三百十四話 ケーキ
文字数 2,656文字
「ケーキ教室?」
「はい」
桜子が説明を始める。毎月、第二第四土曜日に通う、プロのパティシエが教えるケーキの教室。一年で卒業ということらしく、そこに行きたいと。
「俺は構わないが・・・」
千代を見ると、笑顔で頷いた。
「いいと思いまァす!」
「じゃあ、都の許可を、」
「駄目です!」
珍しく、桜子が大きな声を出す。俺も千代も驚いた。
「都様には絶対に秘密なのです。既にジャスミンは買収しています」
「お、おう、なんで秘密なんだ?」
「こちらの資料をご覧ください」
さっ、と桜子は抱えていた紙の束を俺に渡す。千代も横から覗き込んだ。小さなウェディングケーキだろうか。華やかな白いケーキの上にクッキーと砂糖菓子で作られたのであろう花嫁が乗っている。
「わたくしが通おうと思っている教室の生徒の作品です」
「綺麗ですねェ!」
「他の資料も見てください」
チョコレートケーキの上で踊る女、フルーツがたっぷりあしらわれたケーキの上で微笑む女、水色のケーキの上で沢山の薔薇に囲まれた女。
「この水色のケーキ、なんだ?」
「バターケーキです。直治様もご存じの通り、水色は都様の好きな色です」
「・・・まさか、こういうのを作りたくて教室に?」
「はい」
桜子は拳を握り締め、顔の前で震わせる。
「この世で最も美しい生きものである都様をモチーフにしたケーキを作って、都様に献上したいのです!」
「け、献上?」
「砂糖菓子の動物と戯れる都様、クリームの薔薇に彩られた都様、大好きなフルーツに囲まれて幸せそうに微笑む都様、その他、クッキーに飴細工にチョコレート、ジャムにゼリー、チーズにナッツ、果ては駄菓子まで! 都様がこよなく愛する甘味の代表であるケーキを、都様のためだけにデザインし、都様のためだけにお作りし、都様に頬張っていただく! わたくしの! 夢! なのです!」
大丈夫かこいつ・・・。
「先程も申しましたが毎月第二第四土曜日に教室に通いプロのパティシエに指導していただくことになっておりましてそのパティシエの輝かしい経歴も調査済みです生徒達もこの教室を経てプロのパティシエになる者もいますし受賞者もいます一年間のプログラムで泡立て器を握ったことのない者でも素晴らしいケーキを作れるようになると評判です講師のパティシエは大変厳しくスパルタ教育だと有名であまりの厳しさに断念する者も居るのですが講師と生徒達のケーキの品質の高さに受講を申し込む者が跡を絶ちませんそれ故倍率が物凄く高いのですがわたくしはこの度その倍率を奇跡的に勝ち抜きまして勝手なことをして大変申し訳ありませんがこれも全て都様のためですですのであとは直治様のお許しだけとなっております!」
全く舌を噛まずにハキハキと一息で桜子は言った。
「半年後からなのです!」
「い、いいぞ・・・」
「いいんですね!?」
「いいぞ・・・」
「ありがとうございますッ!!」
桜子は満面の笑みを浮かべた。初めて見た。
「ではッ!! お仕事に戻りますッ!!」
「おう・・・」
「失礼しますッ!!」
桜子が事務室を出ていった。
「凄い熱量ですねェ」
「怖かった・・・」
「美代さんは調理師免許を持っているんですよね? 私は料理は独学ですから、ちょっち不安になっちまいますねェ! 桜子さんのケーキ教室が終わったら私も料理教室に行きたいですぅ! あ、都さんにはオープンッ! で行きますから!」
「ああ、まあ、詳しくは桜子と相談してくれ」
食いしん坊の都のためになるなら、とめはしない。
「では私もお仕事に戻りますぅ! 失礼しまァす!」
「おう」
千代も事務室を出ていった。
ケーキ。
ケーキねえ。
『バターケーキ』なんてもの、うちでは食べたことがない気がする。食べたことがあったとしても、忘れてしまう程遠い昔のことで、記憶に残らないということはあまり好きではなかったということだ。そもそも俺は甘味を、それもケーキやクッキーといった口内の水分を持っていきがちなものを好まないからだ。
都は戦いから帰ってきてから、ちゃんと食べているのだろうか。
美代は俺と同じく甘味を好まず、小食に加えて食べるものを選んでいるので、都に誘われても『少しだけ』と言ってあまり食べない。淳蔵は都と好みが似ているので一緒に食べているかもしれない。考え出すとなんだか気になって仕方がないので、いつもの時間になると談話室に行き、桜子の事情は伏せて聞くことにした。
