三百四十七話 幸恵
文字数 1,914文字
紫苑が麓の町の自動車教習所に通い始めた。仕事との両立はつらいだろうと都が紫苑の休日を増やし、その穴を埋めるため、という名目で新しいメイドを雇った。
「おー、直治。新しいメイドどうよ」
淳蔵はいつまで経っても他人の顔と名前を覚えられない。
「何故か千代に懐いてるな」
直治がそう答えた。客の居ない談話室でのいつもの光景だ。
「千代君に? 珍しいね」
「ちょっと厄介かもしれん」
「というと?」
「千代のことをなんでも真似するんだよ。千代が髪を束ねている黒いリボン、アレは都からの贈り物らしくてな。ゼロが五つ付く代物だそうだ」
「あのシンプルなリボンか。良いモンだとは思ってたがそこまでの高級品だったとは・・・」
「限定品で、もう手に入らない。『from M to C』とメッセージ入りでな。幸恵はそれを千代から聞いて、都に反発心を持ったようだ」
「なァんでそうなるかなァ・・・」
「全くわからん。それを聞いたあとな、どうしたと思う?」
直治が珍しい問い方をする。
「似たようなリボンを探した?」
「俺もそれしか思いつかないけど・・・」
直治は苦笑し、首を横に振る。
「麓の町の百円ショップで黒いリボンを買って、『from M to C』の刺繍を自分で施して、それを使ってる。それとな、千代の地毛は少しだけ茶色いだろ? 幸恵は真っ黒だが、今は似た色に染めてる。身長も167cmと女にしちゃ高い千代に合わせるためにシークレットブーツを履いて働いてるよ。バレないようにしているようだがバレバレだ。おまけにうちには親切な白い誰かさんが居るからな」
「あー、薄々気付いてはいたけど・・・」
「千代君はどういう反応なの?」
「『お肉さんに興味ありません』だとよ」
「んー、どうだかなァ。あいつ溜め込むタイプだし・・・」
「おおごとにならなきゃいいけど・・・」
そのあと、雑談を楽しみ、それぞれ部屋に戻る。
こんこん。
「どうぞ」
事務室に入ってきたのは『白い男』だった。
「うわっ、吃驚した。なんだよ」
嫌な予感がする。ジャスミンは俺のノートパソコンの角を人差し指でちょんとつついた。キーボードが勝手に動き、俺と都しか知らない暗証番号が入力され、ロックが解除される。インターネットの検索エンジンに『Cちゃんのメイドログ』と文字が入力され、一つのサイトを開いた。
驚いた。
『Cちゃんのメイドログ』はブログのタイトルだった。掲載されている写真は、見慣れた我が家。顔を隠して映っているのは、幸恵。佐伯幸恵。イニシャルに『C』は入っていない。俺は最新の記事を読んでみる。
『タイトル:ご主人様は我儘です。
こんにちは。メイド長のCです。
私がお仕えするI家は山奥にあります。なので、海の幸が入手しづらい。それなのにご主人様が『ユッケを食べたい』と我儘を仰います。これには食事当番のMさんもNさんも呆れ顔。副長のSさんも困り果てておりました。クール便という手もあるのに、ご主人様は『宅配業者が可哀想だ』と言うのです。本当はケチなだけなんですけれどね。私が居ないとなーんにもできないご主人様。ずっと支えてあげなくてはいけませんね。
今日の朝食
雑穀米、焼き鮭、ぬか漬け、味噌汁、麦茶。
今日の昼食
カツサンド、コーヒー。
今日のおやつ
フルーツのタルト、ハーブティー。
今日の夕食
ビーフシチュー、サラダ、パン。
それでは皆様、ごきげんよう。』
食事の内容は昨日都が食べていたもので間違いない。食事当番のMは俺、Nが直治、Sが副長の桜子、か。Cは千代のことだろう。幸恵は、千代になりきってこのブログを書いている。
ブログの概要欄に有名なSNSのリンクが貼ってあった。クリックしてみる。ブログと違って画像は無いが、その分事細かに千代として振舞ったことを書いていた。フォロー数204、フォロワー数482。
SNSでの他者との会話を覗いてみる。『私が居ないとなにもできないご主人様を愛している』を下地に、自分がメイドでありながら如何に豪華に暮らしているか、ということが書かれている。本人はこれで謙遜しているつもりなのだろうか。一番怖いのは、世辞なのかマジなのかわからないが、幸恵を、Cちゃんを『素敵だ』と褒めるフォロワーが一定数居ることだ。
「・・・俺以外にこのこと知ってるヤツ、居るのか?」
ジャスミンは上を指差した。
「都は知ってるんだな」
ジャスミンは頷き、空中に人差し指で字を書き始める。
『み ん な に お し え て
さ ち え は お よ が せ る』
「皆に教えて、幸恵は泳がせる」
