百一話 噴水

文字数 2,336文字

ゴールデンウィーク。

館の周辺にはつるつるしたタイルが敷き詰められ、機能性もある洒落たベンチが置かれていた。なによりも変わったのは噴水だ。分別のつかないガキは登れないような高さ、且つ、腰掛けるには丁度良い高さ。ごちゃごちゃした装飾は無く、中央から静かに水を噴き上げ、心地良い水音を奏でている。噴水の中の深さはジャスミンの好みの深さにしているんだというから、愛犬冥利に尽きるだろう。


「おおー! すっごい綺麗! おっしゃれー!」


休みで帰ってきた雅が噴水の前ではしゃいでいる。傍には都と千代、ジャスミンも居る。


「都さん、外観の工事、凄いですね! 特に噴水がジャスミン仕様だなんて!」

「これでジャスミンのお風呂欲を存分に満たせるんですから、安いものよ」

「ちなみにお幾ら万円したんですか?」

「秘密!」

「ええー」


ジャスミンが都に向かって無限オテオカワリ地獄を繰り広げている。


「都様ァ、おジャスがもう入りたくって入りたくってウズウズしてますよぉ」

「ジャスミン、言っておくけど、お水に浸かっていいのは温かい時期だけ。それも昼間だけよ。濡れた身体はベンチの上で日光浴して乾かすこと。わかった?」


わん!


「よし」


都が指差すと、ジャスミンは噴水の中に飛び込んで派手な水飛沫を上げた。都達にかかって髪や服を濡らしている。都達はきゃっきゃっとはしゃいで、ジャスミンに手で掬った水をかけてやっていた。


「・・・噴水の維持費って、幾らするんだろうなァ」


少し離れたところにあるベンチに座っている俺が言う。


「一千万ちょっとだってさ」

「ええ・・・」


隣に座っている美代が答えると、その隣で立っていた直治が呆れた。


「時々、大胆な金の使い方するよなァ。流石、社長というか、お嬢様というか・・・」

「直治が筋トレにハマりだした頃も、サクッと館を改築してトレーニングルーム作ってたしな」

「・・・言っとくが、あれは俺が頼んだんじゃなくて、都が強引にだな」

「わかってるっつの。それより美代、怪しいヤツ居たか?」

「いや、居なかったよ。あまり敷地内に人を入れない方がいいって言ったのに、強行突破するんだから、気が気じゃないよ、全く・・・」


工事中は俺の鴉と美代の鼠で怪しいヤツが居ないか見張っていた。


「お前らは使い勝手が良くていいな。蛇なんてどうすりゃいいんだか・・・」

「んー、ずっと疑問だったんだけど、直治の蛇って毒あるのかな?」

「・・・ジャスミンの健康診断の時に医者に見せてみるか?」


美代と直治の会話で、そういえば、と思い出す。


「なあ、ずっと疑問に思ってたんだがよ。ジャスミンって毎月健康診断に行ってるけど、悪魔に犬の健康診断して、意味あるのかね?」


俺が言うと、美代が腕を組んで首を傾げる。


「俺はあいつ嫌いだから関知しないんだけど、どうなの?」


疑問を呈したのは俺だが、都に頼まれて医者に診せに行っているのも俺だ。診察の内容を思い出し、簡潔にまとめる。


「都が丁寧に手入れしてるから、犬としては超のつく健康優良児。あいつ、都と同じ日が誕生日ってことになってるから、八月になると毎年医者が祝ってくれるんだけどよ、毎年『二歳のお誕生日おめでとう』って言われるぞ」

「そのあとずーっと二歳扱いで一周するから、永遠の二歳なわけか」

「・・・そういや、俺達は幾つになったんだ?」


直治が問う。


「千代が言ってただろ。俺が二十六、美代が三十、直治が二十八だって」


俺が言うと、美代が笑い、顔と手を振った。


「淳蔵、四十四歳。美代、五十歳。直治、四十八歳だ」

『えっ』


俺と直治の声が重なった。


「都のところに来てから、もう三十年以上経つんだよ」

「はぁー・・・」

「悪魔の寿命って幾つなんだ?」

「無いよ、そんなもの」


美代の声が、水浴びではしゃぐ都達の声の間に静かに響いた。


「都がジャスミンを愛し続けて、ジャスミンが都を愛し続ける限り、俺達には寿命なんてものは訪れないんだよ。ジャスミンの作った世界は、地球とは違う異世界だ。もし地球が滅ぶなんてことがあっても、俺達はここで平和に暮らし続けるんだよ。ここに有るのは、」


美代は前髪を搔き上げ、


「『永遠』だね」


と言った。


「ハハッ、そうきたか。悪くねえなァ」


都の傍に居ると、そんな感情を覚える時がある。


「そうだな、悪くない」


直治が穏やかな微笑みを浮かべる。俺達の間に沈黙が横たわった。都達の会話に耳を傾ける。


「そうそう、千代さん、この辺に畑を作ろうと思うんだけど・・・」

「おおッ!」

「麓の町の農家さんに知り合いが居るのよ。今度、道具とか持ってきてもらって、色々教えてもらいましょう」

「はいッ!」

「ちなみに、なにを育てる予定なの?」

「南瓜です!」

「それは聞いたってば」

「んー、ほうれん草、苺、カブ、パプリカあたりですかねぇ」

「どういう基準で選んでるの?」

「私の好物でーす!」

「あらあら」


ジャスミンは噴水の中で座って、気持ち良さそうに目を細めていた。あの馬鹿犬、散歩以外の世話は殆ど都にやってもらって、毎晩都と同じベッドで寝ているんだから、もっともっと都の幸せだけを考えてほしいものだ。時折都を刺激して、怒らせたり悲しませたりする。腹立たしい。

俺の視線に気付いたのか、ジャスミンが噴水から飛び出て、俺達の前にやってきた。


「おい、やめろよ、おい」

「絶対やるなよ、おい、絶対やるな」


俺と美代はジャスミンを睨みつけて言う。ブルブルと身体を高速回転させて、俺達に水飛沫を浴びせるつもりだと思ったのだ。ジャスミンはタイルの上で寝転がってごろんと腹を見せると、尻尾をぶんぶん振って友好の意を示した。そして再び都の元へと戻っていった。


「ジャスミン、今度、水に浮くおもちゃ買ってあげましょうか?」


都の言葉に、ジャスミンは千切れんばかりに尻尾を振った。
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