百八十九話 風と火と水

文字数 2,889文字

千代の腕時計と共に、手紙が届いた。


『蝋燭に火を灯し、
 5m以上離れた場所に立ち、
 蝋燭に意識を集中させる。
 必ず屋外でやること』


都が『社長からのお小遣い』と言って、タクシー代と五万円を美波とじゅえりに渡し、出掛けるよう命令した。美波は吃驚していたものの大喜びで出掛けていき、じゅえりはぽかんと呆けたあと、震える手で金を受け取り、都になにか耳打ちされると、少しだけ微笑んでから出掛けていった。


「淳蔵さん、どうぞ!」


蝋燭を設置し、腕をぶんぶんと振る千代の手首には、ピンクオパールが上品にあしらわれた腕時計。

淳蔵が蝋燭をじっと見つめた。

たった一秒。

突風が吹いて、蝋燭の火を掻き消した。千代の前髪が揺れる。少し離れた場所で横から見ていた俺は顔を引き攣らせる。振り返った淳蔵の顔も引き攣っていた。


「偶然、だよな?」

「い、いやァ・・・」


千代が新しい蝋燭を設置している。


「淳蔵さん、どうぞ!」


淳蔵は蝋燭に向き直り、集中した。やはり一秒。強烈な風が吹いて蝋燭の火を消した。淳蔵が千代を手招きながらこちらにやってくる。


「エアコンのコマーシャルで、冷房の風が青で表現されたり、暖房の風が赤で表現されたりするの見たことあるよな?」


全員頷く。


「あんな感じで、風の流れが見える」


淳蔵は真剣な表情で言った。


「風を操れる、ということですか?」

「もっといろいろ試してみないとわかんねえけど、多分、そう」

「人知を超えていますねェ。次、美代さんいってみましょう!」

「わかった」


千代が蝋燭を設置する。俺が意識を集中させると、蝋燭の火は孔雀が尾を広げたような炎になった。吃驚して後退すると、火はあっという間に元の小さな揺らめきに戻る。溶けた蝋燭が地面を汚していた。


「びッ、吃驚した。千代君、怪我は無い?」

「はいッ! 大丈夫ですッ! 美代さん、もう一回やってみましょう!」

「う、うん・・・」


加減がわからない。じっ、と蝋燭を見つめると、火が少しずつ炎にかわりながら揺らめきを増し、蝋燭をどんどん溶かして、最後には燃え尽きた。


「火はやばいだろ・・・」


淳蔵が腕を組みながら言う。直治も大きく頷いた。


「身体に変化は?」

「なんというか、火を点けられそうなものとか、燃えやすそうなものがやけに目に付くな」

「次、直治さん、いってみましょう!」

「もうなにが起こっても驚かんぞ俺は・・・」


千代が蝋燭を設置する。直治が集中して、五秒。空中に小さな水の粒が出現し、ぷるぷると震えながら大きさを増していった。蝋燭の火を水の塊が包み込み、消火する。


「直治さん、どうぞ!」


千代がもう一本蝋燭を設置する。水が出現するまでの五秒はかわらないが、出現してから大きくなるまではさっきより早かった。


「水かァ」

「身体に変化は?」

「やばい」


直治は珍しく、顔を盛大に顰めていた。


「お前らの血管が見える」

「あー、人体の殆どは水分でできているから、か?」

「上手く伝えられるかわからないんだが、水の気配も感じる」


直治は顔をぷるぷると横に振った。


「で、弟よ。兄ちゃん馬鹿だからこういうのわかんないんだけど、どう実験するよ?」

「うーん、そうだなあ。昼飯の時間になるまでいろいろやってみるか・・・」


今は朝九時。昼飯は正午。淳蔵の実験から始める。一時間程色々やってみたが、風は目に見えず、淳蔵の感覚だけでしかわからないので苦労した。実験してみてわかったのは、風の強弱や向き、範囲などを自在に操れるようだ。無風空間を作ることもできる。風を操作して鴉の飛ぶ速度を大幅に向上することもできた。正確に計測できる器具がないので、淳蔵の体感の話である。


