八十六話 鴉と鼠と蛇
文字数 2,557文字
車を洗っている時だった。背中からバサバサという音が聞こえて吃驚した。音の正体を探るために振り返ろうとしたが、バサバサいうなにかにぶつかられて振り返れない。
「うわっ!? なんなんだよ!?」
かあ、かあ。
「か、鴉?」
車の上に飛び乗ったそれは、一目で普通の鴉ではないことがわかった。瞳が、俺の指輪と同じアメジスト色に輝いている。鴉は高く飛び上がり、空を旋回した、鴉の瞳から見える風景、身体に感じる風の温度、におい。俺は本能的に羽根を動かし、飛んでいた。俺が腕を差し出すと、鴉はそっとそこに降り立つ。
「・・・これ、『俺』か?」
嘴を触る。指先につるつるとした感触。そして、ありもしない嘴に柔らかく温かな感触。俺は暫くの間、鴉を飛ばしたり地面を走らせたりしてみる。
「成程ね」
これは、便利かもしれない。
俺は鴉を身体の中に戻そうとした。鴉は俺の身体目掛けて飛んできて、胸に突っ込んだ。シャツを通して、鴉が身体の中に入っていく。飛び散った羽根は透明感のある黒い粉になって消えていった。
昼過ぎ、談話室。直治が来るなり、
「お前ら変なこと起こらなかったか?」
と聞いた。
「これのことか?」
俺は手の甲に鴉を乗せた。
「お前もかよ」
美代は手の平に黒い鼠を出した。
「俺はこれだ」
直治はシャツの胸元に手を突っ込むと、黒い蛇を取り出した。
「淳蔵、お前から説明しろ」
「おう」
俺は洗車中にあったことを伝えた。次いで美代が語り始める。
「朝食を作ろうと思ってキッチンに行ったら、足元に鼠が居たんだよ。それも何十匹も。急いで殺鼠剤を探したんだが、鼠の方が殺鼠剤を持ってきて、目を見たら、俺の指輪と同じエメラルド色に輝いていた。あとは淳蔵と同じだ。感覚を共有していると直感でわかったから、色々試して遊んだ。直治は?」
「朝のランニング中に、服の中からなにかがボトボト落ちていく感じがして、振り返ったら蛇が大量に居た。お前らと同じ、指輪と同じトルマリン色の瞳だ。最初、統合失調症の症状かと思って焦ったぞ。そのあとはお前らと同じだ」
「なんだろうな、これ?」
俺達はうーんと唸る。
かちゃかちゃ。
ジャスミンがやって来て、都に『お行儀が悪いからやめなさい』と怒られるのにもかかわらず、テーブルの上に乗って腹を出してひっくり返り、尻尾をブンブンと振った。
「お前の仕業か?」
「だろうな」
「一体、なんの目的で・・・」
トタトタと慌ただしい足音が聞こえた。
「直治様ァ!」
「どうした」
「お肉さんがやってきました!」
「お肉? あっ、」
『刺青の女!!』
俺達は慌てて玄関に向かった。
「よう、クソガキ共。ばあさん呼んでこい」
「懲りないなァ、お前」
「で? 指輪の対抗策を講じてきたのか?」
「死にたいらしいな」
「お肉さん、お久しぶりですゥ!」
「っだー、わかったわかったわーわー喚くな。メイド、ばあさん呼んでこい」
「直治様ァ?」
「呼んでこい」
「はァい!」
俺達は向かい合う。刺青の女の右手が、ある。
「なんだ、その右手」
俺が問うと、刺青の女はにやっと笑った。
「神のご加護だよ」
「くッだらねえ。何回痛い目見りゃ気が済むんだ」
「お前ら、刺青入れたことないだろ? 痛いぞぉ。それに比べれば、なんてことねえよ」
こつ、こつ、都がやってくる。
「いらっしゃいませ」
「よう。ばあさん、名前は?」
「名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀ですよ」
「美月だ。倉橋美月」
「都です。一条都」
「都さん、今度遊ぼうぜ。準備はこっちでする」
「なにをして遊ぶのかしら?」
「『ワインオセロ』だ」
都は首をこてんと傾ける。
「『ワインオセロ』?」
「オセロはやったことあるだろ?」
「はい」
「黒と白の駒を、赤と白のワインにかえる。で、ひっくり返されたらそれを飲む。簡単だろ?」
「いいですよ。でも、悪酔いするような安いワインはお断りしますからね」
「よし、言質取ったぜ。それにしても、」
刺青の女、倉橋は俺と淳蔵と美代を見た。
「・・・どんどん厄介な存在になってるな」
「心配しなくても、私の傍を離れて狩りに行ったりはしませんよ」
「ふうん。じゃあいいや。またな」
