三百十二話 ソフトな馬鹿に

文字数 2,843文字

新しいメイドは美代がお気に入りらしい。そういうメイドは美代がハーブティーを常飲していることを知ると、キッチンで淹れて二階の美代の事務室まで運ぶようになる。今回のメイドのハーブティーは今までで一番『不味い』そうだ。美代が淹れ方について具体的に助言するものの、一向に良くならないのだとか。


「淳蔵様」


俺が談話室で雑誌を読んでいると、メイドが話しかけてきた。


「なんだ?」

「お聞きしたいことがあります。お話いいですか?」

「どうぞ」


俺は対面のソファーを手の平で差して勧め、雑誌を畳んだ。


「私、美代様にお茶を持っていってるんですけど、全然喜んでもらえないんです。どうしたらいいでしょうか?」

「美代から具体的になにか言われてないのか?」

「具体的になにかってなんですか?」


なんだこいつ。


「こういうふうにお茶を淹れてほしいとかいう、要望や助言だよ」

「要望や助言、あります」

「その通りに淹れてるか?」

「いいえ」

「ん? なんで?」

「だって美代様、お仕事でお疲れでしょうからお砂糖はたっぷり入れた方がいいと思うし、牛乳はイライラに効くから牛乳も入れた方がいいと思うんですけど?」

「その言い方だと美代は『入れてほしくない』って言ってるのか?」

「はい。でも、お砂糖は疲れを取るし、牛乳はイライラに効くから入れた方がいいと思いました」


何故、同じことを二度言うのだろう。


「美代が『やめて』って言ってるんだから、やめたらいいだろ」

「え、『やめて』とは言ってませんよ? 『入れないでほしい』って言ってますけど?」

「『入れないでほしい』んだよな? じゃあ入れるのをやめるんだ。そうしたら喜んでもらえるぞ」

「そうですか? でもお砂糖は、」

「さっきも聞いたよそれは」

「なにがですか?」

「砂糖は疲れに、牛乳はイライラに効くってヤツだよ」

「あ、はい。もう一つ聞いていいですか?」

「なんだ?」

「『お客様の前に出るな』って直治様に言われちゃったんです。私、『顔採用』ですよね? お客様の前に出た方がいいと思うんですけど?」

「は、顔採用?」

「顔採用ですよね? 顔が良いから採用したんじゃないんですか?」


いやそれはねえよ、の言葉を噛み潰すために一度唇を結んだ。


「お前、名前なんだっけ」

「阿部真冬です」

「ああ、真冬、うちでは顔採用はしていない」

「そうですか? 千代さんは可愛い系だし、桜子さんは格好良い系だから、私は綺麗系で選ばれたんだと思うんですけど?」


マジで言ってんのかこいつ。どちらかというと残念な顔してるのに。今日初めて話したが、強烈な内面のおかげで顔と名前を覚えられそうだ。


「真冬、うちは顔採用はしていない」

「そうですか? じゃあなんでお客様の前に出ちゃ駄目なんですかね?」

「俺はメイドの仕事には関与してないからなんとも。上司の直治に聞いてくれ」


なんとなく原因はわかるのだが、説明したところで理解できるかどうか怪しい。俺が関与していい問題でもない。


「聞いたんですけど、『まだ試用期間中だからだ』って言って教えてくれなかったんです」


直治、ちゃんと教えてるじゃねえかよ。


「真冬、試用期間が始まってから、確かまだ一週間だよな?」

「はい」

「なら、真冬はまだまだ勉強する期間だってことだ。先輩の千代と桜子を見てお客様との接し方を勉強する期間だよ。だからまだなんじゃないのか?」

「そうですか? 私、仕事はできる方なのでもう接客してもいいと思うんですけど?」


冒頭に『そうですか?』と言い、『けど?』で締めくくるのも癖らしい。


「仕事ができるかどうかは上司の直治と先輩の千代と桜子が判断することだ」

「でも、私、仕事はできる方なので、お客様と接しても大丈夫だと思うんです」


溜息を飲み込む。


「真冬、直治から許可が出ない仕事はしちゃいけない。ここは会社なんだから上司の指示には従うんだ。わかったか?」

「あ、はい。あの、もう一つだけ」


まだあるのかよ。


「なんだ?」

「淳蔵様って運転手で、直治様は管理人なんですよね?」

「そうだ」

「美代様は副社長ですよね?」

「そうだ」

「もし、美代様が誰かと結婚したら、その女性は淳蔵様と直治様より偉いってことになるんですかね?」

「ならない」

「ならないんですか?」

「ならないな」

「なんでですか?」

「美代が副社長だから運転手の俺や管理人の直治より偉いなんて、この家の人間、誰もそんなこと思ってないからだ」

「でも、副社長ですよね? この家で二番目じゃないんですか?」

「二番目じゃない。誰もそんなこと思ってない」

「そうですか? でも、副社長だから二番目に偉いと思うんですけど?」


駄目だこりゃ。どうしたものか考えていると、ひょこ、と桜子が談話室を覗き込んだ。


「あら? 真冬さん、こんなところに居たのですか」

「はい」

「トイレ掃除は終わったのですか?」

「まだです」

「・・・休憩するなら誰かに申請してください。それと、仕事を途中で放り出さないでください」

「休憩じゃないです。お茶の淹れ方を聞いていたので」

「お茶?」

「美代様のハーブティーです」

「真冬さん、二日前に美代様から『もう持ってこないで』と言われたはずです」


俺は呆れてしまった。桜子も少し呆れている。


「でも、淹れ方を改善すれば飲んでもらえると思うんですけど?」

「何度改善するように言っても、真冬さんは聞き入れなかったと美代様から聞いております。わたくしからも注意します。美代様にハーブティーは持っていかないように。トイレ掃除に戻ってください。一階の共用トイレですよ。掃除が終わったら裏庭の物置小屋に来てください。玄関からではなくキッチンのドアから出るのですよ」

「え、はあ、わかりました」


真冬は談話室を出て、トイレの方ではなくキッチンの方へ歩いていった。


「真冬さん! トイレ掃除です!」


桜子が珍しく少し大きな声を出す。すぐに戻ってきた真冬は不思議そうな顔をして、トイレの方へ歩いていった。


「桜子」


俺は桜子を手招いた。


「大丈夫かあいつ」

「ジャスミンの調べでは知能に問題はないのですが・・・」

「あいつはなにしてここに?」

「猫をクロスボウで撃ち殺すゲームを」

「最悪だ」

「小学二年生の頃に好きだった男の子の飼い猫をスコップで叩いて背骨を折って殺してから、猫殺しの虜のようです。男の子をデートに誘った時に猫を優先して断られて、猫を恨んだようですね。ジャスミンも撫でる振りをして抓られてからは真冬さんを避けているようです」

「うーん。ジャスミンが選んだんだろ?」

「はい」

「なんか狙いがあるのかね?」

「直治様も淳蔵様と同じことを言っていました。今回は狙いは無いそうなのですが、ジャスミンのことなのでなにか隠している可能性も・・・」

「久し振りなんだからもっとソフトな馬鹿にしてほしかったぜ」

「確かに・・・。暗い過去を持ちながらも一般人に紛れられる人も居ますからね」


俺が肩を竦めると、桜子も真似をして肩を竦めた。二人で静かに笑う。俺がさよならするように手をひらひらと振ると、桜子はお辞儀をして、談話室を出ていった。
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