三百四十話 教えてほしい
文字数 2,040文字
「おー、直治。新しいメイドどうだ?」
「お前度胸あるな」
「元『半グレ』なもので」
「そうだった。腹立つ」
「なんかすみません・・・」
直治はソファーに座り、両腕を組んで背凭れに身体を預けた。不機嫌な時にやる仕草だ。
「なんの問題もない、と言いたいところだが、姫子が虐めてる」
「やると思った」
美代が溜息を吐いた。
「ほっとけ。どうせあと二週間だ」
試用期間が終わるまで。つまり絞めるまであと二週間。
「テキパキとまではいかんが、仕事は丁寧にこなすから問題はねえよ。都にも従順だしな」
「そこが一番重要だよなァ」
「たまーに居るけど、どうして社長に敵意剥き出しにできるんだろうね? まあそんなんだから『外』でも生きていけなくてここに来るわけだけど・・・」
てとてと、足音が聞こえた。
「お、来たぞ」
美代と直治が揃って溜息を吐いたあと、二人共顔を揉んで、美代は笑顔を作り、直治は表情を和らげた。
「あっちゃん! みーくん! なおさん! あそぼー!」
客の居ない日は自由に館の中をうろついて良いことになっている、我が家の異分子。紫苑の息子、ひろ。こいつに価値は無いらしいが、紫苑が気持ち良く働くためにも俺は相手をしてやっている。美代と直治にもそうするように言うと、不承不承ながらも遊びに付き合ってやっているようだ。
「今日もお絵描きか?」
「うん!」
遊ぶ、といってもひろはお絵描きが好きらしく、床に画用紙とクレヨンを広げて、這いつくばって描きながら喋るのを俺達は見ているだけだ。カーペットや床を汚したことは一度もない。よく躾けられているようだ。
「りんごもってきたの! あとでみやこちゃんがかわむいてくれるって」
直治の下瞼がぴくぴくと痙攣している。
「今日は林檎描くのか?」
「うん! あかでかいたあとにー、みずいろとー、おれんじとー、くろでかく! みやこちゃんとちーちゃんとさっちゃんがすきないろー!」
都は『みやこちゃん』、千代は『ちーちゃん』、桜子は『さっちゃん』らしい。『あっちゃん』、『みーくん』、『なおさん』は都の入れ知恵だ。直治が大分怒っていたが、二歳児が一度呼び始めたものを修正するなんてもうできない。ひろは言葉がかなり発達していてよく喋る。
「ひろねー、らいねんようちえんいく」
「おー、幼稚園行くのか」
「うん! そんでねー」
ひろは来年三歳。紫苑に免許を取らせてなるべく送迎させるらしいが、いずれ俺も送迎しなくてはいけないと思うと少し気が重い。『半田雅』みたいにずるずると面倒を見ることにならないように祈るばかりだ。
「できた! みてー!」
「上手に描けたな」
「みやこちゃんにみせてくるー!」
ひろは林檎を忘れて、談話室を出ていった。
「あいつ器用だなァ。雅はお絵描きで床グチャグチャにしたことあんのに」
「その名前を出すのはやめろ」
直治は不機嫌を隠さずそう言うと、談話室を出ていった。
「雅と違ってひろは大人しいね」
「美代は今回余裕ある感じだな」
「前回はひっ迫した状況だったからな。それに俺、女嫌いだし。都に寄っていく男も嫌いだけど、流石に二歳に嫉妬して怒り狂うのはね」
美代が苦笑する。
「直治逃げちまったし、俺達も戻るか」
「だね」
「おっと、林檎は届けてやるか」
二人で階段を登り、美代はそのまま事務室に戻る。
「あっ! あっちゃん! りんご!」
ひろがよたよたと階段を降りてきた。
「ひろ、ゆっくり降りないと危ないぞ。ほら」
林檎を渡してやると、
「ありがと!」
と言って、再び登っていった。俺は自室に戻る。空気が少しこもっていたので窓を開けて換気し、パソコンに向かった。
ぽん、ぽん。
ピアノの音が聞こえる。
ぽん、ぽん。
紫苑が休憩時間にピアノを触っているのだろう。
ぽん、ぽん。
「あっ・・・」
俺は携帯を取り出し、千代と桜子にそれぞれ、
『なにか楽器は弾けるか?』
とメッセージを送った。二人共『弾けません』と返ってきた。少し迷って美代と直治にも送ってみる。『弾けない』と返ってきた。
「楽器・・・ピアノ・・・」
都の歌声に、音楽を重ねられたら。
俺は口元に手を添えた。
これが都の狙いか?
いや、恥ずかしがって背を向けて歌う都が、誰かの演奏と一緒に歌いたいと思うだろうか。ちょっと違う気がする。でも近いような気もする。なんだろう、このもやもやした感情は。単純に俺が聴きたいという、邪と言ってもいいかもしれない気持ちのせいか?
