百三話 波乱の幕開け

文字数 2,654文字

こんこん。


「どうぞ」

『失礼しまァす!』


千代が事務室に入ってきた。


「どうした」

「あのぉ、激怒通り越して憤怒するのわかってて言いますね?」

「んん?」

「常連の田崎御夫妻、の、息子さんの浩様が、スーツを着て薔薇の花束とギターを持って、談話室に突入しようとしています。現在、談話室では、都様が田崎御夫妻と営業トーク中です」

「あぁ?」

「なんでも、以前、御両親に連れられて館に宿泊された時に、都様に一目惚れしてしまったらしくって、御両親には内緒でプロポーズする、とのことです。家族公認の仲になりたいので、息子である直治様達を談話室に呼んでほしいと、かーなーりーしつっこぉく言われまして、私の立場ではこれ以上お断りできません。お助けください」

「ッチ、淳蔵と美代呼んでこい。事情も伝えろ」

「はァい!」


俺は談話室に向かった。


「あら、直治」

「おお、直治さん、こんにちは」

「田崎さん、こんにちは」


客用の配置ではなく、都の横に座る。都は不思議そうな顔をしたが追及はしなかった。少し遅れて能面みたいな表情の美代がやってきて、挨拶もそこそこに都の横に座る。最後に淳蔵が爽やか過ぎる笑顔を浮かべてやってきて、都の左手に座った。田崎夫婦は都の対面だ。


「それにしても、都さん、思い切ったことをしましたねえ。神秘的な森に館がドンと建っているのも厳かな雰囲気で良かったんですけれど、綺麗なタイルに、ゆっくりと落ち着けるベンチ、大きな噴水まで。なんて素敵なんだろうと思って噴水をよーく見たら、あははははっ、おもちゃがいっぱい! アヒルの大群にゾウのジョウロ、色とりどりのボールがぷかぷか浮いていて、なんて愛らしいんだろうと笑ってしまいましたよ。ジャスミン君の仕業でしょう?」

「フフフッ、すみません。おもちゃは取り上げて隠しても、気付いたら噴水に浮かんでいるんですよ。こちらも意地になって一時間おきに回収してみたんですけど、ジャスミンの方が一枚『上手』でして・・・」


夫人が都と談笑している。旦那の方は寡黙だが穏やかな人なので、にこにこ笑って相槌を打っている。


「あら? そういえば浩がお手洗いに行ってから随分経ちますねえ。具合でも悪いのかしら?」

「ああ、俺が様子を見に行、」


旦那が言いかけたところで、


「失礼しまあッス!!」


と、爆音に近い声が響いた。浩が中に入ってくる。


「なっ、浩、お前なんだその恰好は?」

「あ、貴方、なにしてるの?」

「た、田崎浩、二十六歳! 職業は印刷会社の社長! この度、一条都さんと、結婚を前提にしたお付き合いをしたく、都さんへの愛を込めた薔薇の花束と、歌を一曲、持参してきました! お聞きください、『愛のうた』!」


浩はギターを弾きたかったのだろうが、花束が邪魔で弾けない。母親である夫人に押し付けるようにして持たせると、不愉快な調べを奏で始めた。


「もーしーきーみにー、ひーとーつーだけー、ねーがーいーがかーなうーとーしーたらー、いーまーきーみはー、なにをねーがうのー、そっとーきかーせてー・・・」


短い歌なのか、好きなところだけ歌ったのかはわからないが、すぐに終わった。呆然としている夫人から花束を奪い取るようにすると、都に近付こうとする。それを美代が立ちはだかって阻止した。


「おおおっ、お願いです! 告白させてください!」

「お断りします」

「貴方に告白してるんじゃないんです! お、俺、あ、いや、僕は都さんに、」

「お引き取り下さい」

「と、父さぁん! 母さぁん! なんとか言ってやってくれよ!」


バンッ! と夫人がテーブルを叩いた。


「あ、あああ、貴方なんッて失礼なことしてるのォォォッ!!」


ワタワタとした動きで夫人は浩に近付くと、羽交い締めするように抱き着いた。


「そんなことされてお相手が喜ぶとでも思ってるのッ!? 二十六にもなってそんッなこともわッからないのォ!?」

「わかるわけないだろぉ!? 俺が今まで女性経験が無かったのは、都さんに初めてを捧げるためだったんだもん!! 都さんを見て、俺、感じたんだよ!! 運命は存在するんだって!! 結ばれなくても、報われなくても、都さんは、たった一人の運命の人なんだよぉ!!」


どっかで聞いた歌みたいなこと言ってやがる。


「都さん、すみません!! 息子は今すぐ私が家に連れて帰ります!!」

「あ、ああ、い、いいえ、あの、」

「そうしてください」

「な、直治、」

「田崎さん、息子さんを家に連れて帰ってください」

「やだやだやだやだやだあああああ!! 結婚して、ここに住むんだあああああああ!!」


浩はテーブルの上に乗るとひっくり返り、幼児のように駄々をこね始めた。田崎夫婦がそれを止めようとするが、危なくて近寄れない。それを淳蔵が気にせず服を掴んで引っ張り上げ、談話室の前の廊下の壁まで放り投げた。まさか放り投げられるとは思っていなかったのか、浩は壁に叩きつけられた痛みよりも驚きが勝って、ぽかんと呆けている。淳蔵は手をぱんぱんと叩き合わせて埃を払うような仕草をした。


「田崎さん、今後のお付き合いはやめましょう。都、それでいいな?」

「あう、あの・・・」

「も、申し訳ありません!! 本当に本当に、申し訳ありませんでしたあ!!」

「すみません!! 今すぐ帰ります!!」

「二度と息子さんが変なことをしないように、きっちり監視してくださいね」

『はい!!』


言葉通り、すぐに田崎親子は帰って行った。美代がチェックアウトの対応をする。俺達はその間ずっと、談話室に居た。都は気分が悪いのか身を屈めて座っていて、隣に座った千代が背中を擦っている。美代が談話室に戻って来るなり、眉間の深い皺を抓んで溜息を吐いた。


「淳蔵、直治。暫くの間、門扉開けるときはアレが入ってこないよう、お前ら本体が見張ってこい。駄目な時は俺が行く」

「おう」

「わかった。しっかしなんだァあいつ・・・」


かちゃかちゃ。


「ジャスミン・・・」


都はジャスミンを抱きしめた。


「・・・え?」


ジャスミンが都の顔をぺろぺろ舐めて、『わん!』と鳴く。


「嘘でしょ?」


都が額に手を添えて、盛大な溜息を吐く。


「なんて?」

「ジャスミンがなんであの馬鹿を敷地内に入れたか、わかる?」

「いや・・・」

「あの馬鹿が最初で最後だから、だって。しばらく我慢すれば、二度とあの馬鹿みたいなのは現れないから、頑張って、って・・・」


俺達は一斉にジャスミンを睨んだ。ジャスミンは伏せて上目遣いになり、悲しそうな顔をした。


「死んでも都を守るぞ。いいな、兄弟」


美代が言う。


「おう」


淳蔵が答えた。


「おう」


俺も答えた。
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