三百二十八話 蛆虫
文字数 1,632文字
浜田鈴、二十六歳。俺の姪に当たる人物。
「淳蔵様、白湯をお持ちしました」
俺のことが好きらしい。
「ありがとよ」
「失礼します」
談話室、いつもの時間。白湯を飲みながら雑誌を読んでいると、美代が来た。白湯を見て気まずそうな顔をしている。俺が雑談を持ち掛けると『いつも通り』を装って返答してくる。暫くして直治も来た。
「おー、直治、新しいメイドどうよ?」
直治も気まずそうな顔をする。
「ハハ、お前らなんで緊張してんの? いつもなら揶揄うだろ、メイドが俺に惚れてたらよ」
「淳蔵、お前、今回のことどう思ってるんだ?」
「キレてるに決まってんだろ。馬鹿犬にも、都にも、お前らにもな」
俺は今朝見た夢の内容を思い出す。
「親父がよく言ってた台詞だ。『過去は蛆虫のように湧いてくる』。俺にとってアレは蛆虫だ。俺の問題なのに、まず直治に相談してるのがおかしいだろ」
「淳蔵、都を、」
「責めるなってか?」
直治は唇を噛み締めた。
「馬鹿馬鹿しい」
俺は雑誌をラックに入れて、都の部屋に向かった。
「わっ! び、吃驚した。淳蔵、ノックを、」
「うるせえ」
都は視線を泳がせて、怯える。俺は仕事机を回り込み、椅子に座っている都の両肩に両手を乗せ、顔を覗き込む。
「なんで俺のこと抱かねえの?」
「えっ・・・」
「今は気分じゃないからいいけど、あいつが来てから三週間、一回もねえじゃねえか。週に一度はしてたのによ」
「あ、あの・・・」
「なんだよ」
「淳蔵が、嫌がるかと思って、」
「お前いい加減にしろよ」
都は身を竦ませた。都のことを『お前』と呼ぶのは禁止されている行為の一つだ。
「おかしいだろ、なあ、俺の問題だと認識しているんだよな? なのに一番最初に相談に行ったのが、直治か」
「あつぞ、」
「黙れ。またアレか、『こころを掻き乱して人間らしい感情を忘れさせないため』か。大成功だな。滅茶苦茶怒ってるよ。よかったな」
俺は悪い男だ。許しを請うように見上げる都を見て、可愛いと思ってしまった。虐める目的で来たわけじゃないのに。
「都、許してほしいか?」
「・・・はい」
「なら、条件を。いいか?」
都が頷く。俺の提案した条件を聞き、渋い顔をしながらも、都は再び頷いた。
「・・・よし、許してやる。おい、どうせ聞いてるんだろ馬鹿犬。お前も許してやる。仲直りのしるしに散歩に行くぞ」
ガチャ、と寝室のドアが開き、ハーネスとリードを咥えたジャスミンがやってきた。尻尾は振らず、都と同じく許しを請うような上目遣いで見てきた。ちょっとだけ可愛い。
「いってらっしゃい」
都が小さな声で言う。
「いってきます」
都の方は見ず、俺は部屋を出て玄関に向かった。千代と鈴が掃除道具を持ってなにやら話している。
「よう」
「おや! 淳蔵さァん! おジャスのお散歩ですかァ?」
「おう。どっちか着いて来い」
鈴が嬉しそうな顔をする。
「直治には俺があとで言っとくからよ」
「では、鈴さん、お散歩から帰ってきたら事務室に来てくださいねェ!」
「はい! わかりました!」
俺と鈴で館を出て、門扉を出て、ゆっくりと森を歩く。鈴と二人で散歩に行くのはこれが初めてだ。
「あの、淳蔵様」
「なんだ?」
「この館で見られる夢って、その、どういう仕組みなんでしょうか?」
「仕組み、って言われてもなあ。夢ってのは願望とか過去の追体験とからしいしな」
「そう、ですか。淳蔵様は夢占いなどは信じますか?」
「俺はそういうのは一切信じない」
「ええっ」
「『夢』なんてものを売り物にしてる場所なんだけどな。俺はそういう胡散臭いことは一切信じねえのよ」
鈴を見る。
「現実との区別がつかなくなったら、終わりだぜ」
「そういうもの、なんですか・・・」
「そう。そういうもの。夢なんていう一時の酩酊に依存したら終わりだ。こんなこと、お客様の前では絶対に言わないけどな。お前は特別」
「えっ・・・」
なァに喜んでんだか。絶対に殺してやる。
『淳蔵』
親父がニタリと笑う。
『過去は蛆虫だ。過去は蛆虫のように湧いてくる。忘れるなよ、お前は俺の息子だってことをな』
