百三十二話 改造銃

文字数 2,803文字

「はあ・・・、はあ・・・、はあ・・・」


腕も膝もがくがくと震えている。平常時ではこれが限界だ。


「今日はもう終わりにしよう」


淳蔵が言う。


「わ、悪い・・・」

「夜になれば力も出る。一分に一発撃てればそれでいいんだ。あんまり肩に力を入れるな」

「・・・ふぅー」


俺はその場に膝をついて座った。淳蔵が横にしゃがみ込む。と、がさがさと草木が揺れた。ぴょこん、と千代が顔を出す。


「にゃあん、なんつて!」


チェシャ猫のように笑い、手をひらひらと振る。手首には蛍光色の黄色いリボンが巻き付けられていた。千代は音もなく草木の中に消える。入れ替わりに直治が出てきた。


「終わったぞ」


俺は庭の森を見渡した。突き刺さったマスケットと、細い鉄の棒。


「さあ、あとは夜を待つだけだ」


その日の、夜。


「まあ、七十九歳なんですか?」

「ハッハッハッ! 見えないでしょう? 健康診断でも医者が驚くくらいなんですよ」


そう答えた男の右目は、白く濁っていた。


「若さの秘訣はなんですか?」

「目の前にありますよぉ?」

「目の前?」


都がきょろきょろと辺りを見渡す。


「イ、イ、オ、ン、ナ・・・」

「・・・やだ、本気にしちゃう」

「本気ですよ? 綺麗な若い女の『汁』は、若さの妙薬です」

「ウフッ、逞しい御方。私、逞しい殿方が好きなんです・・・」


都がそっとブラウスのボタンを外し、白い下着をちらりと見せる。


「おお・・・!」

「無理やり組み敷かれて乱暴に、なんて想像したら・・・。ねえ、外にいらして。今日はお客様は貴方だけ。息子達も遊びに出掛けていますし、メイドは広い館を掃除するのが忙しくて外には来ませんわ・・・」


