三百五十五話 将来大化け

文字数 1,748文字

「・・・な? 面白いだろ?」


直治は珍しく、笑い過ぎて苦しそうにしている。


「面白いけど、これ大丈夫?」

「大丈夫だろ。都が『ほっとけ』って言ってんだからな」


問うた美代が『それなら』という顔をした。幸恵のブログ『Cちゃんのメイドログ』のアクセス数は爆発的に伸びて、閲覧数は万を超えている。SNSのアカウントもフォロワー数が万を超え、ひっきりなしにメッセージが送られているようだ。

幸恵は『炎上』していた。

ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、特定の話題に対する議論の盛り上がり方が尋常ではなくなり、収まりがつかない事態のことである。


「これ良い線いってるね。『CちゃんはI家に愛情なんて無いだろ。あったらこんな失礼な物言いしねえよ。これで謙虚なつもりなら笑える。メイド長ってのも怪しい。立場ある人間ならネットリテラシーについて部下にちゃんと教育するけど、Cちゃんはそうじゃない。普通のメイドがメイド長になりすましてんじゃねえの?』」


美代が読み上げる。


「名探偵現る、だなァ」

「仕事中も気が気でないらしい。千代と桜子が報告してくれるが、苛立ちをかんなにぶつけているそうだ。かんなはそれですっかり大人しくなった。あー面白い」

「そのかんな君のせいで炎上したから余計につらくあたるってわけ?」

「そうだ。かんなの愚痴を書いて慰められて気持ち良くなっちまって、どんどん過激なことを書くようになったからな。ブログの閲覧者やSNSのフォロワーはCちゃんのメイドとしての暮らしを見に来ていたのに、どんどん愚痴が酷くなっていって、品性を疑われてボロが出た、というわけだ」

「馬鹿だな」

「アホだね」

「『ショー』が楽しみだな。さて、俺は事務室に戻る」

「俺もピアノの時間だ」

「ん、じゃあね」


俺と直治は美代の事務室を出て、直治は階段を降りていった。俺は紫苑の部屋のドアをノックする。


『どうぞ』

「失礼します」


ひろが床に這いつくばって絵を描いている。おもちゃのロボットの絵。『買ってほしい』とねだるので与えたところ、ロボットで遊ぶのではなく、様々な角度から観察して描くという楽しみ方をしているようだ。


「あっちゃん、ぴあの?」

「おう」

「ひろはおえかきしてるねー」


『雅』と違って、大人しい。紫苑は『絵しか描かない』と言って心配しているが、これは将来、大化けするかもしれないぞ。


「淳蔵様、そろそろ一曲、淳蔵様の好きな曲を練習してみませんか?」

「お? そう?」

「はい。少しお時間を頂ければ、採譜、音楽を聴いて楽譜を作ることもできます」

「おー、そうか」


紫苑が出ていったあとも、紫苑や、他の誰かに依頼することも可能か。


「『エリック・サティ』の『ジムノペディ第1番』が弾きたい」

「まあ! 素敵ですね。難易度も丁度良いかと」


雨の夜に『このレコード、まだ動くのよ』と言って、都が聴かせてくれた。教養というものを殆ど持っていなかった俺が初めて触れた、芸術品だ。

都は歌は嫌いだが音楽は好きだ。

今は嫌いな歌を克服しようと努力しているのだから、少しでもその手助けになりたい、なんて、俺が都の歌を聞きたいだけだが。

レッスンを終えたあと、紫苑を一度部屋の外に呼び出した。


「淳蔵様、お疲れ様でした」

「ありがとうございました」

「上達が早くて驚いています。今まで見てきた生徒の中で一番かもしれません」

「ええー? そうー?」

「フフ。淳蔵様、クラシックがお好きなんですか?」

「いや、別段そういうわけじゃないんだけど、さっきのリクエスト、ジムノペディ第1番は俺のカノジョが初めて聴かせてくれたクラシックなんだよ」

「まあ、カノジョさんが・・・」

「そうそう、都が」

「えっ、あっ・・・えっ・・・!?」


紫苑は慌てて口をおさえた。


「薄々気付いてはいるんだろ?」

「いえっ、あのっ・・・」

「夢で見ただろ」


俺の言葉に顔を真っ赤にして頷き、コクコクと頷く。


「俺も美代も直治も、桜子もだ。子供って案外鋭いからな、母親のお前が気にしてたらひろの教育に良くない。だから不思議に思わずさらりと流してくれ」

「わ、わかりました・・・」

「幻滅したか?」

「えっ?」

「都に、幻滅したか?」


紫苑は慌てて首を横に振った。


「愛に形はありませんから、人それぞれだと思います」


紫苑はそう言った。


「じゃ、また夕食の時に」

「はい」
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