「淳蔵様、白湯をお持ちしました」
俺のことが好きらしい。
「ありがとよ」
「失礼します」
談話室、いつもの時間。白湯を飲みながら雑誌を読んでいると、美代が来た。白湯を見て気まずそうな顔をしている。俺が雑談を持ち掛けると『いつも通り』を装って返答してくる。暫くして直治も来た。
「おー、直治、新しいメイドどうよ?」
直治も気まずそうな顔をする。
「ハハ、お前らなんで緊張してんの? いつもなら揶揄うだろ、メイドが俺に惚れてたらよ」
「淳蔵、お前、今回のことどう思ってるんだ?」
「キレてるに決まってんだろ。馬鹿犬にも、都にも、お前らにもな」
俺は今朝見た夢の内容を思い出す。
「親父がよく言ってた台詞だ。『過去は蛆虫のように湧いてくる』。俺にとってアレは蛆虫だ。俺の問題なのに、まず直治に相談してるのがおかしいだろ」
「淳蔵、都を、」
「責めるなってか?」
直治は唇を噛み締めた。
「馬鹿馬鹿しい」
俺は雑誌をラックに入れて、都の部屋に向かった。
「わっ! び、吃驚した。淳蔵、ノックを、」
「うるせえ」
都は視線を泳がせて、怯える。俺は仕事机を回り込み、椅子に座っている都の両肩に両手を乗せ、顔を覗き込む。
「なんで俺のこと抱かねえの?」
「えっ・・・」
「今は気分じゃないからいいけど、あいつが来てから三週間、一回もねえじゃねえか。週に一度はしてたのによ」
「あ、あの・・・」
「なんだよ」
「淳蔵が、嫌がるかと思って、」
「お前いい加減にしろよ」
都は身を竦ませた。都のことを『お前』と呼ぶのは禁止されている行為の一つだ。
「おかしいだろ、なあ、俺の問題だと認識しているんだよな? なのに一番最初に相談に行ったのが、直治か」
「あつぞ、」
「黙れ。またアレか、『こころを掻き乱して人間らしい感情を忘れさせないため』か。大成功だな。滅茶苦茶怒ってるよ。よかったな」
俺は悪い男だ。許しを請うように見上げる都を見て、可愛いと思ってしまった。虐める目的で来たわけじゃないのに。
「都、許してほしいか?」
「・・・はい」
「なら、条件を。いいか?」
都が頷く。俺の提案した条件を聞き、渋い顔をしながらも、都は再び頷いた。
「・・・よし、許してやる。おい、どうせ聞いてるんだろ馬鹿犬。お前も許してやる。仲直りのしるしに散歩に行くぞ」
ガチャ、と寝室のドアが開き、ハーネスとリードを咥えたジャスミンがやってきた。尻尾は振らず、都と同じく許しを請うような上目遣いで見てきた。ちょっとだけ可愛い。
「いってらっしゃい」
都が小さな声で言う。
「いってきます」
都の方は見ず、俺は部屋を出て玄関に向かった。千代と鈴が掃除道具を持ってなにやら話している。
「よう」
「おや! 淳蔵さァん! おジャスのお散歩ですかァ?」
「おう。どっちか着いて来い」
鈴が嬉しそうな顔をする。
「直治には俺があとで言っとくからよ」
「では、鈴さん、お散歩から帰ってきたら事務室に来てくださいねェ!」
「はい! わかりました!」
俺と鈴で館を出て、門扉を出て、ゆっくりと森を歩く。鈴と二人で散歩に行くのはこれが初めてだ。
「あの、淳蔵様」
「なんだ?」
「この館で見られる夢って、その、どういう仕組みなんでしょうか?」
「仕組み、って言われてもなあ。夢ってのは願望とか過去の追体験とからしいしな」
「そう、ですか。淳蔵様は夢占いなどは信じますか?」
「俺はそういうのは一切信じない」
「ええっ」
「『夢』なんてものを売り物にしてる場所なんだけどな。俺はそういう胡散臭いことは一切信じねえのよ」
鈴を見る。
「現実との区別がつかなくなったら、終わりだぜ」
「そういうもの、なんですか・・・」
「そう。そういうもの。夢なんていう一時の酩酊に依存したら終わりだ。こんなこと、お客様の前では絶対に言わないけどな。お前は特別」
「えっ・・・」
なァに喜んでんだか。絶対に殺してやる。
『淳蔵』
親父がニタリと笑う。
『過去は蛆虫だ。過去は蛆虫のように湧いてくる。忘れるなよ、お前は俺の息子だってことをな』