「うーん・・・」
沢山ヒントを与えられているのに正解できないようなもどかしさ。俺は部屋を出て、向かいの紫苑の部屋をノックした。
「あっ、淳蔵様!」
紫苑は申し訳なさそうな顔をしている。
「ちょっと話、いいか?」
「は、はい」
「中に入っても?」
「は、はい! どうぞ・・・」
子持ちとはいえ、赤の他人の女性の部屋に入るのは少し気が引けたが、姫子に見つかると面倒なので入ってしまった。
「あの、申し訳ありません。ピアノの音が煩かったでしょうか?」
「いや、全然。ちょっと頼みがあって来たんだ」
「なんでしょうか?」
「ピアノ、教えてくれないか」
「えっ・・・」
「お前度胸あるな」
「元『半グレ』なもので」
「そうだった。腹立つ」
「なんかすみません・・・」
直治はソファーに座り、両腕を組んで背凭れに身体を預けた。不機嫌な時にやる仕草だ。
「なんの問題もない、と言いたいところだが、姫子が虐めてる」
「やると思った」
美代が溜息を吐いた。
「ほっとけ。どうせあと二週間だ」
試用期間が終わるまで。つまり絞めるまであと二週間。
「テキパキとまではいかんが、仕事は丁寧にこなすから問題はねえよ。都にも従順だしな」
「そこが一番重要だよなァ」
「たまーに居るけど、どうして社長に敵意剥き出しにできるんだろうね? まあそんなんだから『外』でも生きていけなくてここに来るわけだけど・・・」
てとてと、足音が聞こえた。
「お、来たぞ」
美代と直治が揃って溜息を吐いたあと、二人共顔を揉んで、美代は笑顔を作り、直治は表情を和らげた。
「あっちゃん! みーくん! なおさん! あそぼー!」
客の居ない日は自由に館の中をうろついて良いことになっている、我が家の異分子。紫苑の息子、ひろ。こいつに価値は無いらしいが、紫苑が気持ち良く働くためにも俺は相手をしてやっている。美代と直治にもそうするように言うと、不承不承ながらも遊びに付き合ってやっているようだ。
「今日もお絵描きか?」
「うん!」
遊ぶ、といってもひろはお絵描きが好きらしく、床に画用紙とクレヨンを広げて、這いつくばって描きながら喋るのを俺達は見ているだけだ。カーペットや床を汚したことは一度もない。よく躾けられているようだ。
「りんごもってきたの! あとでみやこちゃんがかわむいてくれるって」
直治の下瞼がぴくぴくと痙攣している。
「今日は林檎描くのか?」
「うん! あかでかいたあとにー、みずいろとー、おれんじとー、くろでかく! みやこちゃんとちーちゃんとさっちゃんがすきないろー!」
都は『みやこちゃん』、千代は『ちーちゃん』、桜子は『さっちゃん』らしい。『あっちゃん』、『みーくん』、『なおさん』は都の入れ知恵だ。直治が大分怒っていたが、二歳児が一度呼び始めたものを修正するなんてもうできない。ひろは言葉がかなり発達していてよく喋る。
「ひろねー、らいねんようちえんいく」
「おー、幼稚園行くのか」
「うん! そんでねー」
ひろは来年三歳。紫苑に免許を取らせてなるべく送迎させるらしいが、いずれ俺も送迎しなくてはいけないと思うと少し気が重い。『半田雅』みたいにずるずると面倒を見ることにならないように祈るばかりだ。
「できた! みてー!」
「上手に描けたな」
「みやこちゃんにみせてくるー!」
ひろは林檎を忘れて、談話室を出ていった。
「あいつ器用だなァ。雅はお絵描きで床グチャグチャにしたことあんのに」
「その名前を出すのはやめろ」
直治は不機嫌を隠さずそう言うと、談話室を出ていった。
「雅と違ってひろは大人しいね」
「美代は今回余裕ある感じだな」
「前回はひっ迫した状況だったからな。それに俺、女嫌いだし。都に寄っていく男も嫌いだけど、流石に二歳に嫉妬して怒り狂うのはね」
美代が苦笑する。
「直治逃げちまったし、俺達も戻るか」
「だね」
「おっと、林檎は届けてやるか」
二人で階段を登り、美代はそのまま事務室に戻る。
「あっ! あっちゃん! りんご!」
ひろがよたよたと階段を降りてきた。
「ひろ、ゆっくり降りないと危ないぞ。ほら」
林檎を渡してやると、
「ありがと!」
と言って、再び登っていった。俺は自室に戻る。空気が少しこもっていたので窓を開けて換気し、パソコンに向かった。
ぽん、ぽん。
ピアノの音が聞こえる。
ぽん、ぽん。
紫苑が休憩時間にピアノを触っているのだろう。
ぽん、ぽん。
「あっ・・・」
俺は携帯を取り出し、千代と桜子にそれぞれ、
『なにか楽器は弾けるか?』
とメッセージを送った。二人共『弾けません』と返ってきた。少し迷って美代と直治にも送ってみる。『弾けない』と返ってきた。
「楽器・・・ピアノ・・・」
都の歌声に、音楽を重ねられたら。
俺は口元に手を添えた。
これが都の狙いか?
いや、恥ずかしがって背を向けて歌う都が、誰かの演奏と一緒に歌いたいと思うだろうか。ちょっと違う気がする。でも近いような気もする。なんだろう、このもやもやした感情は。単純に俺が聴きたいという、邪と言ってもいいかもしれない気持ちのせいか?
「うーん・・・」
沢山ヒントを与えられているのに正解できないようなもどかしさ。俺は部屋を出て、向かいの紫苑の部屋をノックした。
「あっ、淳蔵様!」
紫苑は申し訳なさそうな顔をしている。
「ちょっと話、いいか?」
「は、はい」
「中に入っても?」
「は、はい! どうぞ・・・」
子持ちとはいえ、赤の他人の女性の部屋に入るのは少し気が引けたが、姫子に見つかると面倒なので入ってしまった。
「あの、申し訳ありません。ピアノの音が煩かったでしょうか?」
「いや、全然。ちょっと頼みがあって来たんだ」
「なんでしょうか?」
「ピアノ、教えてくれないか」
「えっ・・・」