二百三十八話 家族団欒

文字数 2,483文字

「おいおいおい・・・」


出勤前にニュースを確認する時間。テレビでは愛坂の母親が不倫していたというニュースが特集されている。都はこの事態も予想済みなのだろうか。いつも通りに俺は自室を出て、都の部屋に向かう。

こんこん。


『どうぞ』

「失礼します」


ドアを開ける。都の部屋のテレビがニュースの続きを報道している。


「今日は早いわね」

「そりゃあね。都が桜子君と仲直りして平和になったと思ったのに」


俺はソファーに座った。


「意外と早かったわねえ」

「この事態も想定済み?」

「まあね。愛坂さんがニュースに気付くのが先か、椎名社長が焦って連絡してくるのが先か・・・」


ぴく、と都がなにかに反応した。誰かが階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、こんこんっ、と焦った様子でノックする音が鳴った。


「どうぞ」


少し乱暴にドアを開けたのは淳蔵だった。


「都っ、愛坂が部屋で暴れてる!」

「あらまあ」


都が呑気な声を出してゆっくりと立ち上がったので、折角階段を駆け上がってきたであろう淳蔵は困惑して首を傾げた。館の鍵は主である都と、管理人である直治が管理している。都は直治が開錠していると判断したのか、鍵を持たずに部屋を出た。俺と淳蔵も後に続く。都の読み通り直治が開錠していたらしく、愛坂の部屋の前には直治と千代が居た。


「都さァん! おはようございますぅ!」

「おはよう」


直治が気まずそうにしている。直治はなにも悪くないのに。部屋の中を覗き込むと、椅子を振り回したのか、窓ガラスが割れてテレビがうつ伏せに倒れていた。脚を一本失くした椅子の横で、愛坂が泣いているのを、桜子が腕を組んで見下ろしている。桜子の表情には隠し切れない嫌悪が滲んでいた。


「何事かしら?」


愛坂が都を睨み付ける。


「うーん、弁償は椎名社長にしてもらおうかな」


都が背を向ける。


「私を見てなんとも思わないのォッ!?」


愛坂が叫んだ。都は半歩下がり、身体を捻って愛坂を見る。


「知ってるんでしょッ!? 私っ・・・。私っ!! 生きる意味をっ、目的を失ってっ・・・!!」

「お前に興味ありません」


愛坂がぽかんと呆ける。


「生きる意味? 目的? 散々我儘を言って努力を怠ったのは貴方ですよ。やる気が無いのなら出ていってちょうだい」

「あんたに私のなにがわかるのよォッ!! 産まれた時から金持ちでっ!! 努力なんて知らずに生きてきたくせにっ!!」


俺は腸が煮えくり返った。

私のなにがわかるのよ、だと?

愛坂は都のことをなにも知らないくせに。都が今の幸せを手に入れるためにどれ程の努力をしたのか知らないくせに。そして、幸せであり続けることを許されず、時には苦痛と屈辱を味わわされていることを知らないくせに。


「今日の食事当番は?」

「俺です」


直治が答える。


「私の分は部屋に持ってきて」

「はい」

「では・・・」


都は階段を登り、自室に帰っていった。


「桜子、もういい」

「はい」


直治に声をかけられた桜子が、愛坂の部屋から出てくる。


「愛坂、壊したものは椎名社長に弁償してもらう。これ以上なにか壊すならそのつもりでいろ。それから、壊したものは自分で片付けろ」

「はあ!? 私は女優なのよ!?」


愛坂が一日一回は必ず言う台詞。


「ガラスなんて触ったら身体に傷が付くかもしれないじゃない!! 男のあんたが片付けなさいよ!!」

「お前、なにか勘違いしてないか?」

「なによ!?」

「都が言っただろう。お前達の秘密にも、お前自身にも『興味は無い』とな」

「だからなん、」

「うるせえッ!!」


直治が突然、声を荒げた。千代が吃驚してぴょんと後ろに飛び跳ねる。


「黙って最後まで聞け! 今、この館でお前を女優だと思っているのはお前だけだ! 敵対心丸出しで演技のレッスンだと割り切って『仕事』をすることもできないくせに、偉そうな口叩いてんじゃねえぞ!」

「おい」

「黙ってろ!」


直治は優しい。いや、優し過ぎる。『自分が我慢する』という考えからストレスを溜め込んでしまうので、爆発したら手が付けられない。制止しようとした淳蔵の方を見もせず、直治は愛坂を睨み付ける。愛坂は怯えからか眼に涙をためて身体をがくがくと震わせていた。直治の声は低くてよく響くので、怒鳴られたら怖いだろう。


「男の俺が片付けろ? 女扱いされたいならもっと上品に振舞え馬鹿が! 家族団欒の楽しい食事の席にテメェみたいな畜生が居たら台無しなんだよ全部全部ッ!! 掃除は身体が汚れるだの外に出たら肌が焼けるだの料理はネイルが剥がれるだのうるせえんだよッ!!」

「直治、飯当番だろ」


淳蔵が言うと、直治は舌打ちをして荒っぽい足取りで階段を降りていった。


「なんでキレるの・・・? 意味、意味わかんない・・・」

「あんたのせいで都が部屋に引っ込んじまったからだろ。宿泊客が居ない日に食堂に集まって食事をする時間は、仕事に忙殺されてる都がわざわざ時間を作って俺達と一緒に居てくれる貴重な時間なんだぞ?」

「・・・ずるい」


ぽろぽろと涙を零しながら、愛坂が言う。


「私、家族でごはん食べたことないのに。だから、だからわかんないんだもん。わからないんだもんっ!! 家族団欒の楽しい食事なんてしたことないもんっ!! おかしいでしょ!! おかしいでしょ!? あんた達、誰一人として血が繋がってないのに、家族団欒だなんて、おかしいでしょぉっ!?」

「愛坂さん」


桜子が優しく微笑む。


「もうお帰りになってはどうですか」


愛坂は悔しそうに唇を噛む。


「わたくし、限界です」


桜子は肩を大きく動かして息を吸い、吐く。


「わたくしが、至らないせいで、直治様をあそこまで追い詰めてしまったことが、悲しくて、もう、どうしようもありません・・・」


桜子は両手で顔を覆い、静かに泣き始めた。淳蔵が肩を抱いて、泣いている桜子を自室に連れていく。千代は腰に手をあて、首を捻った。


「しかたねーニャー。愛坂さん、片付けは手伝ってあげますから、今後どうするかは椎名社長と連絡をとって決めてくださいね」


愛坂は返事をしない。千代は部屋に入って『よいしょ!』と言いながらテレビを起こす。


「じゃ、俺は直治の手伝いでもするかな・・・」


俺はキッチンへ向かった。
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