三十四話 無意識

文字数 1,949文字

「直治様、お疲れ様でーす!」

「お疲れ様」


新しく入ったメイドの千代がなかなかうるさい。同級生を沼にブチ込んで殺しただけはあってネジが飛んでいる。雅とは馬が合うらしく、休憩時間や勤務時間外に話しているのを見かける。


「あのォ、直治様? ちょーっとお話があってぇ」

「ん?」

「雅さんのことなんですけどォ、高校ってどうするのかなーって・・・」

「・・・雅にこう伝えろ。自分で、都に聞け」

「いやァ、都様には相談しづらいみたいですよ? ここから追い出されるんじゃないかって心配してるみたいです」


俺は頭痛がした。


「・・・あのな、俺達は雅の親でも親戚でもない。親権は雅の祖父母にある。ここまではいいか?」

「は、はい」

「そもそも雅がここで暮らしているのは、元はと言えば雅の母親の美雪がここで働いていて、うっかり雅を妊娠していくところがないからって困っていたところを、雇用主の都が暫くの間面倒見てやるっつって置いてやってただけで、雅はここの子供でもなんでもない」

「で、でもォ」

「黙って聞け! 雅が中学に通ってる途中で母親の美雪が死んで、親権は祖父母に移った。本来は祖父母のところで暮らすべきなのに、雅が駄々こねてここで暮らしたいって言うから、中学を途中で変えるのも可哀想かもしれないって考えた都が無償で面倒見てやってるだけで、高校だとかどうだとか、俺達は知ったこっちゃないんだよ!」

「そ、そうなんですかぁ?」


千代がちょっと怯えている。


「だ、か、ら、都に言え!」


恐らくドアの向こうに居るであろう雅に聞こえるように言う。


「あー・・・」


千代がぽりぽりと頬を掻いた。


「あの、直治様。雅さん、淳蔵様にも美代様にも相談されたそうなんですけどォ、淳蔵様は『俺中卒だからわかんない。都に聞いて』って言って、愛しの淳蔵様が中卒だったことでちょーっと幻滅しちゃったみたいですしィ、美代様は『都に許可を貰おうね』以外言わなくて機械みたいで会話にならないし目が笑ってなくて怖いしィ、せめて直治様は優しく・・・」

「お、お前・・・」

「はい?」

「お前馬鹿か?」


俺は震えた。


「す、すみません・・・」

「減給す・・・、」


いや、絞めたい。


「はい?」

「今、自分を落ち着かせてるからちょっと黙ってろ」

「ヒエッ・・・」


興奮すると、シャツが擦れて痛い。


「ッチ、馬鹿が・・・」

「す、すみません! 出過ぎた真似をしました!」

「黙って聞け!」


俺はシャツを引っ張った。


「お前、今までの話を聞いてもなんとも思わないのか?」

「はぇ?」

「都だよ。お前、自分が雇ってる人間が妊娠して行くところなくなっちまったからって、家に置いておくか? 無償で!」

「い、いえ・・・」

「腹膨れて、ガキ産んで、ある程度手がかからなくなるまで母親自身に育てさせて。その間、俺達は無償で美雪と雅の面倒を見ていた。美雪が死んだあとも、雅がここで暮らしたいって言うから、館に居るじゃねえかよ! だ、れ、が、それを決めたんだ! 運転手の淳蔵か? 秘書の美代か? メイドさばいてる俺か? 違うだろ! 都だよ! み、や、こ! 決定権は社長の都にあるんだよ! その都の優しさがわかんないのかよ! 雅は一回でも都に相談したのか!? ああ!? 『都さんの住む館でお世話になりながら高校に行きたいです、どうすればいいか教えてください』って頭下げられないのか! そんなことも、わ、か、ん、な、い、の、か!」

「ずび、ずびばぜん! わだじ、みやびざんにぢゃんどおづだえじまずぅ!」

「次余計なことしたら減給!」

「はいぃ! お疲れ様でしたぁ!」


千代は出て行った。二人分の足音がぱたぱたと消えていく。


「馬鹿が・・・!」


苛立ちに任せて机を叩く。ばん! と音が鳴った。


「うおっ」


ジャスミンが脇に頭を突っ込んできた。


「なんだよ、いつから居たんだ?」


ほっぺたをむにむに揉んでやると、笑っているかのように舌を出して、俺の顔をぺろぺろと舐める。ジャスミンが満足するまで舐めさせると、顔中べろべろになった。ジャスミンはご機嫌になって去っていく。


「アホ犬が」


どうして俺達は器用に幸せになれないんだと自問して、そりゃ罪人だからだろと自答した。

かちゃかちゃ。ジャスミンの足音がする。

開けっ放しのドアから淳蔵がひょこっと顔を出す。


「なに? なんか呼ばれたっぽいんだけど」

「呼んでねーよ」

「水なら持ってきてやるけどどうする?」

「帰れ馬鹿」

「おー」


淳蔵とジャスミンは去っていった。どっちも世話好きというか、お節介焼きだ。


「疲れた・・・」


独り言つ。今日はもう仕事をする気になれなかった。近いうちに都とひと悶着起こすであろう雅に苛立ちを感じる。みち、という音に気付いて手を止めると、無意識にシャツを引っ張っていた。途端に恥ずかしくなって、俺は頭を抱えて暫く動けなかった。
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