「ええ、また」
倉橋は去っていった。
「いいのか? 都」
「いいのよ。あの右手、見たでしょう? 千代さんに食い千切られたはずなのにちゃんと『あった』わ。右手の刺青の効果も発揮されているみたいだし。暫く泳がせておくから、悪いけど貴方達も付き合ってね。それにしても・・・」
都は再び首をこてんと傾げた。
「直治、そんなネックレスしてたっけ?」
「え?」
直治の首には黒い蛇が巻き付いていた。
「うわっ!?」
するすると服の中に入り込んで、消える。
「あー、都、また馬鹿犬がなんかしたらしくて・・・」
「ジャスミンが?」
俺達は経緯を説明し、それぞれ鴉、鼠、蛇を取り出してみせた。都の第一声は、
「か、可愛い!」
だった。
「か、可愛い・・・?」
「触ってもいい!?」
「ど、どうぞ」
都は俺の腕に乗っている鴉をそっと撫でる。
「あー! 可愛い!」
美代の鼠も手の平で軽く包んで微笑みを見せた。
「可愛いー!」
直治の蛇なんて、両手で持って、長い腹の部分に頬を寄せていた。
「都様ァ、ジャスミンをお連れしました!」
「ジャスミン、これ貴方の仕業なの?」
ジャスミンは嬉しそうに、『わん!』と吠えた。
「で、テーブルに乗ったらしいわね?」
途端に伏せて上目遣いになって、尻尾を振るのをやめる。
「三日間、おやつ抜きよ」
都はそう言って、自室に戻っていった。
「うーん、なにに使えるのか、というか使うのかはわからないが、便利っちゃ便利、かァ?」
「そうだな、敷地は広いから動物達に中を確認させたり、とか・・・?」
「蛇なんてどうやって使えばいいんだよ・・・」
千代が両手を合わせて頬の横に添えた。
「『使い魔』を持ってるなんて、便利でいいですねェ!」
「使い魔、ねぇ。本格的に悪魔じみてきたな」
「なんだお前、人間のつもりだったのか?」
「ベースは人間だろ。あんまりそこを忘れない方がいいと思うぜ」
俺がそう言うと、美代と直治、千代までもがなにかを考え始めた。俺は部屋に戻り、窓を開けて、鴉を一羽、外に出す。空を飛んで敷地内を見渡す。怪しいヤツは、見当たらない。
「んー、朝昼晩、これでパトロールするか」
この力も都のためだ。戻って来た鴉を肩に乗せると、鴉は俺の首の後ろ、髪の隙間に消えていった。
「うわっ!? なんなんだよ!?」
かあ、かあ。
「か、鴉?」
車の上に飛び乗ったそれは、一目で普通の鴉ではないことがわかった。瞳が、俺の指輪と同じアメジスト色に輝いている。鴉は高く飛び上がり、空を旋回した、鴉の瞳から見える風景、身体に感じる風の温度、におい。俺は本能的に羽根を動かし、飛んでいた。俺が腕を差し出すと、鴉はそっとそこに降り立つ。
「・・・これ、『俺』か?」
嘴を触る。指先につるつるとした感触。そして、ありもしない嘴に柔らかく温かな感触。俺は暫くの間、鴉を飛ばしたり地面を走らせたりしてみる。
「成程ね」
これは、便利かもしれない。
俺は鴉を身体の中に戻そうとした。鴉は俺の身体目掛けて飛んできて、胸に突っ込んだ。シャツを通して、鴉が身体の中に入っていく。飛び散った羽根は透明感のある黒い粉になって消えていった。
昼過ぎ、談話室。直治が来るなり、
「お前ら変なこと起こらなかったか?」
と聞いた。
「これのことか?」
俺は手の甲に鴉を乗せた。
「お前もかよ」
美代は手の平に黒い鼠を出した。
「俺はこれだ」
直治はシャツの胸元に手を突っ込むと、黒い蛇を取り出した。
「淳蔵、お前から説明しろ」
「おう」
俺は洗車中にあったことを伝えた。次いで美代が語り始める。
「朝食を作ろうと思ってキッチンに行ったら、足元に鼠が居たんだよ。それも何十匹も。急いで殺鼠剤を探したんだが、鼠の方が殺鼠剤を持ってきて、目を見たら、俺の指輪と同じエメラルド色に輝いていた。あとは淳蔵と同じだ。感覚を共有していると直感でわかったから、色々試して遊んだ。直治は?」
「朝のランニング中に、服の中からなにかがボトボト落ちていく感じがして、振り返ったら蛇が大量に居た。お前らと同じ、指輪と同じトルマリン色の瞳だ。最初、統合失調症の症状かと思って焦ったぞ。そのあとはお前らと同じだ」
「なんだろうな、これ?」
俺達はうーんと唸る。
かちゃかちゃ。
