百八十八話 チョーカー

文字数 2,839文字

談話室でいつも通り会話していると、慌ただしい足音を立てて都が現れた。


「美代! お茶淹れて二人分! 直治は千代さん呼んできて!」


美代と直治は吃驚しながら談話室を出る。そして一礼すると、早足で散っていった。客だ。俺は慌てて雑誌を畳んでラックに戻し、座り直す。


「やっほー! 久しぶり!」

「やかましい」


客は、スーツを着た若い男と、達磨屋に呪いをかけられた時に都が呼んだ医者だった。流石の俺でもこの人は覚えている。


「こちらにどうぞ」


都が上座を勧める。いつもは都が上座に座っているのに。客が座ると直治が千代を連れて戻ってきた。


「千代さん、直治の隣に」

「はい」


千代は察しが良い。直治が座ってから、千代も座った。少し遅れて、美代が茶を運んできて、客の前に配膳すると、俺の隣に座る。必然的に都が一番下座になった。なんだか居心地が悪い。


「あんたあたしを舐めてるの?」


医者が言う。


「いえ、そんな、」

「金の話だよ」

「二週間分、きちんとお支払いしたはずです」

「あたしは『一週間』って言ったでしょ。もう一週間はあんたが勝手に苦しんでただけ。だから返すわ」


医者は革の鞄の中から分厚い封筒を取り出し、バン、とテーブルに叩きつけた。とんでもない金額だ。それをスーツの男が掻っ攫う。


「僕が貰っておくよ。支払いにはちょっと足りないからね」


医者は茶を一気に飲み干し、立ち上がる。


「先生、予定が無いのでしたらデートでも如何です?」


男の言葉になにも答えず、医者は帰っていった。


「振られちゃったな。都ちゃんはどうだい?」

「仕事が立て込んでおりまして」

「じゃあ仕方がない。さて、商品をお渡しするよ」

「なにも頼んでいないはずですけど・・・」

「客は都ちゃんじゃない。ジャスミン君さ。前払いである程度の料金は貰ってるよ」


男はスーツのポケットから、質量を無視して、レース、紐、首輪を取り出した。


「事情は聞いたよ。これは彼からの詫びの品だ。指輪と同じ『増幅器』。好きなものを選びたまえ」

「あの、貴方はもしかして、宝石商のご老人なんですか?」


美代が言う。


「そうだよ。察しが良くて助かるよ」

「今日は随分とお若いですね」

「その日の気分によってかえるのさ。お洒落の一環だよ」

「・・・僕はこれにします」


美代が紐を選んだ。


「社長のかわりに出掛けることが多いので、一番シンプルなものを」


直治が俺を見る。俺は手の平で直治を差して、先に選ぶよう促した。直治は首輪を選んだ。俺はレースを手に取る。


「冷水、熱湯、洗剤に長時間漬けても、変形、変色しない。強く引っ張ってもゴシゴシ擦っても大丈夫。髪にも絡まず肌に馴染んで、寝る時も気にならない代物さ。一度着けたら二度と外せないけどね」


男は笑った。


「さあ、順番に、僕に手を握らせなさい」


俺は立ち上がり、男の前に跪いて両手を差し出した。男は俺の手を握ったあと、二度頷き、ポケットから雫型の大きなアメジストを取り出した。指輪と同じ材質なのかはわからないが、銀色の台座が付いている。


「髪を持ち上げて」


言われた通りにする。男は俺の首にレースを巻くと、ポケットから小さな器具を取り出して台座をレースに取り付けた。


「次」


俺が座り直すと、都が手鏡を渡してくれた。レースは美代の方が良いんじゃないかと思ったが、案外似合っている、と思う。


「次」


美代は自分の手鏡で確認している。俺が都に手鏡を返すと、都はそのまま直治に渡した。

わん!

泥だらけのジャスミンが談話室の入り口で尻尾を振っている。あの犬は性格が悪いので『似合っているよ』とは言っていないだろう。ジャスミンはくるくる回ってから、玄関の方へ足音を鳴らしながら消えていった。


「次、千代ちゃん。君にも増幅器をあげよう」

「はい!」


男は千代の手を握る。


「その腕時計、随分古いね。お気に入りの品なのかい?」

「あっ、お恥ずかしい」

「聞かせておくれよ」

「両親にショッピングモールに連れていってもらった時に、ゲームセンターのクレーンゲームで取ったものなんです。安物ですけど意外と丈夫で、気に入っております」

「ベルトは良いものを使っているみたいだけど、取り替えたのかい?」

「はい。文字盤に描かれているピンクの河童が可愛くて気に入っておりまして、時計屋さんに無理を言って何度か修理してもらいました」

「ふむ・・・」


男は千代の手を放した。


「その時計、暫く預からせてもらえないかな? 知り合いに時計屋が居てね。彼に頼んで、文字盤はそのまま、綺麗に修理するというのはどうだろう? 増幅器はベルトに仕込んであげるよ」

「都さんの許可を得ませんと、」

「千代さん、いいわよ」

「だそうだ。どうする?」

「はい。お預けします。よろしくお願いします」


千代が腕時計を外し、男に渡した。


「都さん、ありがとうございます」

「いえいえ」

「さて、帰るよ。見送りは結構。足りない分はツケということで」

「ありがとうございました」


男は茶を飲むとソファーから立ち上がり、談話室を出ようとした。


「おっと」


びしょ濡れのジャスミンが駆け足で戻ってきて、男とぶつかりそうになる。


「ん? これもくれるのかい?」


ジャスミンは咥えていたおもちゃのアヒルを差し出すように頭を上げていた。男はそれを受け取ると、真剣な表情で、角度を二度かえて観察した。


「都ちゃん、ツケはもういいよ。これを貰っていく。また来るよ」


男のスーツのポケットは質量を完全に無視する造りになっているらしい。ポケットにアヒルをぐりぐりと捻じ込むと、吸い込まれるように、するん、と膨らみが消えた。男は去っていった。ジャスミンはくるんと一回転して、走ってどこかへ行ってしまった。


「疲れたぁ・・・。私、先生もエロジジイも苦手なのよね。なにもいっぺんに来なくても・・・」


都が俺達の首元を順番に見る。俺の首には雫型のアメジストが付いたレース、美代の首には楕円のエメラルドが付いた紐、直治の首にはスクエア型のトルマリンが付いた首輪。


「これ、材質なんなんだろうな?」

「首にぴったり張り付いてるのに息苦しくないし、引っ張ると伸びるね」

「風呂に入る時に苦労はしなさそうだ」


都が口元をおさえる。


「うーん。チョーカー、えっちだな・・・」

「都さん、裏の顔出ちゃってますよ!」

「あら、ごめんあそばせ」

「それより皆さん、気付いていますか?」


千代が人差し指で下瞼をトントンと叩く。


「瞳の色、隠せてませんよ」


指輪の増幅器を着け始めた頃から、俺達の瞳は宝石のように輝くようになった。感情が昂るとぎらぎらと輝きを増し、リラックスしていたり、逆に疲れている時にも瞳の色がかわる。


「・・・千代君、どう?」

「キラッキラッですねェ」

「あちゃ、カラーコンタクト買いに行かなくちゃいけないや」


都が静かに溜息を吐いた。


「忠告しておくね」


顔を顰めて、横に振る。


「自分は『人間』だということを、くれぐれも忘れないように」


そう言って、談話室を出ていった。場が静まる。


「変容する不変」


直治が言った。


「なんだそりゃ」

「都に聞け」


きらり、直治の瞳が輝いた。
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