七十六話 反故
文字数 2,621文字
クリスマス。一条家にイベントを祝う風習は無い。無い、が、都が『たまには休みなさい』と言ってあまり仕事をしないようにと命令されたので、俺は談話室でテレビを見ていた。美代はパソコンで雅の一人暮らしの下調べをして、淳蔵は雑誌を読んでいる。雅は友人の家のクリスマスパーティーに呼ばれて泊ってくるらしく、明後日まで帰ってこない。
「直治様」
「休憩か、いいぞ」
「ありがとうございます」
千代の様子がおかしい。いつもより多めに休憩を取りに来るし、なにより元気が無い。
「千代」
「はい?」
「具合でも悪いのか?」
「あっ、いいえ・・・」
「隠すな。今日はもうあがっていいぞ」
「そ、そんな・・・」
「千代君、本当に具合が悪そうだぞ。今日の食事当番なら俺がかわるから」
「いいえ・・・」
「なんだァ? お前らしくない」
「・・・あの、」
千代が談話室に入り、ソファーに座る。
「変な夢を見るんです」
夢。つまりジャスミンが。
「私、変な欲求がムクムクと沸き上がってきて、おさえきれそうになくて、そんな自分が怖くて・・・」
千代は泣き出してしまった。
「変な欲求?」
「絶対に人には言えないような欲求です・・・。都様にも言えません・・・」
かんかんかん、と玄関のドアノッカーを叩く音がした。
「ああっ、配達の人ですねェ! 私、ちょっと見てきますぅ!」
千代は無理やり笑顔を作って、そそくさと談話室を出て行った。俺達は顔を見合わせる。
「夢、ね・・・」
「変な欲求、なあ・・・」
「敬愛している都にも言えない、ときたか・・・」
きゃああっ、と千代の悲鳴が響いた。俺達は慌てて玄関に行く。
「なっ、お前!!」
「よう、ばあさん呼んでこいよ」
刺青の女が千代を人質にとっていた。左手で千代の両手を後ろに縛り、右手には鋭利なナイフを持ってゆらゆら揺らしている。
「おっと、それ以上近付くんじゃないよ。近付いたらこのメイドさんの首を掻き切るぜ」
「な・・・直治様ぁ・・・」
千代は小便を漏らしていた。怖いのだろう。
「美代、都を呼んでこい」
「ッチ、クソが・・・」
淳蔵に言われて、美代が都を呼びに行く。
「なにが目的だ?」
「あの犬が欲しい」
俺は答えを返せなかった。ここで『駄目だ』と答えたら、千代は犬以下になってしまう。二人分の足音が聞こえて、後ろに美代と都の気配を感じた。
「二度と来ないはずでは?」
「またお越しくださいませつったろ」
「あら」
「ハハハ」
「もうやめにしませんか? こう頻繁にちょっかいをかけに来られたら困るのですけれど」
「犬をくれたら考えてやる」
こつ、こつ、都が進み出て、美代が付き従う。俺達は一列に並んだ。
「千代さん」
「み、みやこさま・・・、た、たす・・・」
「貴方はどんな夢を見る?」
千代は涙をぽろぽろと零しながら、不思議そうな顔をした。
「ばばあ! 私と喋ってる途中だろうが!」
刺青の女が苛立った様子で叫ぶ。
「千代さん、どんな夢を見た? どんな夢を見てる?」
「わ、わたし・・・。ずっと、ずっとみやこさまと、いっしょに・・・。あつぞうさまと、みよさまと、なおじさまと、みやびさんと・・・」
千代の様子がおかしい。瞳が上を向いて、涎を垂らしながら笑っている。
「ばばあッ! なにしてやがる! こいつ殺してもいいのか!?」
「あれぇ? えへへ・・・。みんな、わるいひとなんですねぇ・・・。わたしもなんですよぉ・・・」
「無関係な人間を殺したら後始末が大変ですよ。やめておきなさい」
「みやこさま・・・。あのね、わたし・・・。ちいさいころ、しんゆうをたすけようとおもって、しんゆうをいじめていたこをぬまにつきおとして、ころしたんです・・・」
淳蔵と美代が俺を見る。俺は頷いた。
「おなか、おなかすいてるんです・・・。たべてもたべてもげんきになれなくて・・・。おにく、おにく・・・」
「千代さん」
「はぇ?」
「肉ならそこにあるじゃない」
都は意地悪な笑みを浮かべて、刺青の女のナイフを持つ右手を指差した。千代は輝くような笑顔を見せると、刺青の女の右手に噛みついた。刺青の女はナイフを落とす。千代の両手を拘束していた左手で千代の首を掴んで引き剥がそうとしたが、千代は解放された両手を使って刺青の女の右手をがっしりと掴むと、バキボキと骨を噛み砕く音を立てながら貪り始めた。刺青の女の絶叫が響き渡る。刺青の女の手首から先が千代の胃袋の中に消えていった。
