二百二十八話 飽きた

文字数 2,721文字

ろく、なな、はち、


「あっ、淳蔵様」

「んっ?」


俺は声をかけてきた桜子を手の平で制し、続きを頭の中で数えながら階段を降りた。


「悪い悪い。階段を昇り降りしてる時は喋れねえんだ」

「何故ですか?」

「頭の中で段数を数えてるんだよ。無駄に背が高いと歩幅がデカくなるから足がもつれんの」

「おお、成程・・・」

「都に差し入れか? 残念だけど昼寝してるぜ」

「あら・・・」


桜子が持っている盆には、色とりどりのフルーツと生クリームがたっぷりと飾られたパンケーキが盛られた皿と、冷たい紅茶が入ったグラスが乗っている。


「あの、よろしければ、淳蔵様がお召し上がりになりますか?」

「えっ」

「美代様も直治様も、あまり甘いものはお好きでないようですから。淳蔵様さえよければ、どうぞお召し上がりください」

「・・・じゃ、貰おうかね。桜子」

「はい」

「ちょっと俺の部屋寄ってけ」


俺は自室に入り、設えてある椅子に座る。テーブルを挟んだ対面の椅子を手の平で差して桜子に勧めると、桜子は器用に片手でドアを閉め、テーブルに盆を置いて、俺の対面に座った。


「いただきます」

「どうぞ」


ちょっと緊張しているらしい。それもそうか。二人っきりで話すのは、イリスの研究所を襲撃しに行った時が初めてで、それ以降は無かった。


「美味いよ」

「ありがとうございます」


にこ、と笑う。随分とまあ、表情豊かになったものだ。都から見ればまだ『人間らしさ』が足りないようだが、愛坂のせいでつらい経験をするであろう桜子のことを考えると、同族意識からくる、可哀想に、という気持ちをおさえるのが難しかった。


「淳蔵様」

「ん?」

「都様に、コンビニの商品やスーパーのスナック菓子、駄菓子などを差し入れしていますよね?」

「おう」

「ずっと不思議に思っていたのです。正真正銘のお嬢様であり、社長である都様が、何故、所謂『庶民の味』を好んで召し上がっているのかと。特に駄菓子は、見た目も子供向けのものが多いです。そう考えると難しくて、わたくしも淳蔵様のように差し入れていいものかと迷っておりまして・・・」

「あー・・・、桜子、秘密の話だぞ?」


桜子は頷き、俺の話を促す。


「桜子の言う通り、都はお嬢様だし、今は社長。で、都が甘いものが好きっていうのは結構有名な話だから、みーんな都のご機嫌を取ろうと、やれどこどこの高級品だ、やれどこどこの季節限定ものだ、職人が一つずつ手作りしたものだ、都様のためにお作りした特注品だ、っつって、年中ひっきりなしに甘いものが送られてくるんだよ」


再び頷く。


「その結果、一言で言うと、都は『飽きた』んだ」

「飽きた・・・」

「そう。来客時にお茶菓子として出せそうなものはそのまま再利用したり、キッチンのデカい籠に片っ端から突っ込んで、従業員なら食べ放題ってことにしてメイド達に消費してもらおうとしたり、『雅』が居た頃は三時のおやつにしたり。息子の俺達にも『美味しいと感じる範囲内で好きなだけ食べなさい』って言ってなァ、都一人では消費しきれんのだよ」


若い時分は、目が飛び出る程の高級品を好きなだけ食べていいと言われて、妙に気分が高揚したものだ。


「俺も甘いモンが好きだからたまに食べるんだけど、食べても食べても減らないのを見ると、見るだけで胃が重くなる日もあってな。似たようなものが続くと、俺も飽きるんだよなァ」


桜子は興味深そうに聞いている。


「で、ちょっと話が飛ぶけど、俺が若い頃、車の免許を取ったあと、練習がてら麓の町まで降りたり、町の中を走り回ったり、ちょっと遠くまで行ったりしてたんだ」


忘れもしない、あの日。


「二、三時間車を走らせたあと、休憩しようと思って、偶然見つけた商店街の駐車場に車を停めた。商店街を歩いてノスタルジックな気分に浸っていたら、妙に清潔感のある婆さんがやってる弁当屋を見つけてな。プラスチックの容器に輪ゴムで蓋をしてある、素朴な手作りの弁当が、何故か魅力的に見えた。今思えば、貧乏な時は弁当に憧れがあったし、金持ちの都に拾われてからは逆に無縁になっていたから、中途半端に『欲しい』って気持ちが燻ってたんだよなァ」


薄っすらと、弁当の内容を思い出し始める。


「都が一度だけ『なにか面白いものがあったらお土産よろしくね』って言ったのを思い出して、弁当を土産にするのはどうか、というか、怒られるかもしれねえと思ったんだけど、もしかしたらこういうの食べたことないんじゃないか? と思って、俺と都の分の弁当と、小さな冷蔵庫で冷やしてあった安いお茶のペットボトルを買って、婆さんがサービスでくれた個包装の小さなバームクーヘンも貰って、俺は館に帰った」


桜子がぱちぱちと瞬く。


「『こんなもの一条家に相応しくありません』と言われるかと、恐る恐る都に渡してみたら、目をキラッキラッに輝かせて、早く食べたい一緒に食べたいと大はしゃぎだよ」

「まあ・・・」

「ぺなぺなのプラスチック容器で飯食ったことないから苦戦してたぜ。俺が食べ方を教えてやると、見様見真似で食べてたよ。ペットボトルのお茶もコップに注がず、唇をつけてゆっくり飲むよう教えてやった。個包装のバームクーヘンも『小さくて可愛い』とずっとニコニコしながら頬張るんだ」


桜子が微笑みながら頷く。


「俺を傷付けないように演技しているのかと、ちょっと不安になってな。『都の口には合わないんじゃないか?』と聞いた。そしたら・・・」


『食いしん坊に貴賤なし』


「・・・だってさ」

「フフッ、なんて可愛らしい」

「あの弁当屋、跡継ぎが居ないらしくて婆さんの代で潰れちまったんだけど、それまで何度か通ってな。潰れた時は『もう二度とあの味を食べられないのか』と都が酷く落ち込んだもんだよ」

「お弁当をきっかけに、他のものも?」

「そう。運転に慣れるように週一回は出掛けて、その度にいろいろとな。慣れて出掛けないようになったら、今度は都から『おやつを買ってきてほしい』ってせがまれるようになった。それで今に至るってわけ」

「とても素敵なお話です。ありがとうございます」

「いえいえ。桜子、車の運転できるんだろ?」

「はい」

「麓の町の駄菓子屋に売ってる、小石みたいな見た目のチョコレート、食べたがってたぞ」


桜子は目を見開いた。


「・・・よろしいのですか?」

「お前もたまには息抜きしないとな。車の運転が嫌じゃなければの話だけど」


桜子は満面の笑みになった。愛坂の話を聞いて息抜きさせてやろうと思って部屋に招いたが、話が都の方に逸れてしまった。でも、嫌いな人のことを喋るより、好きな人のことを喋る方が幸せだろうと考え直した。


「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

「またよろしくお願いします」


桜子は笑い、『はい』と言って頷いた。
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