百九十二話 ラヴィ

文字数 2,859文字

こんこん。


「どうぞ」


淳蔵と直治が事務室に来た。直治は小さな紙袋を抱えている。


「お、調べて来たか」


直治は一冊の本を取り出した。


「映画『阿藤家殺人事件』の元になった小説だ。作者は京極蓮。今は妻の美樹、娘の百合子と暮らしている」


次に、USBメモリーを四つ取り出す。それぞれ付箋で『1』『2』『3』『4』と書かれていた。


「千代の言っていた通り、『阿藤家殺人事件』のモデルは『高峰事件』だ。事件の被害者であり、唯一の生き残りである長女の現在の名前は、京極美樹」

「小説家の妻、か・・・」

「『1』には柊家が最初にテレビに出演した時の映像が入ってる。大家族に密着する番組で、タイトルは『八人家族! 柊家!』だ。妊娠中の母親も映ってる。『2』は『高峰事件』についての報道だ。『1』の映像から、巧妙に隠されていた美樹への虐待の真実が浮き彫りになって、それで騒がれている。芋づる式に両親や弟妹の素行の悪さも取り上げられて、結構長い間ニュースになってたみたいだ。見覚えあるんじゃないか?」

「淳蔵と直治は?」

「逮捕される前の母親がインタビューを受けてる映像は見覚えあったよ。家の中がぐちゃぐちゃで、母親の前歯が欠けてたのが印象に残ってた。虫歯で腐って欠けたのか、変な色をしてたからな」

「俺は母親が逮捕されたニュースを都と一緒に見ていたことを思い出した。その日の特集だったらしく、コメンテーター達があれこれ喋っているのを聞いた都が、美樹に酷く同情したのを覚えている」


淳蔵が腕を組む。俺は鼻から息を吐く。直治が続ける。


「『3』は柊家の二回目のテレビ出演だ。行方不明になった美樹を『霊視』して探すんだとよ。逮捕される前の母親も映ってる。タイトルは『緊急特番! 超能力者は見た!』だ」

「胡散くせえ・・・」

「『4』は映画だ。映画は小説に忠実に作られている。あとで全部見ろ」

「・・・んで、じゅえりとこの一連の騒動になんの関連性があるんだ?」

「都を問い詰めたら、少しだけ喋った」


直治は目を伏せ、少し沈黙した。


「一度だけ、京極家が『お忍び』でうちに泊まったことがあった。その時に都は美樹の半生を夢で見た。つらくて一週間引き摺ったらしい。でも、じゅえりは、それよりも酷い」


先程よりも長い沈黙。直治は口を開いて、閉じ、開いて、閉じを繰り返し、少しだけ声を震わせた。


「ばくおうとぷみるは、あの夫婦の子供じゃない」


それだけで、嫌な予感がした。頼む、外れてくれ。


「父親とじゅえりの子供だ」


俺はゆっくりと、大きく、息を吐いた。顔が勝手に歪む。


「それだけじゃない。兄のじゅきあとも関係を」


淳蔵も顔を顰めている。


「俺を部屋に閉じ込めた時にした話だ。じゅえりは、自分の身体に牛乳をかけてまで庇ってくれた都に、初めて『人の優しさ』を感じたらしい。誰にも言えなかった秘密を都に全て打ち明けて、助けてほしい、と震える声で言ったそうだ。都はその時、京極美樹のことを思い出した。地獄と表現するのも生ぬるい、死が救済になるような人生。『京極美樹』と『鈴木宝石』のせいで、都は余計なことまで思い出しちまった。実の父親に首を絞められながら、乱暴に服を脱がされて肌を撫でられた時の、あのことを」


