二百二十五話 女優病

文字数 2,188文字

今日は都の商売客が来る日だ。息子の俺達が商売客の相手をすることはあまりないのだが、今日は俺と美代と直治、そして千代と桜子、おまけになにを企んでいるのかジャスミンまで談話室で接客をすることになった。

客は二人。中堅芸能事務所『アップルグループ』の椎名社長と、その社長が今一番力を入れて育てている若い女優の『愛坂優里』。椎名は何故かはわからないが、都の機嫌を取ろうと一人でぺらぺら喋ってあちこちを褒め称えている。愛坂は、ずず、と音を立てて紅茶を飲んでいた。


「もうよろしいかしら」


都が音も無くティーカップをソーサーに置くと、椎名がピタッと固まり、笑顔を引き攣らせた。


「噂は聞いておりますよ」

「ど、どのような?」

「愛坂さんは椎名社長のお気に入り。なんでも赤ちゃんの頃からオムツのコマーシャルに出演していて、芸歴と年齢が同じなんですってね」


椎名も愛坂も答えない。


「椎名社長のご友人である漫画家が描かれた『ぴょんぴょん日和』という作品。主人公は、十代で双子の女の子を産んだ、未婚の母、宇佐美雪子。雪子は仕事、育児、そして『デザイナーになる』という夢を追いかけながら、ドタバタと忙しい生活を送ります。そんなある日、雪子は偶然知り合った、有名ファッションブランドの社長、大上健司という名の男と意気投合し、雪子は大上の元で働くことになります。ずっとなりたかったデザイナーの仕事。雪子は才能を開花させ、仕事に打ち込んでゆきます。けれど、そんな雪子に小さな悩みが産まれます。大上に恋心が芽生えてしまったのです。大上は既婚者。それも愛妻家と有名な方だったのです」


都は客用の笑みを浮かべる。


「二児の母として、一人の女として、夢を追いかける誇りを持った人間として、雪子は葛藤します。笑いあり、涙あり、ファッションについても学べるヒューマンドラマかと思いきや、実は大上の奥さんは、小学生時代に雪子に凄惨な虐めをしていたグループのリーダー、曽根安奈だった。明かされる雪子の過去。雪子と安奈の邂逅から始まる、ジェットコースターのような緩急の付いた展開が繰り広げられ、最後は・・・」


引き込むように話しておいて、都はそこで口を閉じた。


「傾いた事務所のテコ入れに、人脈を総動員させて、ぴょんぴょん日和をドラマ化しようと計画なさっているのでしょう?」


椎名の目元がぴくぴくと痙攣した。


「でも、問題があって・・・」


都は愛坂を見た。


「主人公はシングルマザーなのに、演じさせたい愛坂さんは家事をしたことがないし、子供嫌い。おまけに『女優病』を発症しているときたものです」


愛坂が都を静かに睨む。


「一言で言えば『高飛車な女』。仕事内容や報酬、撮影現場への注文が多くなり、時には理不尽なことも要求する。立場の上下関係無く、スタッフへの態度も横柄になる。自分がライバルだと認定した人や、格下と認定した相手にはもっと酷い、とね。『女優病』という単語は辞書には載っていませんけれど、ネットが発達した今の時代ではこんな呼び方をして、勘違いをした女優を糾弾する輩がいるんですってね」

「みッ、都さんッ! 全く仰る通りですッ!」


がばっと椎名が頭を下げた。禿げた頭皮がぴかりと光る。


「私は今、ぴょんぴょん日和に、いえ、愛坂優里に賭けていますッ!! どうしても、どうしても優里でないといけないんですッ!! どうか、どうか、」


嫌な予感。


「都さんに、優里をご指導していただきたいッ!!」


俺も、美代も、直治も、千代ですら、客用の笑顔をやめた。桜子はそんな俺達の様子を見て『中畑早貴の話』を思い出したのか、眉を八の字にして都を見つめている。


「何故、私なのかしら?」

「あの、どなたかまでは特定できなかったのですが、以前、一条家で『花嫁修業』をしていた若いお嬢さんが居たと聞きました」


やっぱり、最悪の理由だった。


「包み隠さず表現しますが、そのお嬢さんはとんでもないじゃじゃ馬だったと聞きました。その方を、見違えるほどお淑やかな女性に教育したと・・・」

「成程成程。理由はわかりました。で、ビジネスの話なのですから、貴方が私になにを支払うのかのお話をしませんとね」


受ける気なのか?

椎名もそう思ったのか、頭を上げ、表情に期待を滲ませる。


「では、」

「黙れ」


突然、都が低い声で言った。俺達はビクリと身を竦ませる。椎名社長はカチカチに固まり、愛坂も吃驚して睨むのをやめている。


「お前が私を『極東の魔女』と呼んでいるのは知っている」

「あ・・・、あのっ・・・」

「全て知っていますよ。皆に聞かせてあげましょうか」


都がにんまりと笑うと、椎名と愛坂は狼狽え始めた。


「お前の秘密に興味はありません」


都は音も無く紅茶を飲む。


「私に忠誠を誓うのなら、この話を受け入れましょう」


笑みをやめ、真っ直ぐに椎名を見る。


「手始めに、爪先に口付けを」


椎名は全身に汗を滲ませ、呼吸を荒げた。愛坂が泣きそうな顔になって椎名の腕を掴み、首を横に振るが、椎名はぎこちなく笑みを作ると、愛坂の手を握り、そっと外した。そしてソファーから立ち上がり、都の隣にやって来ると、ふぅー、と息を吐き、そっと、土下座をした。


「優里を、よろしくお願いします」


そう言って、爪先に口付ける。


「では日程の話をしましょうか。椎名社長、ソファーへどうぞ」


都が、まるで聖母のような笑みを浮かべる。俺はそんな都が怖くて、ごくりと唾を飲み込んだ。
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