「都様ァ、手って不味いですねェ! 骨がいっぱいだし爪の食感は最悪です!」
千代は顔中血だらけになっていて、瞳が粘膜のようなピンク色に輝いていた。
「直治が仕込みをしてくれた肉は美味しいわよ。今度食べさせてあげるわね」
「直治様ァ! ありがとうございます!」
「お、おう・・・」
「ッグ、ウウッ!!」
刺青の女が暴れて、千代からなんとか身体を放す。
「またお越しくださいませ」
「二度とこねーよッ!!」
そう吐き捨てて去っていった。
「あー、お肉ぅ・・・」
千代が名残惜しそうに玄関を見たあと、俺達を見てにやっと笑ったので、俺達はたじろいだ。
「千代さん、貴方、今年で幾つになった?」
「二十九歳です! 今年最後の二十代なんですよォ」
「息子達の歳、覚えてる?」
「ええと、淳蔵様二十六歳、美代様三十歳、直治様二十八歳でしたっけ?」
「雅さんの歳は?」
「ぷりっぷりっの十八歳ですねぇ!」
「ジャスミンは?」
「二歳です!」
「私の歳は幾つかしら?」
「永遠の十五歳です!」
「肉、また食べたい?」
「新しいメイドさんを雇ってくださるのが楽しみですゥ! あっ、勿論、先輩として一生懸命仕事を教えますよ!」
「貴方が喰い散らかしたんだから、ここは貴方が綺麗に掃除するのよ。私、息子達と話があるから」
「はァい! 掃除、頑張ります!」
都が談話室に歩いていく。俺達は後を追った。
「・・・という夢を見ているのよ」
「ジャスミンのやつ、年老いて出て行くまで手元に置いておくとか言ってなかったかい?」
「犬は自由気ままな生きものですので、嘘を吐いたり約束を反故にしたりします」
「なんでもありかよ・・・」
「ジャスミン、そこに居るんでしょ? 来なさい」
のっ・・・、とジャスミンが鼻だけ見せる。淳蔵が吹き出した。
「こんなこと、二度はないわよ、ジャスミン。一週間おやつ抜き、ダイエットフードの刑に処す」
都はそう言って談話室を去っていった。
「マジかァ」
「家族が増えたね」
「妹じゃなくてメイドだけどな」
「二度と都を怒らせるなよ、馬鹿犬」
淳蔵が言う。ジャスミンはにぱっと笑って去っていった。
「直治様」
「休憩か、いいぞ」
「ありがとうございます」
千代の様子がおかしい。いつもより多めに休憩を取りに来るし、なにより元気が無い。
「千代」
「はい?」
「具合でも悪いのか?」
「あっ、いいえ・・・」
「隠すな。今日はもうあがっていいぞ」
「そ、そんな・・・」
「千代君、本当に具合が悪そうだぞ。今日の食事当番なら俺がかわるから」
「いいえ・・・」
「なんだァ? お前らしくない」
「・・・あの、」
千代が談話室に入り、ソファーに座る。
「変な夢を見るんです」
夢。つまりジャスミンが。
「私、変な欲求がムクムクと沸き上がってきて、おさえきれそうになくて、そんな自分が怖くて・・・」
千代は泣き出してしまった。
「変な欲求?」
「絶対に人には言えないような欲求です・・・。都様にも言えません・・・」
かんかんかん、と玄関のドアノッカーを叩く音がした。
「ああっ、配達の人ですねェ! 私、ちょっと見てきますぅ!」
千代は無理やり笑顔を作って、そそくさと談話室を出て行った。俺達は顔を見合わせる。
「夢、ね・・・」
「変な欲求、なあ・・・」
「敬愛している都にも言えない、ときたか・・・」
きゃああっ、と千代の悲鳴が響いた。俺達は慌てて玄関に行く。
「なっ、お前!!」
「よう、ばあさん呼んでこいよ」
刺青の女が千代を人質にとっていた。左手で千代の両手を後ろに縛り、右手には鋭利なナイフを持ってゆらゆら揺らしている。
「おっと、それ以上近付くんじゃないよ。近付いたらこのメイドさんの首を掻き切るぜ」
「な・・・直治様ぁ・・・」
千代は小便を漏らしていた。怖いのだろう。
「美代、都を呼んでこい」
「ッチ、クソが・・・」
淳蔵に言われて、美代が都を呼びに行く。
「なにが目的だ?」
「あの犬が欲しい」
俺は答えを返せなかった。ここで『駄目だ』と答えたら、千代は犬以下になってしまう。二人分の足音が聞こえて、後ろに美代と都の気配を感じた。
