二百八十話 花の例え

文字数 2,885文字

夕食の時間、椿は食堂に来るなり、


「直治さん、私の進退については社長に相談しましたので」


と言って、席に座った。


「そうか」


と直治は答え、その様子に椿は満足そうにしていた。今日の食事当番の千代、自主的に手伝っている桜子と文香が食事を運ぶ。椿は文香を見ると不満そうに顔を顰めた。仕事の話をしながら食堂に入ってきた都と淳蔵を見るとすぐに笑顔を取り繕ったが、椿の共犯者であるはずの裕美子はそんな椿を見て、呆れたような、馬鹿にしたような顔をして、こちらもすぐに笑顔を取り繕った。

全員、席に着く。都の『いただきます』の言葉で食事が始まる。


「文香さん、凄く可愛くなりましたね!」

「えっ、あ、ありがとうございます・・・」


裕美子の世辞は、文香を介した都への『偵察』なのか、椿に対する『裏切り』なのか。文香は吃音とまではいかないが、少しでも緊張すると受け答えに詰まるようだ。


「髪型と眼鏡、文香さんが選んで決めたんですか?」

「あっ、いえ、都様が考えてくださいました」

「わあ、都様、センスが良いですね!」

「ありがとう」


都が笑顔で答える。そこで会話は終わった。順番に食事を終え、それぞれの仕事に戻っていく。俺は駄目だとわかっているのに自分を制御できない。そんな自分が物凄く嫌なのに、都の部屋に行ってしまう。

こんこん。


『どうぞ』


ドアを開ける。俺は黙って鍵を閉め、ソファーに座った。


「ご機嫌斜めね」

「あんなモノに情けをかけて俺を苛つかせるな」


都は苦笑した。直治が都を責める時に使う台詞だ。都は仕事を中断して、小さな冷蔵庫から冷えたグラスを二つと、プルーンのジュースを取り出し、俺の対面に座るとグラスにジュースを注いだ。


「やきもちかな?」

「かもね」

「髪は鬱陶しいから切らせたのよ」

「眼鏡は?」

「目が悪いから」

「ふうーん?」


都は少し意地の悪い笑い方をする。


「美代って、小説を書いたことはある?」

「まあ、少し・・・」

「誰かに見せた?」

「は、わかってるくせに。都に見せてないってことは誰にも見せてないってことだよ」

「すッごく恥ずかしいもんね。酔狂なことだよ」

「それで?」

「椿さんと裕美子さんを選んだのはジャスミンだよ。私はなにも関与していない。文香さんが山に入ってきたのは偶然。ジャスミンは自分の『おやつ』にしようと思ったんだけど、文香さんの書きかけの原稿用紙を見て、こう考えたの」


『みやこがすきかも』


「文香さん、数年かけて書き続けている長編小説があるのよ。もうすぐ完成するの。それと、その『息抜き』に書いた小説も少しね」

「執筆の息抜きに執筆するの?」

「私の知り合いにもそういう人、居るよ。完成しなくても、アイディアとして残しておいたり、別の話とくっつけたりするんだって」

「再利用するんだ」

「そう。でね、文香さんが寝ている間にジャスミンに原稿用紙を持ってきてもらって、読んだの。アレを潰すのは惜しい。私が一冊欲しいだけ。手に入れたらジャスミンのおやつでもいいし、私達で食べてもいいし、知り合いの修道院に突っ込んでも、なんでも」

「・・・人のこと『酔狂』だなんて言えないでしょ。直治を泣かせてまですることじゃない」


都は肉体に激痛が走ったかのように顔を歪めた。


「泣かせるつもりは、」

「言い訳無用」


都は口を閉じ、二度、頷く。俺は責めるようにじっと見つめたあと、鼻から息を吐きながら苦笑した。


「直治に許してもらえたの?」

「許してもらえました」

「よろしい」


都は再び口を閉じ、二度、頷いた。


「で、文香君の小説のどこを気に入ったの?」


都はジュースを飲んで喉を潤すと、唇を舐めて濡らし、『んん』と小さく声を整えた。


「自分を花に例えるなんて、女はなんて傲慢な生きものなのだろう。どれだけ謙遜していても、女は皆、自分を花だと思っている。ただそこに佇んでいるだけで蝶のように美麗な男や、蜂のように働き者の男が自分に仕えてくれると思っている。そこに自身の美醜は関係無い。『女だから』という理由だけだ。そして、『女』とはそういう生きものだ」