ジャスミンがやって来て、都に『お行儀が悪いからやめなさい』と怒られるのにもかかわらず、テーブルの上に乗って腹を出してひっくり返り、尻尾をブンブンと振った。
「お前の仕業か?」
「だろうな」
「一体、なんの目的で・・・」
トタトタと慌ただしい足音が聞こえた。
「直治様ァ!」
「どうした」
「お肉さんがやってきました!」
「お肉? あっ、」
『刺青の女!!』
俺達は慌てて玄関に向かった。
「よう、クソガキ共。ばあさん呼んでこい」
「懲りないなァ、お前」
「で? 指輪の対抗策を講じてきたのか?」
「死にたいらしいな」
「お肉さん、お久しぶりですゥ!」
「っだー、わかったわかったわーわー喚くな。メイド、ばあさん呼んでこい」
「直治様ァ?」
「呼んでこい」
「はァい!」
俺達は向かい合う。刺青の女の右手が、ある。
「なんだ、その右手」
俺が問うと、刺青の女はにやっと笑った。
「神のご加護だよ」
「くッだらねえ。何回痛い目見りゃ気が済むんだ」
「お前ら、刺青入れたことないだろ? 痛いぞぉ。それに比べれば、なんてことねえよ」
こつ、こつ、都がやってくる。
「いらっしゃいませ」
「よう。ばあさん、名前は?」
「名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀ですよ」
「美月だ。倉橋美月」
「都です。一条都」
「都さん、今度遊ぼうぜ。準備はこっちでする」
「なにをして遊ぶのかしら?」
「『ワインオセロ』だ」
都は首をこてんと傾ける。
「『ワインオセロ』?」
「オセロはやったことあるだろ?」
「はい」
「黒と白の駒を、赤と白のワインにかえる。で、ひっくり返されたらそれを飲む。簡単だろ?」
「いいですよ。でも、悪酔いするような安いワインはお断りしますからね」
「よし、言質取ったぜ。それにしても、」
刺青の女、倉橋は俺と淳蔵と美代を見た。
「・・・どんどん厄介な存在になってるな」
「心配しなくても、私の傍を離れて狩りに行ったりはしませんよ」
「ふうん。じゃあいいや。またな」
「ええ、また」
倉橋は去っていった。
「いいのか? 都」
「いいのよ。あの右手、見たでしょう? 千代さんに食い千切られたはずなのにちゃんと『あった』わ。右手の刺青の効果も発揮されているみたいだし。暫く泳がせておくから、悪いけど貴方達も付き合ってね。それにしても・・・」
都は再び首をこてんと傾げた。
「直治、そんなネックレスしてたっけ?」
「え?」
直治の首には黒い蛇が巻き付いていた。
「うわっ!?」
するすると服の中に入り込んで、消える。
「あー、都、また馬鹿犬がなんかしたらしくて・・・」
「ジャスミンが?」
俺達は経緯を説明し、それぞれ鴉、鼠、蛇を取り出してみせた。都の第一声は、
「か、可愛い!」
だった。
「か、可愛い・・・?」
「触ってもいい!?」
「ど、どうぞ」
都は俺の腕に乗っている鴉をそっと撫でる。
「あー! 可愛い!」
美代の鼠も手の平で軽く包んで微笑みを見せた。
「可愛いー!」
直治の蛇なんて、両手で持って、長い腹の部分に頬を寄せていた。
「都様ァ、ジャスミンをお連れしました!」
「ジャスミン、これ貴方の仕業なの?」
ジャスミンは嬉しそうに、『わん!』と吠えた。
「で、テーブルに乗ったらしいわね?」
途端に伏せて上目遣いになって、尻尾を振るのをやめる。
「三日間、おやつ抜きよ」
都はそう言って、自室に戻っていった。
「うーん、なにに使えるのか、というか使うのかはわからないが、便利っちゃ便利、かァ?」
「そうだな、敷地は広いから動物達に中を確認させたり、とか・・・?」
「蛇なんてどうやって使えばいいんだよ・・・」
千代が両手を合わせて頬の横に添えた。
「『使い魔』を持ってるなんて、便利でいいですねェ!」
「使い魔、ねぇ。本格的に悪魔じみてきたな」
「なんだお前、人間のつもりだったのか?」
「ベースは人間だろ。あんまりそこを忘れない方がいいと思うぜ」
俺がそう言うと、美代と直治、千代までもがなにかを考え始めた。俺は部屋に戻り、窓を開けて、鴉を一羽、外に出す。空を飛んで敷地内を見渡す。怪しいヤツは、見当たらない。
「んー、朝昼晩、これでパトロールするか」
この力も都のためだ。戻って来た鴉を肩に乗せると、鴉は俺の首の後ろ、髪の隙間に消えていった。