「よう」
「おー」
「おう」
「なあ、最近、都とお茶会したか?」
美代は首を横に振る。
「都が食べたがってたアイス一緒に食べたぞ」
「どんなアイスだ?」
「インコのアイス」
「えっ?」
淳蔵が苦笑する。
「その反応になるよなァ。結構前から食べたがってたんだけど、その時期に運悪く通販が休止しててな。場所がちょっと離れてるし、クーラーボックスでガンガンに冷やして持って帰ろうかとも考えたんだけど、バタバタ忙しくなっちまって二人共忘れてたんだよ。で、ふとした拍子に俺が思い出して、丁度通販も再開してたから頼んだんだよ」
「待て、経緯はわかったがなんだそのアイスは。インコ?」
「鳥好きが考案したアイスだよ。口を開けて寝ていたらインコが口の中に足を突っ込んできたような味とか、インコを握り締めながらバニラアイスを食べたような味とか、意味わかんねえの。都は喜んで食べてたぞ。アイスの中にインコが実際に食べてる穀物が入ってて、結構美味かったな」
「美味かったのかよ」
「ハハ、そんでよ、都が『淳蔵の鴉はどうなんだろう』って言うから一羽出して渡したら、捏ねくり回された挙句、においを胸いっぱい嗅いどいて『違う・・・』ってちょっと残念そうにしてたぜ。くすぐったくて気持ち良かったよ」
「そうかー、兄貴。今夜は親子丼にするかー」
嫉妬したり余裕があったり、美代はよくわからない。
「都とお茶会する時は、こっちからお茶菓子を用意した方がいいな」
「だね。流石にインコはちょっと・・・」
「時代が進化して奇妙なものが出るたびに、好奇心から手を出してるよな」
美代が人差し指を唇に添えた。
「そういえば、桜子君が来た時に買ったソフトクリームメーカーもまだ現役だね」
「この前、唐揚げにかけてたぞ」
「おいとめろよ!」
「とめて聞く人ならとめますよ」
キッチンにそんなものもあったな。管理は千代がしているので視界に入っても意識していなかった。桜子が都の虜になるきっかけの一つになったものだ。『虫』として生きてきた桜子が、好きな人のためにケーキ教室に通いたいと思うようになるなんて、なんだか可愛らしく思えて、ちょっと笑ってしまった。
「はい」
桜子が説明を始める。毎月、第二第四土曜日に通う、プロのパティシエが教えるケーキの教室。一年で卒業ということらしく、そこに行きたいと。
「俺は構わないが・・・」
千代を見ると、笑顔で頷いた。
「いいと思いまァす!」
「じゃあ、都の許可を、」
「駄目です!」
珍しく、桜子が大きな声を出す。俺も千代も驚いた。
「都様には絶対に秘密なのです。既にジャスミンは買収しています」
「お、おう、なんで秘密なんだ?」
「こちらの資料をご覧ください」
さっ、と桜子は抱えていた紙の束を俺に渡す。千代も横から覗き込んだ。小さなウェディングケーキだろうか。華やかな白いケーキの上にクッキーと砂糖菓子で作られたのであろう花嫁が乗っている。
「わたくしが通おうと思っている教室の生徒の作品です」
「綺麗ですねェ!」
「他の資料も見てください」
チョコレートケーキの上で踊る女、フルーツがたっぷりあしらわれたケーキの上で微笑む女、水色のケーキの上で沢山の薔薇に囲まれた女。
「この水色のケーキ、なんだ?」
「バターケーキです。直治様もご存じの通り、水色は都様の好きな色です」
「・・・まさか、こういうのを作りたくて教室に?」
「はい」
桜子は拳を握り締め、顔の前で震わせる。
「この世で最も美しい生きものである都様をモチーフにしたケーキを作って、都様に献上したいのです!」
「け、献上?」
「砂糖菓子の動物と戯れる都様、クリームの薔薇に彩られた都様、大好きなフルーツに囲まれて幸せそうに微笑む都様、その他、クッキーに飴細工にチョコレート、ジャムにゼリー、チーズにナッツ、果ては駄菓子まで! 都様がこよなく愛する甘味の代表であるケーキを、都様のためだけにデザインし、都様のためだけにお作りし、都様に頬張っていただく! わたくしの! 夢! なのです!」
大丈夫かこいつ・・・。