都は談話室を出た。男もすぐあとを追う。


「あれっ? も、もう居ない・・・」


ばたん。玄関のドアが閉まる音。


「へ、へへへ・・・」


男は都を追いかける。追いかける。


「ん? なんだぁ、これ・・・? 細長ぇ銃に、鉄の、棒・・・?」


がさがさ。黄色いリボンを付けた白い手首が揺れる。


「おっおっ、そっちか都さん。へへ、追いかけっこなんて、夢見る乙女みたいで可愛いじゃねえか」


俺は集中するため、体内に鼠を戻した。男の声はもう聞こえない。森の中には闇夜より暗い漆黒の鴉の身体が混じり、アメジスト色の瞳が星空の様に輝いている。


「少し右」


淳蔵が言う。


「上」


夜目は利くが、遠くまでは見えない。


「撃て」


マスケットから細い鉄の棒が発射された。絶叫が響く。


「右手だ。指が弾け飛んだ。親指は皮一枚で繋がってる。良いぞ兄弟」


俺は一発限りの改造マスケットを放り投げ、地面に突き刺さった新しいマスケットを引き抜くと、火薬と、弾丸の鉄の棒を装填した。銃を構える。


「もう少し右。・・・撃て」


悲鳴はより一層大きなものになる。


「右の肘だ。左手で近くにある銃を引き抜こうとしてる。少し待て」


銃を放り投げ、引き抜き、装填し、構え、待つ。


「俺達の方向に銃を撃とうとしてるが、火薬も弾丸も無いから棒ッ切れ振り回してるのとかわらねえな。少し立ち上がれ。・・・下だ、もう少し下。・・・撃て」


悲鳴は怒号にかわった。小さな音だがここまで聞こえてくる。


『出てこい阿婆擦れェッ!!』


淳蔵は鴉に集中している。


「いいぞ、踵を抉った。木に凭れ掛かってる。今度は当てるなよ。追い込む。左だ。もう少し。撃て」


銃を放り投げ、引き抜き、装填し、構え、待つ。


「足を引き摺って逃げ出した。次は・・・、」


淳蔵の指示を待ち、撃ち、待つ。

徐々に距離を詰める。

血の小径を辿り、草木がぶつかり合う音を聞きながら、近付く。


『にゃあん』


千代の声が聞こえた。蛍光色の黄色いリボンが、ちら、と見えた。マスケットと鉄の棒の結界、そして千代のリボンに誘導されるように、男は逃げ惑う。


「おーにさーんこーちら、てーのなーるほーうーへー」


都の高らかな笑い声が森に響く。


『にゃあん』

「だーるまさんがーこーろんだー」


男の悲鳴がはっきりと聞こえる。


『にゃあん』

「もういーかい。まーだだよー」

「畜生ッ! 畜生ッ! 痛ェッ! 痛ぇよォッ!」


淳蔵が俺の肩を掴む。少し進み過ぎた。肩を離されるのを待ってから、ゆっくりと進み直す。


「しんぴーででーきたー、うつくしいー、けものをみるー」


都が聞いたことのない歌を歌い始めた。


「さがしていたものをみつけたよろこびをいーま、うたーにーかーえーようー、とどいてー」


千代の声がしなくなった。黄色いリボンを付けた手首が音も無く揺れている。


「あーなーたーのーなーまーえをー、しーりーたーいー、ああ、きーっとー、いーつーかー、よーべーまーすーようにー」


淳蔵の指示が途絶えた。俺も銃を構えたまま聞き惚れる。


「しんぴーはしーらなーいー、おのれがー、きせきだとはー」


そっと、淳蔵が俺の肩に手をかけ、耳に唇がくっつきそうな程、寄せる。そして指示を出し始めた。


「うしろめたいきもちのわたしはいいわけーも、うたーにーかーえーようー、たとえばー」


神秘的な歌。


「あーなーたーのーこどうーをー、きーきーたーいー、ああーずーっとー、はーるーかー、とーおーくーかーらーもー」


千代と、直治も、都の歌声を聞いて、俺と同じ気持ちになっているんだろうか。

安らぐ。

こんな殺伐とした状況なのに、どんどん冷静になっていく。


「あーなーたーのーしーてーんをー、よーみーたーいー、ああー、きょうがー、にーげーてー、ゆーくーまーえーにー」


目的の場所。

淳蔵の指示が細かくなる。

俺は銃を撃つ。

男の胴体が、丑の刻参りの藁人形のように木に打ち付けられた。

男は動けなくなった。


「あーなーたーのーなーまーえをー、よーびーたーいー」


撃つ、撃つ、撃つ。男の四肢が肉塊になり、血が迸り、命の輝きが昏くなっていく。


「嗚呼、どうか、貴方、疎まないで・・・」


都の歌は聞こえなくなった。気付いたら俺は息が上がっていた。ランタンを持った直治が現れて、俺達を照らす。


「はぁ・・・、はぁ・・・」


男の目は虚ろで、俺を捉えていない。俺は構わず話しかけた。


「・・・覚えて、いますか、俺の事」

「だ・・・れ・・・」

「天野美代。天野美代です。貴方の情婦だった、天野千尋の息子。三十六年前、貴方がレイプしようとした男のことですよ。貴方の右目を潰した、ね」

「さん・・・じゅう・・・ろく・・・」


潰れたはずの男の右目に、光が宿った。


「おれ、の・・・。俺、の、右目ェッ・・・!」

「痛いですか? 苦しいですか? 悔しいですか? 悲しいですか? 怖いですか? 全部ですか?」

「ころして、やる! 殺してやるッ!」

「あの時、手慣れていましたよね。俺以外にも強姦の被害者が?」

「だったら、なんだァ!! 正義の、ヒーロー、気取りかァ!?」


俺は鼻で笑って、銃を構える。男がそれを見て死を悟ったのか、血が致死量まで滴り落ちたのか、漂白されたように真っ白になった。俺の舌が勝手に唇をなぞる。


「さよなら」


男の頭に命中した。疲れた。俺の崩れる身体を、淳蔵が支える感触を最後に、意識を手放した。
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