二十一話 居酒屋

文字数 2,227文字

穏やかな月日が流れて、美代が一人暮らしを始める日になった。


「荷物少なくね?」


車に積んだ荷物は、必要最低限、というにも少ない気がする。


「そうか? 必要なものは向こうで買い足すし、こんなものだと思うけど」

「ふうん・・・。そんなもんか」

「悪いな淳蔵、運転頼んで」

「貸し一つ・・・。冗談だよ」


美代は苦笑した。荷物の最終確認をしていると、館から都と直治が出てきた。


「都!」


美代が都に抱き着く。


「あー、行きたくねー」

「こらこら」

「行ってらっしゃいのキスしてよ」

「はい、行ってらっしゃい」


都が美代に口付ける。暫く時間が経ち、都がぺちぺちと美代の背中を叩いたが、美代はいつまでも都の唇を吸っていた。


「いッつまでやってんだよ馬鹿美代! 早く行くぞ!」

「うるせえなあ別れを惜しんでんのに・・・」

「フフッ、いつでも帰ってきてね。あ、そうそう。直治」

「ん」


直治が凍った肉の入った袋を美代に渡した。


「定期的に届ける」

「お、れ、が、な!」


『外』の世界に出られないくせに偉そうに言うので、俺はしっかり訂正した。


「淳蔵ちゃん」

「ん?」


都が俺の頬に口付ける。


「今日一日、美代のことよろしくね」


俺はそれだけで上機嫌になって、


「わかった」


と答えた。美代を助手席に乗せ、敷地内を出る。地図を見ながら車を走らせると、田舎から都会に景色がかわっていった。


「あそこだ」


質素な見た目のアパート。車を停め、荷物を運びこむ。


「思ったより狭いな」

「寝られればいいからな」

「これだと荷解きすぐ終わるなァ」

「淳蔵、今日は一日居てくれるんだろ?」

「あ? まあ都にそう言われてるけど」

「俺さあ・・・」


美代が言いづらそうに視線を逸らす。


「外食したことないんだ・・・」

「あっ?」


変なことを言うので変な声が出てしまった。


「いやマジで、三十年ちょいの間、一度もないんだ。淳蔵はあるだろ?」

「あ、ああ・・・。ガキの頃は親と行ったり、悪くなってからは先輩とか仲間と・・・」

「直治ともちょくちょく行ってるだろ?」

「肉料理の研究にな。あとは都の好きそうなモン買いに・・・」

「つ、連れてってくれない?」


美代が両手を合わせて頭を下げる。


「頼む!」

「いっ、いいけどよ、マジで一回も行ったことないの?」

「ない・・・。今後、円滑に外で社会生活を送るため、経験しておいた方が良いと思うんだ」

「あー、確かに」


哀れなヤツだな、という言葉は飲み込んだ。


「んー、じゃあどこ行こうか。大学生、若くて金のないヤツが行くとなったら・・・。居酒屋かな・・・」

「他には?」

「ええっ、焼肉とか? ちょっとガキっぽいけどファミレスとか回転寿司とか、あとカラオケか?」

「選択肢多いな・・・」

「・・・居酒屋以外は全部断れ」

「そうする」

「じゃあ三軒くらい飲み歩くか・・・、あっ!」

「どうした?」

「俺、運転するから飲めねえッ! クッソー!」

「あはっ、可哀想に」

「お前なあ・・・」


近くの居酒屋を探し、中に入る。店員がテーブルか座敷か聞いて来たので座敷を選んだ。開放的な造りになっていて、他の席もよく見える。女性客の何人かがこちらを見ていて鬱陶しかった。


「美代。俺達目立つから」

「わかってる」

「ほれ、これがメニューだ。商品名と値段が書いてるだろ。好きなの選べ。俺が注文してやる」

「へー、なんにしようかな・・・」


美代が酒と料理を選ぶ。


「ボタン・・・。ボタン無いな」

「ボタン?」

「この辺に置いてあるんだよ。この店は無いけど。押したら店員が注文取りに来る」

「無い時どうするんだ?」

「すいませーん!」


俺が突然大きな声を出したので、美代が吃驚した。店員が伝票を持ってやってくる。


「ご注文お伺いします」


料理を頼むと店員は復唱した後に仕事に戻っていく。


「こーすんの」

「・・・俺、やっていけるか不安だわ」

「なんとかなるだろ。外食もしたことないお坊ちゃんって設定にしとけば?」

「名案・・・なのか・・・?」

「知らねーよ!」


俺は笑いながら言った。店員がお通しを持ってきて、美代が困惑する。


「『お通し』とか『突き出し』とか聞いたことない?」

「ああ、『先付け』とか・・・。これ?」

「これ」

「へー。いただきます」

「いただきます」


そのあと、順調に頼んだ料理と酒が運ばれる。


「俺、我儘ばっかり言って都に嫌われてないかな」

「それはないだろ」

「俺はお前と違って自分に自信が無いから、そういう考えが堂々巡りするんだよ」

「喧嘩売ってんのか馬鹿。俺のことなにも知らないくせに」

「淳蔵は優しい」

「・・・おう」

「ありがとう」

「・・・調子狂う! やめやめ! ちんたら食ってないで次の店行くぞ」


俺は伝票のシステムを美代に説明し、『割り勘』についても教えてやった。美代は金額を暗算するとさっさと計算して財布から金を出す。


「あってるか?」

「あってる」


会計を済ませて店を出た。


「アッ! 出てきたァ!」

「あのォ、すいませェん」


店に入った時に視線を送ってきた女性客が話しかけてきた。


「お兄さん達、芸能界の人ォ? 格好良いー!」

「あたし達、二人で寂しく飲んでるの。一緒に遊ぼうよ!」


汚物だ。とはいえ邪険にして問題になっても面倒なので、いつも通り『これから彼女の待つ家に帰るので』と言おうとした俺の腕に、美代が腕を絡めた。


「ごめん。俺達デートの途中なんだ」

『えっ』


女達の声が重なる。


「邪魔しないで。じゃあね」


美代が腕を引っ張って歩き出した。


「・・・馬鹿美代」

「いいじゃん淳蔵ちゃん。次の店行こ?」


さっさと腕を放したので、殴るのはやめておいた。
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