「二度と来ないはずでは?」
「またお越しくださいませつったろ」
「あら」
「ハハハ」
「もうやめにしませんか? こう頻繁にちょっかいをかけに来られたら困るのですけれど」
「犬をくれたら考えてやる」
こつ、こつ、都が進み出て、美代が付き従う。俺達は一列に並んだ。
「千代さん」
「み、みやこさま・・・、た、たす・・・」
「貴方はどんな夢を見る?」
千代は涙をぽろぽろと零しながら、不思議そうな顔をした。
「ばばあ! 私と喋ってる途中だろうが!」
刺青の女が苛立った様子で叫ぶ。
「千代さん、どんな夢を見た? どんな夢を見てる?」
「わ、わたし・・・。ずっと、ずっとみやこさまと、いっしょに・・・。あつぞうさまと、みよさまと、なおじさまと、みやびさんと・・・」
千代の様子がおかしい。瞳が上を向いて、涎を垂らしながら笑っている。
「ばばあッ! なにしてやがる! こいつ殺してもいいのか!?」
「あれぇ? えへへ・・・。みんな、わるいひとなんですねぇ・・・。わたしもなんですよぉ・・・」
「無関係な人間を殺したら後始末が大変ですよ。やめておきなさい」
「みやこさま・・・。あのね、わたし・・・。ちいさいころ、しんゆうをたすけようとおもって、しんゆうをいじめていたこをぬまにつきおとして、ころしたんです・・・」
淳蔵と美代が俺を見る。俺は頷いた。
「おなか、おなかすいてるんです・・・。たべてもたべてもげんきになれなくて・・・。おにく、おにく・・・」
「千代さん」
「はぇ?」
「肉ならそこにあるじゃない」
都は意地悪な笑みを浮かべて、刺青の女のナイフを持つ右手を指差した。千代は輝くような笑顔を見せると、刺青の女の右手に噛みついた。刺青の女はナイフを落とす。千代の両手を拘束していた左手で千代の首を掴んで引き剥がそうとしたが、千代は解放された両手を使って刺青の女の右手をがっしりと掴むと、バキボキと骨を噛み砕く音を立てながら貪り始めた。刺青の女の絶叫が響き渡る。刺青の女の手首から先が千代の胃袋の中に消えていった。
「都様ァ、手って不味いですねェ! 骨がいっぱいだし爪の食感は最悪です!」
千代は顔中血だらけになっていて、瞳が粘膜のようなピンク色に輝いていた。
「直治が仕込みをしてくれた肉は美味しいわよ。今度食べさせてあげるわね」
「直治様ァ! ありがとうございます!」
「お、おう・・・」
「ッグ、ウウッ!!」
刺青の女が暴れて、千代からなんとか身体を放す。
「またお越しくださいませ」
「二度とこねーよッ!!」
そう吐き捨てて去っていった。
「あー、お肉ぅ・・・」
千代が名残惜しそうに玄関を見たあと、俺達を見てにやっと笑ったので、俺達はたじろいだ。
「千代さん、貴方、今年で幾つになった?」
「二十九歳です! 今年最後の二十代なんですよォ」
「息子達の歳、覚えてる?」
「ええと、淳蔵様二十六歳、美代様三十歳、直治様二十八歳でしたっけ?」
「雅さんの歳は?」
「ぷりっぷりっの十八歳ですねぇ!」
「ジャスミンは?」
「二歳です!」
「私の歳は幾つかしら?」
「永遠の十五歳です!」
「肉、また食べたい?」
「新しいメイドさんを雇ってくださるのが楽しみですゥ! あっ、勿論、先輩として一生懸命仕事を教えますよ!」
「貴方が喰い散らかしたんだから、ここは貴方が綺麗に掃除するのよ。私、息子達と話があるから」
「はァい! 掃除、頑張ります!」
都が談話室に歩いていく。俺達は後を追った。
「・・・という夢を見ているのよ」
「ジャスミンのやつ、年老いて出て行くまで手元に置いておくとか言ってなかったかい?」
「犬は自由気ままな生きものですので、嘘を吐いたり約束を反故にしたりします」
「なんでもありかよ・・・」
「ジャスミン、そこに居るんでしょ? 来なさい」
のっ・・・、とジャスミンが鼻だけ見せる。淳蔵が吹き出した。
「こんなこと、二度はないわよ、ジャスミン。一週間おやつ抜き、ダイエットフードの刑に処す」
都はそう言って談話室を去っていった。
「マジかァ」
「家族が増えたね」
「妹じゃなくてメイドだけどな」
「二度と都を怒らせるなよ、馬鹿犬」
淳蔵が言う。ジャスミンはにぱっと笑って去っていった。