二百六話 一等綺麗

文字数 1,915文字

夢を見ている。

俺は、いいえ、わたくしは、任務を遂行するため、都様の部屋にお茶とお茶菓子を運んだ。どうして、手が震えてしまうのだろう。都様を見ると、身体が火照って、呼吸が苦しくて、平静を保てない。


「桜子さん」

「は、はい」

「緊張しているの?」

「・・・い、いいえ」

「ねえ、『胡蝶の夢』って知ってる?」


都様が近付いてくる。どうして、どうして、この気持ちは。

気持ち?

有るはずがない。わたくしに『こころ』なんて。


「虫も夢を見るのよ」


何故、否定できないの。


「虫には『こころ』があるからね」


何故、そうだと思ってしまうの。


「どうしたの?」

「あの、わたくし、」


わたくしは今まで、性的快感とは無縁であった。欲求すらわかなかった。なのに、夢を通して、淳蔵様、美代様、直治様となって感じる快楽は、私の思考をぐるぐると目まぐるしく回転させ、それはやがて濁流となり、強い欲求へとかわっていった。


「もしかして、恋のお悩みかしら?」


都様がにっこりと笑う。


「そ、そのような顔に見えましたか?」

「初心な乙女の顔ね」

「・・・都様がそう仰るのなら、そう、なのかもしれません」

「フフッ、どうして?」

「都様は、『完璧な人間』、ですから、仰ることに間違いはありません」

「私は『完璧』じゃないわ。貴方の『理想』の存在であるというだけ」

「理想?」

「私だって、失敗したり、勘違いしたり、無駄なことをするわよ。プログラムに不具合が生じてエラーが起きるんじゃない。計算すれば答えに辿り着くミスばかりではないのよ」

「でも・・・、わたくしには、完璧に見えるのです」

「フフッ、私のことを、なんにも知らないくせに・・・」


くすくす、と都様は笑った。


「教えてあげましょうか」


くい、と顎を掴まれる。都様は背伸びをして、わたくしに口付けた。


「・・・お見通し、なのでしょうね」

「なんのことかしら」

「わたくしを快楽で懐柔させて、寝返らせるおつもりですか?」

「服を脱ぎながら言う台詞じゃないわね」


わたくしは都様に下着姿を晒す。

恥ずかしい。

でも、

もっと見てほしい。

何故?


「一番奥のソファーに横になりなさい」

「・・・はい」


命令、いや、指示に従う。都様が私に覆い被さった。ゆっくりと、唇を吸われる。なんて柔らかいの。ずっとくっつけていたい。甘い香りで、鼻腔が満ちる。肺までいっぱいにしたい。


「女性も、経験があるのですか?」

「何度かね」

「・・・まさか、千代さんも?」

「あの子にはこんなことしないわよ。ま、求められれば話は別だけど・・・」


耳をねっとりと舐められる。


「ああぁっ」


自分の喉からこんな音が鳴るなんて。


「ひうっ、ん・・・」

「私が抱いた女の中で、貴方が一等綺麗よ」

「・・・う、嬉しい、です」

「初めはくすぐったいだけよ。でも、丁寧に時間をかければ・・・」

「あ、お、お仕事はどうしましょう?」

「平気平気。直治にはあとで言っておくから」

「そっ、そんな恥ずかしいことっ、」

「お馬鹿さん。お喋りしたって言っておくだけよ」


都様のにおい。熱。わたくしの身体を滑る指の柔らかさ。わたくしは、桜子は産まれて初めてかもしれない幸福を味わっていた。

そこで目が覚めた。


「マジかよ・・・」


俺は談話室のテーブルに突っ伏して寝ていた。いや、眠らされていた。ダンッ、と美代がうつ伏せになったまま拳でテーブルを叩く。直治は起き上がると両手で顔を覆い、ううー、と唸った。


「見ちゃいけねえモン見ちまった・・・」

「強制的にな!」

「まさかあの桜子を虜にするなんて・・・」


美代が顔を上げる。


「油断するな。演技かもしれん」


直治がコクコクと頷く。


「なあ、弟よ。そろそろ兄ちゃん達に秘密を喋っちまってもいいんでないの?」


今度は首を横に振った。


「ったく馬鹿が!」


美代は怒って談話室を出ていった。

その日の夜。

夕食の席に参加した都はいつも通りだったが、桜子は明らかに変化していた。

にこにこしている。

金鳳花や真理が困惑する程に。


「桜子さん?」


金鳳花が問う。


「なんでしょう?」

「あのぉ、なんていうかぁ、ご機嫌、ですね?」


桜子は目を見開いたあと、顔を真っ赤にしながらいつもの表情を保とうとした。


「なにか良いことありましたぁ?」

「い、いえ・・・」


真理が一瞬、面白くなさそうな顔をした。

面白くないのは俺だっつうの。

桜子と金鳳花が『クロ』なのは確定だ。

あとは真理だ。

一度、都を問いただしたがなにも聞き出せなかった。直治も口も割らない。腹立たしいのは千代までもがなにかを知っている様子なのに『知りません』と白を切る。

都の傍で座っていたジャスミンが俺に近付いてくると、ニパッと笑った。俺が客用のとびっきりの笑顔をしてやると、物言いたげな上目遣いで見つめたあと、そそくさと退散していった。
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