三百二十九話 バルーン

文字数 2,290文字

「へーえ、コレかあ・・・」


夜、都の部屋に集まって酒を飲む。淳蔵は都に仕入れてもらった『バルーン』をしげしげと見つめていた。


「ちょっと吸ってみるわ」

「淳蔵・・・」

「心配すんなって」


都はおろおろするだけ。直治は非難がましく、千代は興味深々に、桜子は心配して淳蔵を見る。すう、と淳蔵がバルーンの中のガスを吸った。目を伏せ、閉じ、そのままゆっくりと顔を上げて、ふうーっと息を吐き、脱力する。


「・・・成程」

「ヤバいっすかァ?」

「もう少ししたらもっと効いてくると思うけど、滅茶苦茶気持ち良い。『陶酔ガス』で快楽物質がジャブジャブ分泌されて脳みそヒッタヒタになってるわ」

「怖いっすねェ!」


千代はケラケラ笑っている。淳蔵も満足そうに笑った。


「・・・直治、このガス外に捨ててこい」

「えっ、俺!?」

「美代は駄目だ。これ多分殺鼠剤入ってる」

「ンなもん吸うなよ・・・」

「あぁーっ・・・!」


淳蔵が突然、奇妙な声を出したので、全員吃驚した。


「『有毒ガス』きた・・・」


直治がそっと、爆発物を扱うように慎重にバルーンを受け取り、一度都の部屋を出た。直治が戻ってくるまでの間、淳蔵はやや上を、虚空を見つめてぐったりとしていた。


「都、これが、鈴が犯した罪の一つ・・・?」

「そう。淳蔵が『話していい』って言ったから話すけど・・・」


浜田鈴。淳蔵の姪。十六歳で妊娠し、出産を両親に反対されたため、同い年の相手の男の家に転がり込み、籍を入れ、子を産む。そのため二人共高校を中退する。無知な二人は悪い先輩に玩具にされて、どんどん悪い道へ。

ある夏の日、鈴は姑の車を無許可で借りてパチスロを打ちに行った。勿論無免許。駐車場の隅、日陰の場所に車を停め、窓を全開にして店へ。その日は『よく当たる日』だったらしく、そのまま四時間。鈴がほくほく顔で車に戻ってきた頃には、赤ん坊は真っ赤になって死んでいた。蒸し焼きだ。初犯であることと模範囚であることから三年程で刑務所から出てきた。

幸運なのか不運なのか、当時の鈴にとっては幸運だったに違いないが、二度目の結婚をすることになる。相手はごく普通の男。鈴は両親とは不仲で絶縁し、子は死別とだけ伝え、生まれ変わって幸せな結婚生活を送る、はずだった。漸く手に入れた幸せを鈴は『退屈』だと感じ、偶然、町で会った昔の悪い先輩に誘われ、『クッキー販売』に手を出す。『エディブル』と呼ばれる悪いクッキーだ。見た目が可愛らしく、若い女に飛ぶように売れるらしい。専業主婦の鈴の元に『お小遣い』とは比べ物にならない程の大金が転がり込むようになる。

そして、最後に行きついたのが『バルーン』。『陶酔ガス』と『有毒ガス』を配合したもの。吸引すると、初めは陶酔ガスの成分で気持ち良くなれるが、陶酔ガスが切れると有毒ガスが猛威を振るい、その苦痛から逃れるためにまたバルーンを吸う。そのため、バルーンは途轍もない依存性を持つ。鈴は『半グレ』のグループの末端として、クッキー販売から転じてバルーンを売るアルバイトをするようになった。専業主婦の座を手放さないためか、純粋な恐怖かはわからないが、鈴は、まだ、バルーンに手を出さなかった。

やがて、鈴と二人目の夫の間に子供が生まれる。

鈴は『子育ての息抜きに』と誘われたパーティーで、半グレ集団にバルーンを吸わせられた。犯罪に加担した人間が、子供を理由に更生するのを防ぐためだったのだろう。鈴はバルーンの誘惑に勝てなかった。鈴の挙動を不審に思い始めた夫と、忙しなく泣く子供が煩わしくなった。そして、夫が子供と寄り添って寝た夜に、枕で子供を窒息死させ、夫に寝返りを打たせて子供の上に乗せた。夫はショックのあまり錯乱して正常な判断ができず、自らを子殺しと勘違いして、自殺。警察は夫の勘違いを事実として処理した。そして鈴は逃げ出し、住み込みで働ける一条家へやってきた。


「ふッざけんなよマジで・・・」


淳蔵の顔付きが険しくなる。都が慌てて立ち上がり、ピルケースを取り出すと、赤いカプセルを二錠、淳蔵の口に捻じ込むように入れた。淳蔵はされるがまま、ごくり、とカプセルを飲み込む。


「はあ・・・」

「もう少し、飲む?」


都が遠慮がちに聞く。淳蔵は答えない。都がピルケースからもう一つカプセルを取り出し、淳蔵の口に入れようとしたところで、淳蔵がぐいっと都を押し返した。信じられない光景だ。淳蔵はなんだかんだ都に紳士的に振舞うし、滅多に都を拒まないのに。


「よォーっくわかったよ。暴対法で取り締まれぬ半グレ共。社会のゴミが、腹を痛めて産んだ我が子がどうこう、馬鹿になった頭でそんな崇高なこと考えられるはずもない」


淳蔵が言う。


「俺がそうだったみてえに・・・」


都が悲しそうな顔をした。


「お前ら、都の血はいいぞ・・・。クスリよりキマるし、脳も歯も溶けねえし、抜けてくると疲労感は凄いが不快感に比べりゃそれすら気持ち良い・・・」


ごくり、と桜子が喉を鳴らし、恥ずかしそうに俯いた。


「都、俺と血が繋がってる人間、『今は』、鈴一人だよな?」

「そう、ね・・・」


淳蔵の母親と妹はまだ生きていたはず。淳蔵の母親はかなりの高齢だが。しかしそれが、つまりそういうことだということは、淳蔵が都に頼んで、都が承諾したということだ。母親はまだしも、妹に、鈴の母親に罪はあったのだろうか。


「直治、試用期間が終わったら『仕込み』に入れ」

「わ、わかった」

「・・・そういや昔、直治とドッグランに行った時、小せえ犬連れた爺さんに話しかけられたよな。俺の先輩の、名前なんだっけ」

「小川か大川だった気がする」

「千代、焼酎と唐辛子と大葉持ってこい」

「はァい!」
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