三百二十七話 いいんじゃない?

文字数 2,182文字

「ん?」


書斎に見慣れない本があった。それも三冊も。どの本も読み込まれていて、少し古びている。ピンクと水色の付箋が沢山ついていた。


『ママと赤ちゃんのための離乳食』

『子供が育つ魔法のレシピ』

『お野菜とお友達になれるごはん集』


恐らく、都のもの。駄目だとわかっているが、俺は迷わず手に取った。都の字と、別の誰かの字で細かくメモがされている。その中には『みーちゃん』の名前が。


「ッチ」


みーちゃん、半田雅。

都の『身代わり』として一条家で育てた存在。この誰かの字は、母親の美雪の字で間違いないだろう。ぱらぱらとページをめくってみる。付箋がないページにも文字が書き込まれている。食べた時の反応や、よく食べるもの、苦手なもの、苦手なものはどう工夫すれば食べたか、どの品種の野菜や果物を使ったか、など。

俺は雅が嫌いだ。雅が死んだ今も。

少し考えて、本を自室に持ち帰り、鍵付きの引き出しの中に閉じ込めた。

翌日、早朝。

庭で火を焚く俺を見つけた淳蔵の鴉が、俺の肩に降りてきた。


「淳蔵、今日は早いな」

『おう。早く起きちまった日は目覚ましも兼ねてパトロールしてるんだよ。なに燃やしてんだ?』


一条家が庭でなにかを燃やす時。それは一条家にとって良くないものを燃やしている時だ。


「雅」

『・・・なに燃やしてんだよ』

「なにも燃やしてねえよ。火を見つめてるだけだろ」


淳蔵が火を覗き込むように身を迫り出す。


「嫌なモン、見つけちまってな」


俺は舌で唇を濡らした。


「本当は燃やしてしまいたい。でも、卑屈な手段で復讐しても、あとで俺が都に怒られるだけだからな。雅のせいで都に怒られるなんて馬鹿らしい。許せねえんだよ」


ぱちぱちと弾ける音が心地良い。


「だから火を見てた。頭の中のものを色々燃やしてたんだ。いくらでも湧いてくるからずっと見てられそうだ」

『嫌ってんなァ』

「まあな。千代と桜子も、殺しておけばよかったと思う瞬間がある」

『怖いのう』

「お前も美代もな」

『お互い様じゃい』

「許せねえんだよあのガキ。都は俺の母親だ。そうだろ?」

『俺のママだ馬鹿野郎』

「身代わりの役目を終えたあの夜に、あのままにしておけばよかったんだ」

『・・・俺はそうは思わないけどな』

「あ?」

『子育て経験ある方がエロいだろ』

「なに言ってんだテメェ」

『冗談だって。またあとでな』


淳蔵が飛び去っていく。


「・・・馬鹿馬鹿しい」


暫く火を見つめたあと、後始末をして館に戻る。俺の部屋の前で都が困った顔をして立っていたので、本を持ち去ったことがバレたのかと心臓が冷えた。


「直治、よかった。今、電話しようか迷っていたところなの」


足早に俺に近付いてきた都が、小声で言う。


「どうした?」

「ちょっと中で」

「わかった」


部屋の鍵を開け、二人で中に入る。都は窓を開けて外を確認すると、窓とカーテンを閉めた。俺も察して、部屋の鍵を閉める。


「ジャスミンが、困ったことを言い出して、その・・・」


珍しく歯切れが悪い。


「そろそろ新しいメイドを雇うでしょ? 今日郵送されてくる履歴書の人物を、ジャスミンが雇おうって言ってて、でも、その人が、あの・・・」

「都、大丈夫だ。落ち着いて、ゆっくり」


言い淀む都の両肩に手を乗せる。


「直治、ごめんなさい。私、一人で、その、判断することができなくて・・・」


都は唇を噛み締めてから、開く。


「ジャスミンが雇いたい人物は、淳蔵の、姪、なの」

「な・・・」


淳蔵の、姪?


「淳蔵の両親について、本人からなにか聞いてる?」

「父親はヤクザの構成員で、母親はその愛人の舞台女優だったって話は・・・」

「言って、いいのかしら・・・」

「聞かせてくれ」

「あの・・・、淳蔵の父親は、もう死んでるの。母親はまだ生きていて、別の男の子供を産んで、淳蔵の、妹、になるんだけど、その妹が産んだ子供が、ジャスミンは『偶然だよ』って言っていたけれど、一条家にメイドとして・・・」

「ジャスミンはなにが目的で雇おうとしているんだ?」

「教えてくれないの。何度問いただしても・・・」

「・・・淳蔵の姪は、なんの罪を犯したんだ?」


都の口から告げられた罪状に、俺は言葉を詰まらせる。


「直治、私、どうすれば・・・」


こんこんこん。ノック三回、呼び出す合図。俺がドアを開けると、『白い男』がにっこりと笑って立っていた。


「なっ、」


俺の腕を掴むと乱暴に外に引っ張り出して、ドアを閉める。カチ、と小さな音が鳴った。


『ちょっと! ジャスミン! なにしてるのっ!』


ガチャガチャとドアを開けようとする音が鳴る。


『ジャスミン!! ジャスミン開けなさい!!』


都が叫ぶように言っても、ジャスミンは笑みを崩さず、俺を見下ろし、淳蔵の部屋を指差す。


「・・・俺が言いに行けってか?」


頷く。


「あとで都になにをされても知らないからな」


再び頷く。仕方なく、俺は淳蔵の部屋のドアをノックした。

こんこん。


『どうぞ』


部屋に入り、鍵をかける。


「どうした?」


壁が分厚いせいか、ジャスミンの力が働いているのか、都の声は聞こえなかったらしい。


「淳蔵、実は・・・、」


青天の霹靂、であるはずの話を淳蔵は、


「あ、そうなの。いいんじゃない?」


と、軽く答えた。


「直治、二度言わせるなよ」


客用のとびっきりの笑顔を作っているが、目が全然笑っていない。


「しかしまあ、なんというか・・・」


呆れたように、そして自虐するように。


「血は争えないのかねえ・・・」


笑ったまま、そう言った。
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