっくりと項垂れた。
「苦手なの・・・。それに私、おにぎりがこの世で一番嫌いな食べものなの・・・」
「ど、どうして?」
「昔、お母さんがよく握ってくれたんだけど、それが不味くて不味くて」
愛坂が目を見開き、ぱちぱちと瞬く。
「塩がキツかったり薄かったり、握りが強過ぎたり弱過ぎたり。特に握りの弱いものは、お米がぽろぽろ零れてしまって。食事作法は厳しく躾けられたから、零れていくお米をどう綺麗に食べようかと考えていると、食べながら気が気じゃなくてね・・・」
「はあー・・・。だから強く握っちゃうんですかね?」
「多分、そう・・・」
「変な人」
愛坂は、くすっと笑った。
「『魔女』なんて呼ばれているから、どんな怖い人かと思ったら、案外普通の人ですね」
「失礼ねえ。私のことを嫌いな人が、勝手に魔女呼ばわりしているだけよ」
「普通の人が靴なんか舐めさせるもんですか。椎名社長に酷いことしたこと、まだ許してませんからね」
「演技で見返しましょうね、女優さん?」
都がにっこり笑うと、愛坂も笑って頷き、受けて立った。
「どうぞ」
『失礼しまァす!』
千代が事務室に入ってきた。
「どうしたの?」
「お昼、まだですよね? 『おにぎり』、食べませんか?」
「うーん?」
俺は笑いながら唸り、首を傾げる。千代の発言の意図を問うためだ。千代もそれをわかって、ニッと笑う。
「愛坂さん、やっとやる気を出したみたいです。ぴょんぴょん日和の一番最初のシーン、主人公が娘達のためにおにぎりを握るところから始まるんですよォ。で、愛坂さんが大量に拵えるであろうおにぎりを、美代さん達に食べていただきたくてですねェ」
「言い方は悪いけど俺達に『消費』しろってことだろう? 食べものを『無駄』にしないためにね」
「モチモチのロンロンで、承諾していただけないことは存じております」
「で?」
「都さんが唯一嫌いな食べもの、ご存じですよね?」
「おにぎり」
千代は二回頷く。
「実は私、貧乏時代の影響でおにぎりが好きではありません。コンビニのおにぎりは嫌いです。ンでェ、桜子さんも握ったことが無い、と。都さん曰く、できない人が一人で頑張るより、できない四人が集まって頑張った方が、愛坂さんの気持ちも楽なのではないか、と。敵対心でカチカチの愛坂さんとの交流の目的も含めて、おにぎりを握ろう、ということに。あっ、安心してください、ラップ越しに握りますので!」
「要するに都のおにぎりに釣られて、他の三人が握ったおにぎりを食べてくれってことね」
「淳蔵さんと直治さんは承諾してくださいました。どうなさいます?」
俺は両手をあげて肩を竦め、椅子から立ち上がった。二人で事務室を出て、キッチンに向かう。米の炊けるいいにおいが充満していた。
「おっ、来たな食いしん坊!」
都が腕を組んで笑う。
「じゃ、握りましょうかァ!」
千代が笑い、『初心者のためのおにぎりの握り方』という本を取り出した。炊けた米の粗熱を取り、ラップを敷いて、軽く塩を振る。米を乗せてラップで包むと、形を三角形に整える。
「できました」
一番乗りしたのは桜子だった。お手本のような、綺麗な三角形のおにぎりだ。
「ん、こんな感じですかねェ?」
千代も握り終わる。
「あ、あ、こ、こうですか?」
「上の手の平で三角形の角を作るように、下の手は包むように柔らかく・・・」
「は、はいっ!」
愛坂は真剣に握っている。
「で、でき、ました!」
殆ど丸だが、一応、握ることはできた。
「あのぅ・・・」
都が小さな声で言う。
「どんどん小さくなります・・・」
ぎゅむ、ぎゅむ、と音が鳴りそうな程、都は力を込めて握っていた。
「都さん、小動物を触るように優しく、です。次、頑張りましょう」
「はい・・・」
淳蔵が愛坂に歩み寄り、手を差し出す。愛坂は驚きながら、淳蔵の手におにぎりを渡した。淳蔵はラップを解き、おにぎりを齧る。
「んー、悪くないんじゃねえの?」
愛坂は俯き、瞳を潤ませながら頬を紅く染めた。絶対惚れたな。都の一番近くに居た直治が都のおにぎりを受け取り、齧った。
「かッてえ・・・」
「ご、ごめんなさい」
「塩も薄い」
「改善します」
俺は千代のおにぎりを貰い、齧る。
「美味しいよ」
「ありがとうございまァす!」
直治は二個目のおにぎり、桜子のものを齧った。
「ん、美味い」
「ありがとうございます」
それから、都と愛坂によるおにぎり地獄が始まった。二回目は千代と桜子も握り、淳蔵と俺が食べたが、美味しいおにぎりだったので三回目からは握らず指導役に回った。愛坂は塩加減は良いもののなかなか三角形に握ることができない。それでも回数を重ねるうち、コロコロとした形の可愛らしい三角形になっていった。千代と桜子もおにぎりを昼食代わりに食べ始める。問題は都だった。
二回目。淳蔵が食べる。
「うーん、しょっぱいし歯が折れそう・・・」
「ご、ごめんなさい」
三回目、俺が食べる。
「塩加減は良いよ。でも齧っても齧ってもお米が出てくるね・・・」
「ああっ、ごめんなさい・・・」
四回目、千代が食べる。
「凝縮されております」
「申し訳ないです・・・」
五回目、桜子が食べる。
「硬い、ですね・・・」
「ご、ごめんなさい・・・」
六回目、愛坂が食べる。
「お米って、こんなに硬くなるんですね・・・」
「あああ、ごめんなさい・・・」
「都さん、お料理は苦手なんですか・・・?」
愛坂が不思議そうに首を傾げる。都はがっくりと項垂れた。
「苦手なの・・・。それに私、おにぎりがこの世で一番嫌いな食べものなの・・・」
「ど、どうして?」
「昔、お母さんがよく握ってくれたんだけど、それが不味くて不味くて」
愛坂が目を見開き、ぱちぱちと瞬く。
「塩がキツかったり薄かったり、握りが強過ぎたり弱過ぎたり。特に握りの弱いものは、お米がぽろぽろ零れてしまって。食事作法は厳しく躾けられたから、零れていくお米をどう綺麗に食べようかと考えていると、食べながら気が気じゃなくてね・・・」
「はあー・・・。だから強く握っちゃうんですかね?」
「多分、そう・・・」
「変な人」
愛坂は、くすっと笑った。
「『魔女』なんて呼ばれているから、どんな怖い人かと思ったら、案外普通の人ですね」
「失礼ねえ。私のことを嫌いな人が、勝手に魔女呼ばわりしているだけよ」
「普通の人が靴なんか舐めさせるもんですか。椎名社長に酷いことしたこと、まだ許してませんからね」
「演技で見返しましょうね、女優さん?」
都がにっこり笑うと、愛坂も笑って頷き、受けて立った。