二百八十四話 支配者

文字数 2,792文字

夢を見ていた。

客室に投げ入れられる文香、鍵を閉める裕美子。椿は激しい怒りと共に、なんとも言い難い愉悦も感じていた。


「ねえ、水無瀬さん」


文香は心底怯えて、声を上げることすらできない。


「調子乗ってる?」


裕美子がくすくす笑う。


「読書はね、高尚な趣味なの。文字を読んで、内容を理解することができる、頭の良い人間のための趣味なの。馬鹿は教科書を読むことすらできないから、テストで良い点を取れない。テストで良い点を取れないから、良い大学に行けない。ここまで説明してるんだから、馬鹿な水無瀬さんでもわかるよね? 私と水無瀬さんの圧倒的な『差』が。私は有名大学を現役で合格して、順風満帆な学園生活を送って、なんの失敗もせずに卒業した。水無瀬さんはなに? 高卒? どこの高校? 麓の町にある偏差値のひッくい高校でしょ? 水無瀬さんはね、私には遠く及ばない存在なの。わかる?」

「あ・・・あの・・・」

「え? なに? 今、私と喋ろうとした? 私に口を利こうとした? 水無瀬文香如きが、私に意見しようとした?」


椿は意地の悪い笑みを浮かべている。


「本は知識の塊なの。水無瀬さんみたいな馬鹿が気取って読んだって意味無いの。わかるでしょ? あ、馬鹿って無駄なことが好きだから、わからないかな?」


裕美子も意地の悪い笑みを浮かべている。


「水無瀬さんってさ、勘違いしてるよね。『本を読んでる私、凄い!』みたいな、『小説を書いてる私、凄い!』みたいな、勘違いしてるよね? あのさ、本を読んでも内容を理解できなきゃ意味無いからね? 文字を書くだけなら誰にでもできるからね? 読書も執筆も、水無瀬さんみたいな低俗な人間がしていいことじゃないからね? 読書は高尚な趣味なの。頭が良くて育ちが良くて、本を買う余裕があるお金持ちのための趣味なの。だから、小説を書く人間は、高尚な人間なの。頭が良くて育ちが良くて、お金持ちで、尚且つ個性的で、特別な存在であることの証明なの。小説を書くことは、高尚な人間にしか許されないことなの。わかる? 水無瀬さんみたいなゴミが承認欲求を満たすためにやっていいことじゃないの。わかる? わかるって聞いてるんだけど? どうなんだよ、おいッ!! なあッ!!」


答えを聞くつもりなど毛頭ない問いかけ。

優越感を得るために強制する意味の無い謝罪。

品性を疑う聞くに堪えない罵詈雑言。


「水無瀬さん、お仕置きだからね?」


二人で文香をおさえつけ、指を折る。文香の喉から、苦痛による音が鳴る。


「ね、水無瀬さん。指を折るのって簡単でしょ? 水無瀬さんのだぁいすきな社長も今みたいに部屋に連れ込んで、指を折っちゃおうかな? 社長の指を折られたくなかったら、この部屋で起こったことは、誰にも言っちゃいけないよ? わかった?」


文香が必死に頷く。裕美子が部屋の鍵とドアを開け、廊下に誰も居ないのを確認する。


「じゃ、また遊んであげるよ。七月まで仲良くしようね、馬鹿水無瀬さん」


二人は上機嫌で部屋を出ていった。

そこで目が覚めた。

携帯に都からメッセージが入っている。


『おはよう。明日の午後二時、二度目の産声をあげさせます。少々においますので、見学の強制はしません。二階の空き部屋で執り行います。見学の際は千代さんの案内に従ってください』


「二度目の産声・・・?」


都は文香について、人間関係についてを『糸』で例えた。それとどう繋がるのだろう。


「断るヤツ居ねえだろうに・・・」


俺は『精神安定剤』を飲んでから、朝の日課を済ませた。

事務室。

メイド長である千代が一番最初にやってきて、タイムカードを打刻する。その次に桜子、そして椿と裕美子。二人の顔を見た瞬間、俺の中に殺意が沸き起こった。こいつらは、文香を脅すために、都の指を折るとほざきやがった。今この世で最も罪深い存在だ。『絞める』なんて悠長なことを言わずに今この場でブチ殺したい。

こんこん。


「どうぞ」

『失礼します』


都だ。今、このタイミングで来るのか。


「あら、椿さん、裕美子さん、おはよう」

「社長、おはようございます」

「おはようございます」

「直治、話があるの。朝食の前だけどいいかしら?」

「いいぞ」


俺は椅子から立ち上がり、都のために部屋の隅に置いてある小さな椅子を移動させる。その間に椿と裕美子はタイムカードを打刻して事務室から出ていった。


「ありがとう」

「話ってなんだ?」

「『餃子』の気分じゃなくなったわ」

「・・・それは、お気に入りのおもちゃを壊されたからなのか?」

「そう。私は幼稚で、子供特有の歪な正義感を持っているから、一度癇癪を起こすと手を付けられない。そうでしょ?」


肯定も否定もできない。


「仕返ししたいし、思い知らせたい。この山は私が治める国。『学校』などという狭い世界でのみ成り上がって成功を掴んだつもりでいる勘違いした馬鹿共に、骨髄を蝕む程の絶望を、味わわせたい」


本来は夜行性である俺が、身震いしそうな程の闇を湛えた瞳が、ぎらぎらと、光すらも跳ね返して輝く。ただ見られているだけなのに、ゾクリと、俺の背骨の髄から奇妙な快感が広がっていく。目を逸らした瞬間に喉笛に噛み付かれて、俺は死んでしまうかもしれない。本物の支配者の瞳だ。抵抗は大罪である。本物の捕食者の瞳だ。抵抗は無意味である。俺は抵抗なんてしない。神の定義なんてどうでもいい。俺の神は一条都ただ一人だけだ。


「仰せのままに」


俺は跪き、恭しく都の手をとり、口付けた。


「私のお気に入りのおもちゃを壊したんだから、あの二人にかわりに遊んでもらわなくちゃと思ってね。『クイズ』なんてどうかしら?」

「クイズ?」


都が急に『いつも通り』に笑うので、俺は少し恥ずかしく思いながら椅子に座り直した。


「あのね・・・、」


都が素晴らしい提案をする。


「・・・ということで、一週間で準備してくれない?」

「三日」

「あら。でも駄目よ、楽しいからって夜を徹するのは。ちゃんと寝なさいね」

「じゃあ五日で」

「フフ。さて、お腹が空いたら余計に苛々するから、朝ご飯を食べに行きましょ」

「今日は水菜のサラダがあるぞ」

「青じそドレッシングの?」

「おう」

「やった! 大好物!」


都は途端に子供っぽくなった。可愛い、と思ってしまうのは、毒されているのだろうか。別に毒されていても構わないが。

二人で食堂に行く。皆、食事を終えたのだろう。食堂には誰も居なかった。人が来た気配を感じたのか、キッチンに繋がる扉から桜子がひょこっと顔を覗かせる。


「おはよう、桜子さん」

「都様、おはようございます」


桜子は都に許してもらえたらしい。二人にしかない少し甘ったるい空気が漂う。


「朝ご飯、まだあるかしら?」

「はい。二人分あります。すぐに温めますね」

「ありがとう」


俺と都は自分の席に座り、桜子が料理を運んでくる間に軽く雑談をして、食事を終えるとそれぞれ部屋に戻った。


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