そう諳んじて、都は、俺には見えない誰かを蔑むような顔をする。


「・・・誰を見てるの」


都は目蓋を閉じ、首を横に振った。


「美の化身みたいな人が、花に例えられるのを嫌うのかい?」

「美醜は人の主観に寄るでしょう」

「都の容姿を妬みじゃない理由で悪く言う人間、滅多に居ないけどね」

「馬鹿ばっかり」

「その卑屈さは既に傲慢ですよ。なんて、受け売りの受け売り」

「・・・美代は、自分の顔、好き?」

「好きになったよ。皆が『可愛い』って言ってくれるからね。キモいおっさんに言われたらブチッとキレちゃうけど」

「フフッ・・・。私も、美代と同じ、かな・・・」

「都は世界一美しい生きものだよ」


俺の嘘偽りない言葉に、都が恥じらう。


「そういえば、椿君の小説は読んだの?」


俺はわざと甘い雰囲気を吹き飛ばした。都はぱちぱちと瞬いたあと、顎に手をやって『うーん』と唸る。


「読んだ・・・」

「イマイチな反応だね」

「『純文学でない小説は低俗な小説だ』って言っててね。『芥川賞』を受賞した作品しか読まないんだって」

「あー、色々と察しました」

「椿さんの過去について、直治からどう聞いてる?」

「『格下』相手には馬鹿にしてとことんつらくあたって、『格上』相手には媚び諂いながらも蹴り落とす機会を伺い、容赦なく蹴り落としてのしあがるって聞いてるけど」

「オブラートどころかガムテープで包んだ言い方ね」

「実際どうなの?」

「『お友達料金』を毎月支払わせて、足りない子には私物を売らせるか盗みを働かせる。兄弟や姉妹、ペットを人質に取ってやりたい放題。国語や現代文のテストで自分より成績が良い子を見つけると、次のテストに出られないように嫌がらせ。文芸部の担任が自分の作品を推薦しなかったという理由で、手下を使ってロッカーに閉じ込めて、階段の上から蹴り落として生き地獄への片道旅行。推薦作品を書いた生徒も脅されて退部。ち、な、み、に、椿さんの小説が賞を貰ったことは一度もありません」

「最悪だ」

「『お友達料金』の使い道を聞いてからもう一度言いなさい」

「なにに使ったのさ」

「仲良し四人組で京都旅行よ。美味しいものを沢山食べて、綺麗な写真をいっぱい撮って、豪勢な旅館に泊まって、出版社に持ち込む小説のアイディアの出し合い。ま、そのあとに色々雑談もしてたけどね」

「・・・ねえ、もしかして、文香君にこの部屋で小説の続きを書かせてるの?」

「バレたか」

「椿君から守るために『仕事』と偽って?」

「そう」

「そりゃ直治も泣くわ・・・」


都は再び顔を顰めた。


「直治にこの話は?」

「しました」

「淳蔵は?」

「まだです」

「俺から言っていいよね?」

「はい・・・」

「ジュース、ごちそうさま。帰ります」

「またお越しくださいませ」


俺は都の部屋を出た。階段の下では、ジャスミンがオスワリをして待っている。


「なんだ? お前も泣かせるつもりはなかったってか?」


きゅんきゅん。


「・・・しっかり働け、セラピードック」


ジャスミンが階段を降りていく。直治の事務室に行ったのだろうか。俺は溜息を吐いてから、淳蔵の部屋に行った。
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