百七十七話 本物

文字数 2,631文字

こんこんこん。


「どうぞ」

『失礼します』


中畑が部屋に入ってきた。


「あら、中畑さん。どうしたの?」

「都さん、今、一人ですか?」

「そうよ、見ての通り」

「やっぱり! 事務室から直治さんが電話する声がずーっと聞こえるンで、あれ? 大丈夫かな? と思って、様子を見に来たンですよぉ」

「そうなの、ありがとうね。私の体調不良でご宿泊をお断りしたお客様が怒っちゃって、ずっと電話してるのよ。電話越しに聞こえる声が私の精神衛生上良くないからって言って、事務室に行って対応してくれているの」

「そうなンですかぁ。直治さん、大変ですね。淳蔵さんと美代さんも居ないみたいですけど・・・」

「二人共、仕事よ。淳蔵は来月ご宿泊されるお客様の送迎ルートの下見、美代は商談」

「あっ、そうなンですかぁ。千代さんはジャスミンの散歩に行っちゃったンですよねぇ」

「散歩かあ。私も、庭の森を散歩したいなあ・・・」

「・・・二人で行きますか?」

「えっ、いいの?」

「いいですよ!」

「じゃあ、お願いしようかしら。ありがとうね」


中畑が車椅子を押して、部屋から出ていく。鼠で見張っていた俺は、頭上の木の枝に留まっている淳蔵の鴉に合図を送った。目視できる位置に、草木に紛れるようにして建てられた小さなテントがある。昨夜、中畑が招き入れた『達磨屋の辰』だ。あの馬鹿娘、『都は敷地の外に出ない』という情報をしっかりと活用して、敷地内で達磨屋に引き渡す計算をしたらしい。暫く待つと、都と中畑が近付いてくるのが見えた。草むらに隠してある俺の鼠の耳にも、二人の話す声が聞こえる。


「・・・ここって、本当に不思議な場所ですねえ。『夢』を商品にしているなンて、聞いたことありませンよ」

「場所がそうさせるのかもね。代々受け継がれてきた山だから・・・」

「都さんって、不思議な話は信じるタイプ、ですよね?」

「ええ、勿論。だから怖い話とか聞けないタイプなの」

「あははっ、じゃあ、運命とか、呪いとか、因果応報とかも信じます?」

「信じるわよ」

「私、この前までそういう話は半信半疑だったンですよねぇ。でも、信じるようになりましたよ。目の前で見せられちゃったらねえ・・・」

「なにか面白いことでもあった?」

「すーっごく面白いことですよ。フフフッ。・・・あれっ? あンなところにテントがありますねぇ」

「えっ、どこ?」

「ほら、あそこですよ。よーっく見ないとわからないですけど・・・」

「やだ、不法侵入者かしら。中畑さん、館に戻りましょう。警察に通報しないと」

「嫌でーす」

「え?」


中畑はゆっくり押していた車椅子をその場に放置して、携帯を取り出し操作する。すぐにテントから達磨屋が出てきて、都を見るとにやっと笑った。中畑が都の頭をぽんぽんと軽く叩く。


「はい、報酬の一部です」

「では、有難く頂戴します」


達磨屋が車椅子を横から蹴って、倒した。都が転がり落ちる。


「うっ、ゲホッ、ゲホッ・・・」

「顔が映らなきゃ写真撮って良いンですよねえ?」

「良いですよ」


達磨屋はぐにゃぐにゃの四肢の都の胸倉を掴み、ブイサインを作ると都の胸に寄せる。カシャ、と中畑が携帯のカメラで撮影する音がした。


「デッケー胸だ、当たりだぜ。しかし、金持ちの女って肌が綺麗だなあ。食いモンが違うからかねえ」

「下品な男ね」

「なんとでも言いな。あんた、『極東の魔女』なんて呼ばれて良い気になってるようだが、そういうのはやめておいたほうがいいぜ? 俺みたいな『本物』はそういうの良く思わねえからよ」

「『本物』?」

「馬鹿に説明してもわかんねーよ」


達磨屋は都のブラウスをバリバリと乱暴に引き裂いた。ボタンが弾け飛ぶ。それと同時に、服の下に潜んでいた直治の蛇が達磨屋目掛けて一斉に飛び出した。


「うわっ!?」


達磨屋が都の身体の上から退き、噛み付いた蛇を引き剥がそうと格闘するが、直治も身をくねらせて抵抗する。


「へ、へび、」


後退った中畑が淳蔵の身体に、どん、とぶつかる。吃驚して振り返った中畑の腹を、淳蔵は思いっ切り殴り上げた。


「エ、ウ・・・」


中畑は、ドシャ、とその場に崩れ落ちた。俺は都に近付き、そっと寄り添う。都は顔を顰めながら、ぷるぷると身体を震わせ始める。振動が指先に伝わると、指が少しずつ、少しずつ曲がり始めた。弱々しく握り拳を作ると、腕と脚が動き始める。ぐぐ、ぐぐぐ、と関節が曲がる。都は懸命に起き上がろうとしていた。


「あがっ!? あっ!! あああっ!!」


都の手足が自由になっていくのに比例して、達磨屋の手足が動かなくなっていく。達磨屋の指先がさつま芋のような色に染まり始め、じわじわと滲み、浸食するように広がっていく。都が産まれたての小鹿のようにガクガクと震えながらも完全に自立すると、達磨屋の四肢はグロテスクなまだら模様の紫色になり、ぴくりとも動かなくなった。


「おおッ! 都さん復活ですッ! 復活ですぅ!」


離れた場所で様子を見ていた直治と千代がやってくる。俺は都の肩に薄手の毛布を掛け、破れたブラウスが見えなくなるようにそっと巻き付けた。千代が車椅子を起こしたので、都を抱き上げ、座らせる。直治は達磨屋に近付き、手の平をダンッと踵で踏み付けた。


「あぎぃぃぃ!?」

「そうこなくっちゃあな・・・」


達磨屋に痛覚があるのを確認すると、直治は背骨に響くような甘い声を出した。短い呼吸を繰り返していた中畑が、ごろんと横向きに倒れる。


「ど、して・・・、ど、どう、じで・・・」


ばさばさと羽搏く音が辺りに響き渡り、鴉が淳蔵の背中に集まり始める。淳蔵の綺麗な髪がするすると元の長さに戻っていった。淳蔵がマントを翻すように髪を片手で撫でると、ふわりと宙を舞う。


「やっぱこの長さが落ち着くわ」

「触りたあい」

「ンフフ、都ちゃんの髪でちゅよぉ」


だらしない顔をした淳蔵が都に近付き、髪を一束差し出す。都が震える手で髪を掬うと、淳蔵は赤の他人が見てもわかる程、はっきりと、父性に満ちた眼差しで都を見つめた。


「・・・で、直治はいつまでスカートの中に居るの?」


俺と淳蔵が冷たい視線を直治に送ると、直治は視線をぐるんと一回転させた。都のスカートの中から、するするするすると蛇が出てくる。


「すみません、居心地が良かったもので・・・」

「護衛のお前が痴漢しちゃいかんだろ」

「ち、痴漢じゃねえ!」


直治は顔を真っ赤にしながら、達磨屋を担ぎ上げる。


「さて・・・。さあ、中畑さん」


俺は客にするようなとびっきりの笑顔を浮かべ、中畑に手を差し出した。


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