俺は頭を抱えた。


「男に犯される恐怖、か・・・」


淳蔵が言う。俺も嫌なことを思い出してしまった。


「じゅえりに同情する理由はわかったよ。で、なんで千代には喋って俺達には喋らない?」

「やきもち焼くからだと」

「・・・そーかよ」


滅多に無いことだ。都に対して苛つくだなんて。


「美代、心配しなくていい」

「なにを?」

「じゅえりが生きて帰ることはない」


俺は呆けてしまった。


「・・・喰うの?」

「喰うとは言わなかった」

「じゃあ殺すのかよ。わけわかんねえ」

「喋ったのはここまでだ。二つ命令だ。殺すな、邪険に扱うな」

「わかりましたよ・・・」


淳蔵と直治が事務室を出ていく。俺は小説を読み始めた。談話室に行って息抜きする時間も、小説を読む時間に費やす。二日かけて読み終わったが読後感は最悪だった。映画も見てみる。文字だけでは表現しきれない鬱蒼とした雰囲気と、グロテスクな描写に吐きそうになった。

次いで、『八人家族! 柊家!』を見る。

トイレの前の狭い廊下で寝起きする美樹。ギャンギャンと楽しそうに叫ぶか泣き喚くだけの躾のなってないガキ共。怠そうに子供を躾ける父親と母親。美樹が弁当を作ると、父親は仕事に出掛けていき、妊娠中の母親が『赤ちゃんのため』と言って近所を散歩しながら、子供達への愛を語るシーンが映し出される。ガキ共は学校から帰ってくると家の中をしっちゃかめっちゃかにして暴れ回った。美樹が歩いて夕飯の買い出しに行く。細い身体には酷であろう量のスーパーの袋を手に下げ、疲れ切った表情でカメラに向かって笑みを浮かべていた。夕食の時間になると、癇癪を起した女のガキが食事をひっくり返し、美樹が黙々と片付ける。反抗期の弟に勉強を教えて罵られ、妹におもちゃを投げつけられても、美樹は『なにをされても怒らないとても優しいおねえちゃん』をテレビの前で演じていた。


『おや? 長女の美樹ちゃん。子供達を寝かしつけたら、パパとママの部屋に行っちゃったよ?』


陽気なナレーションが俺の神経を逆撫でする。


『私、大学に行きたい』

『・・・美樹、あのね』


無駄に感動的な音楽が流れる。


『私達、良い親じゃないかもしれない。貴方には苦労をかけてる。大学に行かせてあげたいけれど、そうなると、弟や妹達が高校に行けなくなっちゃうかもしれないの。お願いできる立場じゃないけれど、お願い。就職して、家を支えてほしい』

『パパは、いつもお前の幸せを考えて生きてきた。でも、今回の決断は、お前につらい思いをさせるかもしれない。パパも、子供達のために、お前には就職してほしいんだ。なあに、大学は行きたくなればいつだって行けるさ。その時は、パパもママも全力で、お前を応援するよ』

『・・・パパ、ママ、私、就職する!』


「あーあー! 最悪だ! 最悪だよもうッ!」


見ているだけで苛々して、声を荒げてしまった。我慢して、残りの映像も見る。美樹が居なくなった一家が段々落ちぶれていくのを見ると、他人の家のことなのに溜飲が下がった。


「ッチ、苛々して眠れねえ・・・」


都は優し過ぎる。


『あの優しさが、一条都の最も美しい点なのです』


俺は何故か、映画のクライマックスで流れていた歌を思い出した。





オ・トワ・ラヴィ

真心こめて 愛し合える恋人もなくて
ただ過ぎていく日を 悲しみこめて見送るだけ

オ・トワ・ラヴィ

もし明日も 暗い朝が訪れた時は
ただ寂しいその日を 苦しくても耐えていこう

いつの日か小さくても 薫り高く素晴らしい夢を
いつの日か見つけた時は この両手にしっかり抱いて

ラヴィ

雨の朝も 嵐の夜も 命の限り
もし苦しい時は 青く晴れた空を想い
耐えていこう それが人生

ラヴィ

ラヴィ

ラヴィ





「人生、か・・・」


苛立ちでなかなか寝付けない。眠くなってきたと思ったら起きる時間の二時間前だ。俺は最悪の一日を過ごすことになった。
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