「先程も申しましたが毎月第二第四土曜日に教室に通いプロのパティシエに指導していただくことになっておりましてそのパティシエの輝かしい経歴も調査済みです生徒達もこの教室を経てプロのパティシエになる者もいますし受賞者もいます一年間のプログラムで泡立て器を握ったことのない者でも素晴らしいケーキを作れるようになると評判です講師のパティシエは大変厳しくスパルタ教育だと有名であまりの厳しさに断念する者も居るのですが講師と生徒達のケーキの品質の高さに受講を申し込む者が跡を絶ちませんそれ故倍率が物凄く高いのですがわたくしはこの度その倍率を奇跡的に勝ち抜きまして勝手なことをして大変申し訳ありませんがこれも全て都様のためですですのであとは直治様のお許しだけとなっております!」
全く舌を噛まずにハキハキと一息で桜子は言った。
「半年後からなのです!」
「い、いいぞ・・・」
「いいんですね!?」
「いいぞ・・・」
「ありがとうございますッ!!」
桜子は満面の笑みを浮かべた。初めて見た。
「ではッ!! お仕事に戻りますッ!!」
「おう・・・」
「失礼しますッ!!」
桜子が事務室を出ていった。
「凄い熱量ですねェ」
「怖かった・・・」
「美代さんは調理師免許を持っているんですよね? 私は料理は独学ですから、ちょっち不安になっちまいますねェ! 桜子さんのケーキ教室が終わったら私も料理教室に行きたいですぅ! あ、都さんにはオープンッ! で行きますから!」
「ああ、まあ、詳しくは桜子と相談してくれ」
食いしん坊の都のためになるなら、とめはしない。
「では私もお仕事に戻りますぅ! 失礼しまァす!」
「おう」
千代も事務室を出ていった。
ケーキ。
ケーキねえ。
『バターケーキ』なんてもの、うちでは食べたことがない気がする。食べたことがあったとしても、忘れてしまう程遠い昔のことで、記憶に残らないということはあまり好きではなかったということだ。そもそも俺は甘味を、それもケーキやクッキーといった口内の水分を持っていきがちなものを好まないからだ。
都は戦いから帰ってきてから、ちゃんと食べているのだろうか。
美代は俺と同じく甘味を好まず、小食に加えて食べるものを選んでいるので、都に誘われても『少しだけ』と言ってあまり食べない。淳蔵は都と好みが似ているので一緒に食べているかもしれない。考え出すとなんだか気になって仕方がないので、いつもの時間になると談話室に行き、桜子の事情は伏せて聞くことにした。
「よう」
「おー」
「おう」
「なあ、最近、都とお茶会したか?」
美代は首を横に振る。
「都が食べたがってたアイス一緒に食べたぞ」
「どんなアイスだ?」
「インコのアイス」
「えっ?」
淳蔵が苦笑する。
「その反応になるよなァ。結構前から食べたがってたんだけど、その時期に運悪く通販が休止しててな。場所がちょっと離れてるし、クーラーボックスでガンガンに冷やして持って帰ろうかとも考えたんだけど、バタバタ忙しくなっちまって二人共忘れてたんだよ。で、ふとした拍子に俺が思い出して、丁度通販も再開してたから頼んだんだよ」
「待て、経緯はわかったがなんだそのアイスは。インコ?」
「鳥好きが考案したアイスだよ。口を開けて寝ていたらインコが口の中に足を突っ込んできたような味とか、インコを握り締めながらバニラアイスを食べたような味とか、意味わかんねえの。都は喜んで食べてたぞ。アイスの中にインコが実際に食べてる穀物が入ってて、結構美味かったな」
「美味かったのかよ」
「ハハ、そんでよ、都が『淳蔵の鴉はどうなんだろう』って言うから一羽出して渡したら、捏ねくり回された挙句、においを胸いっぱい嗅いどいて『違う・・・』ってちょっと残念そうにしてたぜ。くすぐったくて気持ち良かったよ」
「そうかー、兄貴。今夜は親子丼にするかー」
嫉妬したり余裕があったり、美代はよくわからない。
「都とお茶会する時は、こっちからお茶菓子を用意した方がいいな」
「だね。流石にインコはちょっと・・・」
「時代が進化して奇妙なものが出るたびに、好奇心から手を出してるよな」
美代が人差し指を唇に添えた。
「そういえば、桜子君が来た時に買ったソフトクリームメーカーもまだ現役だね」
「この前、唐揚げにかけてたぞ」
「おいとめろよ!」
「とめて聞く人ならとめますよ」
キッチンにそんなものもあったな。管理は千代がしているので視界に入っても意識していなかった。桜子が都の虜になるきっかけの一つになったものだ。『虫』として生きてきた桜子が、好きな人のためにケーキ教室に通いたいと思うようになるなんて、なんだか可愛らしく思えて、ちょっと笑ってしまった。