俺が復唱すると、ジャスミンはにっこりと笑い、事務室を出ていった。かちゃかちゃ、犬の爪が硬い床に当たる足音が聞こえる。
「なんだかなあ」
「おー、直治。新しいメイドどうよ」
淳蔵はいつまで経っても他人の顔と名前を覚えられない。
「何故か千代に懐いてるな」
直治がそう答えた。客の居ない談話室でのいつもの光景だ。
「千代君に? 珍しいね」
「ちょっと厄介かもしれん」
「というと?」
「千代のことをなんでも真似するんだよ。千代が髪を束ねている黒いリボン、アレは都からの贈り物らしくてな。ゼロが五つ付く代物だそうだ」
「あのシンプルなリボンか。良いモンだとは思ってたがそこまでの高級品だったとは・・・」
「限定品で、もう手に入らない。『from M to C』とメッセージ入りでな。幸恵はそれを千代から聞いて、都に反発心を持ったようだ」
「なァんでそうなるかなァ・・・」
「全くわからん。それを聞いたあとな、どうしたと思う?」
直治が珍しい問い方をする。
「似たようなリボンを探した?」
「俺もそれしか思いつかないけど・・・」
直治は苦笑し、首を横に振る。
「麓の町の百円ショップで黒いリボンを買って、『from M to C』の刺繍を自分で施して、それを使ってる。それとな、千代の地毛は少しだけ茶色いだろ? 幸恵は真っ黒だが、今は似た色に染めてる。身長も167cmと女にしちゃ高い千代に合わせるためにシークレットブーツを履いて働いてるよ。バレないようにしているようだがバレバレだ。おまけにうちには親切な白い誰かさんが居るからな」
「あー、薄々気付いてはいたけど・・・」
「千代君はどういう反応なの?」
「『お肉さんに興味ありません』だとよ」
「んー、どうだかなァ。あいつ溜め込むタイプだし・・・」
「おおごとにならなきゃいいけど・・・」
そのあと、雑談を楽しみ、それぞれ部屋に戻る。
こんこん。
「どうぞ」
事務室に入ってきたのは『白い男』だった。
「うわっ、吃驚した。なんだよ」
嫌な予感がする。ジャスミンは俺のノートパソコンの角を人差し指でちょんとつついた。キーボードが勝手に動き、俺と都しか知らない暗証番号が入力され、ロックが解除される。インターネットの検索エンジンに『Cちゃんのメイドログ』と文字が入力され、一つのサイトを開いた。
驚いた。
『Cちゃんのメイドログ』はブログのタイトルだった。掲載されている写真は、見慣れた我が家。顔を隠して映っているのは、幸恵。佐伯幸恵。イニシャルに『C』は入っていない。俺は最新の記事を読んでみる。
『タイトル:ご主人様は我儘です。
こんにちは。メイド長のCです。
私がお仕えするI家は山奥にあります。なので、海の幸が入手しづらい。それなのにご主人様が『ユッケを食べたい』と我儘を仰います。これには食事当番のMさんもNさんも呆れ顔。副長のSさんも困り果てておりました。クール便という手もあるのに、ご主人様は『宅配業者が可哀想だ』と言うのです。本当はケチなだけなんですけれどね。私が居ないとなーんにもできないご主人様。ずっと支えてあげなくてはいけませんね。
今日の朝食
雑穀米、焼き鮭、ぬか漬け、味噌汁、麦茶。
今日の昼食
カツサンド、コーヒー。
今日のおやつ
フルーツのタルト、ハーブティー。
今日の夕食
ビーフシチュー、サラダ、パン。
それでは皆様、ごきげんよう。』
食事の内容は昨日都が食べていたもので間違いない。食事当番のMは俺、Nが直治、Sが副長の桜子、か。Cは千代のことだろう。幸恵は、千代になりきってこのブログを書いている。
ブログの概要欄に有名なSNSのリンクが貼ってあった。クリックしてみる。ブログと違って画像は無いが、その分事細かに千代として振舞ったことを書いていた。フォロー数204、フォロワー数482。
SNSでの他者との会話を覗いてみる。『私が居ないとなにもできないご主人様を愛している』を下地に、自分がメイドでありながら如何に豪華に暮らしているか、ということが書かれている。本人はこれで謙遜しているつもりなのだろうか。一番怖いのは、世辞なのかマジなのかわからないが、幸恵を、Cちゃんを『素敵だ』と褒めるフォロワーが一定数居ることだ。
「・・・俺以外にこのこと知ってるヤツ、居るのか?」
ジャスミンは上を指差した。
「都は知ってるんだな」
ジャスミンは頷き、空中に人差し指で字を書き始める。
『み ん な に お し え て
さ ち え は お よ が せ る』
「皆に教えて、幸恵は泳がせる」
俺が復唱すると、ジャスミンはにっこりと笑い、事務室を出ていった。かちゃかちゃ、犬の爪が硬い床に当たる足音が聞こえる。
「なんだかなあ」