二百十二話 弥生姉さん

文字数 2,434文字

麓の町までは自家用車で降り、レンタカーを三台借りた。ホムンクルス達を救出したあとの護送のためだ。トランシーバーがわりに鴉、鼠、蛇をそれぞれ交換して車に乗せ、俺を筆頭に、直治、美代の順に車を走らせる。俺の車の助手席に乗っている桜子が雅の話を聞きたがるので話してやると、静かになにかを考え始めた。


『淳蔵、直治』

「どうした?」

『尾行されてる。燃やしていいか?』

「桜子、尾行されてる。美代が言うんだから間違いない。燃やしちまっていいよな?」

「どうぞ」


美代の車の助手席に乗っていた鴉の俺は、座席をよじ登って後ろを見る。少し距離を開けて走っていたらしい黒い車が炎に包まれ、蛇行しながら速度を落とし、やがて見えなくなった。


「燃やしたぜ」

「『使い魔』に『特殊能力』とは、恐ろしいですね・・・」

「なんかむず痒い単語だなァ」

「『悪魔』は恐ろしい生きものなのだと再確認しました」


桜子は知らない。ずっと勘違いをしている。純正の悪魔はジャスミンであって、俺達は人間をベースにした『改造品』のようなものだ。そして、俺達も知らない。都は一体、なんという名前の生きものなのか。都は『人間』を自称しているが、人間にはできない芸当をいくつも成し得る。俺達よりも質の良い『改造品』なのか、悪魔と契約、いや、手懐けた『極東の魔女』なのか、強大な力は『悪魔』の域に達しているのか、最早『神』なのか。

その後、特に怪しいことは起こらず、最小限の休憩を挟みながらイリスの研究所に向かう。事前に計画した最後の休憩ポイントに着いた。時刻は早朝。『人間』としてはこれから活発的になる時間帯だが、『人間ならざる者』としては夕暮れから深夜にかけてのほうが力が出る。万全を期すため、夕暮れまで休み、夜に乗り込むことにした。


『寝る』


直治は一言そう言うと、座席を倒してさっさと寝始めた。『外』の世界が苦手な直治が一日半も運転していたのだから、疲れるのも無理はない。直治の呼吸はすぐに深いものになった。


「近くにコンビニあるから飯買ってくるか」

『美容に良いモン頼むわ』

「サラダとか?」

『カツカレーの気分』

「どこが美容に良いんだよ・・・」


電子マネーは『足』がつく。イリス側に位置情報がバレる可能性がある。俺は財布を取り出した。


「桜子、コンビニに行くぞ」

「車の見張りはよろしいのですか?」

「美代がやる。直治は寝ちまった。それに、」


俺は車のドアを開け、外に出て、車の中の桜子を覗き込む。


「俺はお前を信用していない」


桜子はいつも通りの冷静な表情のまま少し静止したあと、コクリと頷き、車のドアを開けて外に出た。


「信用していないのに、雅さんのお話は聞かせてくださるのですね」

「あれは都が『いい』って言ったからだ。勘違いすんな」

「大変失礼しました」


コンビニで美代のカツカレーと、俺と直治と桜子の食事、飲みもの、念のために栄養ドリンクと、直治の目を覚まさせるためにレモンの果汁がたっぷり入った炭酸飲料を買う。桜子が自分の分を支払おうとしたので手で軽く制して俺が全額払うと、『ありがとうございます』と礼を言った。美代の分の食事を車に届け、俺と桜子は車に戻る。


「桜子って抹茶好きなの?」

「え・・・」

「飲みものだよ。冷蔵庫の前で吟味してたじゃねえか」

「・・・わたくし、ではなくて、『姉さん』が」

「『姉さん』?」

「先代の側近のホムンクルスです。彼女、273は『弥生』という名前を先代に頂いて、大変可愛がられておりました。実は先代は大変な親日家でして、日本旅行中に出会った日本人女性と恋に落ち、結婚のお許しを得るために母国から日本へ渡りました」

「そういえばイリスの母親って・・・」

「イリスを出産するときに、お亡くなりになりました」

「そうかァ・・・。そんで?」

「抹茶は弥生が好んで口にしていたものなのです。おかしいですよね、あの人ったら、『安っぽければ安っぽい程良い』と言って、舌に粉の食感が残るような、甘ったるい抹茶のお菓子を、イリスに隠して、こっそりわたくしに食べさせてくれたのです。二人だけの秘密でした」


桜子は親指で抹茶飲料のペットボトルの表面を撫でた。


「弥生は不穏分子への見せしめとして、初めて圧搾機にかけられたホムンクルスなのです。彼女の中にあった悪魔の血は、わたくしの身体の中に。あまり上手く言えませんが、こうしていると、弥生が、姉さんが、喜んでくれるような気がして・・・」

「成程ね。いいんでないの?」

「・・・そう、ですか?」

「そうだよ」

「・・・ありがとうございます」


桜子が、薄く笑う。幼い頃の柔らかい思い出、悲しみ、そして後悔。そんなものを、俺は桜子の笑みから感じ取った。

難儀なヤツ。

俺の視点で見る限りでは、桜子も金鳳花も、生来に問題を抱えているだけで、至って『普通の人間』に見える。『完璧なホムンクルス』。そんな考えを凝り固まらせているイリスが、酷く馬鹿馬鹿しく思えた。

昼過ぎ、寝起きの悪い直治を炭酸飲料で目覚めさせて、食事を摂らせる。そして夕暮れ、最後の休憩ポイントを出発して、予定通り夜にはイリスの研究所がある森の前に辿り着いた。俺達は車を降りる。


「ここからは歩きです」


俺は直治の肩に鴉を一羽乗せ、髪が短くなるまで鴉を出すと、車の周辺に張り巡らせた。


「車の見張りはお任せあれ」

「よし。桜子、お前は一番前だ。案内役で肉の盾。俺達はお前が死のうが生きようがどうでもいい。それに、背中から刺されたら堪らないからな。わかったらさっさと行け」


美代が言い放つ。


「わかりました。では、案内します」


三人が歩き始める。夜の森には生きものが溢れているはずなのに、しん、と静まり返っている。嵐の前の静けさ、というヤツだ。これから起こるであろう惨劇。美代と直治の心配はしていない。いないが、もし、桜子が死んだり、ホムンクルス達を救えなかったら、都はこころを痛めるだろう。いや、都も本当はわかっている。ホムンクルス達は、きっと・・・。


「うーん・・・」


そう、小さく唸った。
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