三百三十一話 さよなら

文字数 1,770文字

鈴の『仕込み』が始まって二ヵ月。

今日は『絞める日』だ。

鈴は吊り上げられていた。髪は剃られ、身体は洗浄されている。口にはガムテープ。頭の下には、大きなボウル。鈴は涙を流す。その涙がボウルに滴り落ちる。鈴は顔を横に振った。俺はナイフを持って、鈴を見つめていた。


「悪いな、直治」

「構わねえよ」

「なあ、俺とこいつ、似てると思う?」

「いや全然・・・」

「伯父と姪って、そんなもんかね?」


鈴が意味を理解できたのかはわからないが、くぐもった命乞いが激しくなる。


「美代って確か、前は『天野美代』だったんだよな。お前は?」

「『石田直治』だ」

「俺は『沢城淳蔵』ってんだ。今日で、さよなら」


俺は鈴の首にナイフを深く突き立てた。血が波のように勢いを変化させて俺を濡らす。ボウルにも滴り、直治が鈴のあちこちを揉んで血を絞り出す。


「よッと」


ゴギャ、と音がして、鈴の首がとれた。直治はそれを台に乗せる。虚ろな目をした、俺の忌まわしい過去。それから直治は、返り血に塗れながら鈴を切ったり剥がしたり洗ったり関節を外したりして、小分けにしていった。


「下種の血は不味いな」


唇に付いた血を舐めて、言う。


「顔は男の方の血が強いのかねえ。俺にも似てないし俺の母親にも似てない。ああ、そうだ。直治、お前よく都とテレビ見てるだろ。俺の母親が死んだニュース見たか?」

「確か、舞台女優、だったよな。八十八歳の女優が心臓麻痺で死んだってニュースなら見たけど、まさか・・・」

「そうそう、それ」

「お・・・、おいおいおい、嘘だろ? 国民的な女優じゃねえか・・・」

「俺が居なくなってから大成したみてえだな。都が約束を破ることなんてしないが、ちゃあんと死んでくれて安心したよ」


顔についた血を手の平で拭う。


「妹には悪いことしたよ。こいつと違って真っ当に生きてたみたいだからな。ま、あの女の子供に生まれたのが運の尽きか。信じられるか直治。俺の妹、『淳子』って言うんだぜ。俺と同じ字なんだ。俺のかわりなのか、名前になにか拘りがあったのかは知らねえけど、馬鹿は学習できないから同じところをぐるぐるぐるぐる回るしかないってことだな」


俺の身体に充実感はなく、ただただ疲れのみが広がった。


「そういや直治、三ヵ月後の十月の『アレ』、そっちは進んでるのか?」


直治は開口し、顔を顰め、ゆっくりと項垂れた。


「・・・俺、カレー嫌いなのに」


小さな子供が拗ねたように言うので、俺は少し笑ってしまった。


「『綿町』の『支配者』に頼まれちゃ、都も断りづらいのかねえ」


都が所有する山の、麓の町の支配者を名乗る『ダンピールクィーン』のアンナが、『親睦会』をやりたいと言い出した。費用はアンナが持つので、綿町の町民を都の山に招いてカレーを食べようという提案だったらしい。町民はバスで運ぶ。都はこの話を俺達にした時、途轍もなく機嫌が悪かったので、渋々承諾したのはすぐにわかった。町民達が参加できる条件は一つ。町内会に入っていること。それを聞いた、今まで会費を払わず町内会に属していなかった人間達が慌てて『町内会に入れてくれ』と騒ぎ出したというのだから、失笑を禁じ得ない。それだけ、綿町でも一条家の力が強いということだ。こちらからは滅多に干渉しないのにも関わらず、だ。


「庭は広いから、バスだの当日の会場としての広さだのは問題ない。問題は当日の料理だよ。都が『アレルギーのある人も来るかもしれないから配慮した物も作りなさい』と言ってだな。俺と美代と桜子はカレー含めた料理を冗談抜きで延々と作らされることになる」

「デザートにフルーツも出すんだっけ?」

「そう。フルーツ代は都持ちなんだよ。『私が考えたことだから』って言って・・・。あのアホ女に請求すりゃいいものを・・・」

「んで、お喋り上手と評判の淳蔵ちゃんと、声のデケェ千代ちゃんで案内役ってわけですか」

「アンナと美々も手伝うって言ってたがな。どうだか。絶対に人手が足りないから、町内会の人間にも手伝ってもらうことが決まったんだが、それよりも都が『私も手伝うべきよね』と言い出して・・・」


ぎり、と音が鳴る程、直治が歯を噛み締める。


「人前に出したくねえんだよ。俺が」

「そういうわけにもいかんだろ」

「わかってる! クソッ、今から頭が痛い! はあ・・・」

「一難去ってまた一難、かァ・・・」


また、忙しくなりそうだ。
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