二百十七話 新しい趣味

文字数 2,540文字

水曜日、休日。客も居ない。

俺と淳蔵と美代で使っている、プライベート用のグループチャットがある。とはいっても客の居ない日はいつも喋っているし、客が居ても仕事があっても顔を合わせる頻度が高いので滅多に使われていない。


『可愛くなりたい』


美代からそんなメッセージが入ったので、一瞬、意味がわからなかった。暫く考えてもどう返答していいのかわからない。


『もう十分可愛いだろ』


淳蔵が返信する。


『もっと可愛くなりたい』

『お前は世界で二番目に可愛いぞ』

『一番は都か?』

『そう』

『どうしたらいいんだろう。可愛くなりたい』

『見た目も中身も十分可愛いぞ』


なんで淳蔵はこんな恥ずかしいことをスラスラと言えるんだろう。こいつ対面でもこんな感じだ。なんとも思っていない相手、客の女や喰う予定のメイドには俺も世辞を言えるが、『可愛い』と思っている都や美代、千代には雰囲気と勢いがないと言えない。桜子にも言えないかもしれない。


『たまには都より可愛いって言われたいかもしれない』


重症だ。桜子の再教育でストレスが溜まっているのか?


『『可愛い』って言われたいんであって、女になりたいんじゃない』


美代の追撃、のようなメッセージが続いた。


『わかっとるわかっとる』

『努力してるんだよ俺は。『化粧品検定一級』もとったし、雑誌も読んでるし美容系の動画配信者もくまなくチェックしてる。尊敬してる都にだってアドバイスを貰ってるし、千代君とも美容について意見交換をしてる。可愛くなりたいんだよ俺は』

『世界一可愛い女は都だけど、世界一可愛い男は美代だぞ? 自信持っていい』

『本当にそう思ってる?』

『思ってる』

『じゃあ、ちょっと俺の部屋に来てくれ。直治も』

『用事片付けたら行くからちょっと待ってろな』


そこでやりとりは止まった。淳蔵から個別にメッセージが入る。


『なんでなにも喋らんのじゃボケ』

『深刻そうだからなに喋っていいかわからんかった。すまん』

『美代の部屋来い』

『行きます』


俺は両頬をぺちぺちと叩いて気合いを入れてから自室を出た。淳蔵がタイミングを合わせてくれたのか、自室から出てくる。二人で美代の部屋の前に立った。

こんこん。


『ど、どうぞっ』


部屋の中に入る。美代の声がしたのに中に居ない。


「あの、こっち・・・」


脱衣所のドアの陰に隠れていたらしい。


「どうし、」


淳蔵が言い終わる前に、美代がドアの陰から出てきた。

手首にフリルが付いた白い手袋。手袋に合わせたのか、袖に手袋と同じフリルが付いた、ゆったりとした薄手の長袖のブラウス。詰襟にもフリルがついている。ふわっと広がるシンプルな黒いロングスカート、黒いストッキング、ヒールが付いたブーツ。色素が薄い美代の髪は明るい茶髪だが、ウィッグを被っているのか黒い長髪がふわふわに巻かれていた。吃驚したのは腰回りだ。女性らしい『くびれ』がある。


「かぁっ・・・、可愛い、よな?」


緊張、不安、僅かな期待。そんな瞳で見上げられる。


「あ、あはっ、やっぱ駄目だったか? ごめん、変なもの見せて! すぐに着替え、」

「待て待て待て待て!」


脱衣所に引っ込もうとした美代を、淳蔵が慌てて捕まえる。


「都より可愛い」


淳蔵が断言すると、美代は顔を真っ赤にした。


「うぅ、うそつけっ!」

「いやいや、本当だって。都は上品なお姉様って感じだから、方向性が全然違うだろ」

「・・・そ、そう?」

「そうだよ」

「そ、そうか・・・」


美代は手を降ろした状態で前で組んで、指をもじもじと動かす。


「な、直治は・・・?」

「・・・可愛いよ」

「ほっ、本当かぁ?」

「研究したのが伝わってくる。手の甲だとか肩幅だとか、『男らしさ』を隠すためにいろいろやったんだろ?」

「お、おう・・・」

「可愛い。かなり可愛い」


世辞ではない。本心だ。


「じゃあ・・・趣味に・・・しようかな・・・年に一回くらいの・・・」

「月一にしろ」

「そ、そんなに?」

「自分に正直になれ。可愛いぞ」


美代が両手で口元をおさえる。


「男の服の『可愛い』には限界があって・・・。『可愛い』を追求するとこうなっちまうんだよ・・・。でも、女になりたいわけじゃないんだ・・・。そこだけは理解してほしい・・・」


俺と淳蔵は黙って頷いた。


「俺、可愛い、よな?」


どうして急に女装したんだ、とか。ストレスが溜まっているのか、とか。そんな野暮なことを聞く程、俺も淳蔵も馬鹿じゃない。普段は勝気で、頭が良くて、努力家な美代が甘えているんだ。甘やかしてやりたい、と思う程、美代のことを好いているのだから、俺も自分に正直になろう。雰囲気と勢いは自分で作れるものだ。


「自慢したいけど見せびらかしたくはない可愛さだ」


俺がそう言うと、美代は何故か、都に似た顔でにっこりと笑った。


「じゃあ、写真撮って都に見せよう」


血が繋がっていなくても、長く暮らしていると似るものなのかもしれない。不思議なものだ。淳蔵が美代にポーズを指示して何枚か写真を撮る。グループチャットで共有して、美代が気に入ったものを二枚選んだ。俺達のプライベートチャット以上に使われていない、都も加入しているグループチャットに、淳蔵から一枚、俺から一枚、美代の写真を送る。すぐに既読が付いた。


『はああっ!?』

『ええなにこれ!?』


都がとんでもない速さで一人で喋り出す。


『美代じゃねえか!!』

『可愛い』

『可愛過ぎる』

『えまてなにしとん』

『おい返信しろ』

『既読付いてんだよォ!』

『倅ェ!』

『保存保存』

『引き延ばして額縁に入れていい? 駄目?』

『なんで返信せんのじゃ!』

『ジャスミンが意地悪してきて外に出られない!!』

『返信で助かる命がある』

『うおおおおおおお』

『なんでもするのでもう一枚写真を送ってください』

『背中の皮剃ります』

『確定申告します』

『お願いします』


美代がメッセージを打ち込む。


『可愛いでしょ』


すぐに返信がきた。


『世界一可愛い!』


美代は満面の笑みになった。


『可愛い』

『愛してる』

『ちょっと愛し過ぎてるかもしれない』

『見たい見たい』

『お願いだから動画送ってー!』


都のメッセージが止まる。と同時に物凄い勢いで階段を駆け下り、美代の部屋のドアを『こんこんこんこんっ!』とノックする音が響いた。美代がドアを開けると、都はちょっと驚いたあと、だらしない笑みを浮かべてサムズアップした。
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