「・・・なあ、薄々勘付いてはいたんだけど、これ疲れるぞ」

「やっぱり? 今、体力何割くらいだ?」

「体力はそんなに。九割だな。気力の方が持ってかれる。七割くらいだ」

「じゃあ、次は俺が試すよ。念のためにバケツに水を汲んでくるか」


直治が千代をひょいひょいと手招いた。


「俺と千代で行ってくる。休憩の飲み水も必要だろ」

「行って参りますゥ!」


二人が水を取りに行き、戻ってくると、俺も実験を始めた。火の強弱、温度、範囲。燃え盛る炎を一瞬で鎮火することもできた。火の近くに居る時、温度は感じているはずなのに、熱い、とは感じない。恐る恐る火を触ってみるが、脊髄反射は起こらなかった。手の平に鼠を出して、燃やしてみる。やはり温度は感じているのに、熱くない。そのまま草むらを走らせると、火は可燃物に燃え移ったので、俺だけが火の中を自由に行動できる、ということになる。そこまで試して一時間が経った。


「火はやべえって火は・・・」

「体力九割、気力八割くらいだ。次は直治だな」


直治が操る水は重力を無視して空中に浮かんでいる。どうやら水という概念そのものを操っているらしく、空気中の水分を凝縮させることも、新たな水を発現させることもできた。直治の感覚の話であるので、淳蔵と同じく正確に計測することはできない。水は素早く動かすことが可能で、地面に染み込んだ水を取り除いて、水と地面をわけることもできた。試しに水を飲んでみたが、味に異常は感じない。温度は常温。ここまでで三十分。


「疲れた」

「早いな。しっかし便利だよ。洗濯当番お前がやれば?」

「ふざけんな。美代、多分こうした方が早いぞ」

「ん?」


直治は飲み水が入ったペットボトルの蓋を開け、傾ける。ドバドバと出てきた水は一定のヵ所に留まって綺麗な球体になり、最後の一滴が落ちるとぷるんと揺れた。


「成程ね」

「あと、これは実験できないんだが、やろうと思えば多分できる」

「なんだ?」


直治は人差し指と親指で輪を作ると、ぴん、と人差し指を弾いた。


「血管。脳だの心臓だのピンポイントで狙って弾けさせれば、即死させられるし、病死に見せることも可能なんじゃないか?」


俺は直治が恐ろしくなった。


「やばいぞ俺達」

「やばいな」

「やばい」

「やばいですねェ!」

「まっ、使いこなせれば便利なのは違いない。風の流れが見えるのも慣れてきたしな」

「スイッチみたいに『オン』『オフ』できるぞ」

「どうやって?」


俺は右手を顔の横に掲げ、指輪を嵌めている薬指に少しだけ力を入れた。くいっと曲がる。連動して中指と小指も少し曲がった。


「手を開いていてもできるし、握っていてもできる」


淳蔵と直治が真似をする。


「あ、あー! こりゃいい!」

「本当だ。なんでわかったんだ?」

「可燃物がちらちらと目について鬱陶しいから、なんとかならないかと思ってな。増幅器が付いている首と指で色々と試そうと思って、指を動かしていたらあっという間に見つかった」


携帯の震える音がする。千代の携帯だ。


「都さんからです!」


千代は都から与えられている仕事用の携帯を取り出した。


「はい、千代です。・・・わかりました、お伝えします。失礼します」


会話はすぐ終わった。


「昼食を作り始めるそうです。メニューは、」

『野菜炒め』


四人で声を揃えて言い、笑う。


「今日はここまでだな」

「各自、安全に配慮して訓練するように」

「腹減った・・・」

「館に戻りましょう!」


疲れているせいか、野菜炒めの塩分がいつもより心地良く身体に染み渡った。
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