八十九話 私の
文字数 2,435文字
倉橋に妙な夢を見されられてから、ずっと考えていることがあった。俺の髪のことだ。毎日手入れに五時間はかけているから、そりゃ綺麗だけど、都になにかあった時の妨げになるんじゃないかと思い始めた。夢の中での俺は家計を助けるため、客受けが良いギリギリのラインで髪をバッサリと切って働いていた。そのことに対する未練は全く無かった。現実の俺は館に宿泊客を送迎する運転手として働いていて、ちゃんと名刺もある、都の会社の社員だ。一応、社会人なんだから、髪に拘るのはどうかと思い始めたのだ。髪の手入れが苦になったとか、髪が気に入らないとかそういうことじゃない。むしろかなり惜しいと思うが、都のために、これを機に切ってしまうのもいいかと思った。
こんこん。
『どうぞ』
都の部屋に入る。
「あら、淳蔵。どうしたの?」
「ちょっと相談」
「うん?」
「髪、切ろうかなと思うんだけど、どうかな」
都はぴたっと固まった。息をしているのかもわからないほど、本当にぴたっと固まっている。
「み、都?」
「・・・・・・・・・なんで?」
「えーっと・・・。働くのに邪魔だから、かな?」
「・・・・・・・・・なんで?」
「えっ。あの、い、一応社員なんだし、短い方が客の印象も、」
「なんでェェェッ!?!?」
ドタンッ! と椅子をひっくり返して立ち上がり、バタバタと慌てながら駆け寄ってくると、俺の腕をガッシリ掴み、背伸びして顔を覗き込んできた。
「なんでッ!? なんでェ!?」
「あ、いや、俺が切りたいってわけじゃなくて、」
「なんでェッ!?」
「お、落ち着けよ! 都が切ってほしくないなら切らないから!」
「切らないでェェェッ!!!! 私の髪の毛でしょォォォッ!?!?」
「俺の、あ、いや、都のだな、うん・・・」
都が俺に抱き着く。俺は背中をぽんぽんと叩いた。
「おう兄貴、なにしてんだよ」
「ゲッ」
上体を僅かに捻って後ろを確認すると、美代と直治が居た。椅子が倒れた音を聞きつけてやって来たんだろう。
「美代ォー!! 直治ィー!! 淳蔵が私の髪の毛切るって言うのォォォッ!!」
「言ってない言ってない!!」
「ほおー、兄さん、刈り上げてるくらい短髪の女が趣味か?」
「兄貴よぉ、都は十分短いだろうがァ・・・」
「言ってない言ってない!! 誤解なんだって!!」
「あづぞうー!! どうじでぞんなごどいうのぉー!!」
結局、誤解を解くのに三十分かかった。美代と直治にしこたま嫌味を言われ、うんざりしながら自室に戻る。
「うーん・・・」
『私の髪』と言い切るほど好きなのか、俺の髪。そう思うと滅茶苦茶嬉しくてにやけてしまう。
こんこん。
「・・・どうぞ」
ガチャッと乱暴にドアを開けたのは美代だった。後ろに直治も居る。
「なんだよ嫌味なら一週間分は聞いたぞ」
「なんで髪を切りたがってるのか聞きに来た」
俺は溜息を吐いた。美代は勝手にベッドに座り、直治は腕を組んで壁に凭れ掛かる。
「さっきも言っただろ。男の長髪って良いイメージ持たれにくいから、社員の俺の髪のせいで社長の都のイメージダウンに繋がったら嫌だってだけだ」
「嘘は吐いてないけど」
「本当のことは言ってない」
「ッチ、はいはいわかりましたよ」
付き合いが長いというのも考えものだ。
「・・・下らない理由だぞ。笑うなよ」
「なんだよ」
「俺の髪が原因で、都になにか嫌なことがあったらどうしよう、と思っただけだ」
「・・・それだけ?」
「あ、の、な、あ!」
「やめろ二人共。本当にそれだけか?」
「それだけだよ」
「・・・はーあ。しょうもな。そんなん言ったら俺の化粧もだろ。直治の筋トレもな」
「筋トレも入るのかよ」
「あのな、淳蔵、直治。自分で言うのもなんだが、俺達は顔とスタイルは抜群に良い。それにプラスして髪、化粧、筋肉ときたら、老若男女問わず良くない感情を持たれるって経験は今までに何度もしてきただろう?」
「まあ・・・」
「そうだな」
「でも、髪も化粧も筋肉も俺達のアイデンティティであって、『都のため』といって取り上げたり捨てたりしていいモンじゃない。大体、そんなことしたら都が悲しむだろう。都は自分が傷付くことは厭わないけど、俺達が傷付くことには酷く敏感だ。俺達は自由奔放に生きて都を楽しませるために生きてるんだ。違うか?」
「違わねーけど・・・。直治、どうよ」
「違わないな」
「髪で問題起こしたくないなら、触られてもキレないように努力しろ。それだけでいいんだ、馬鹿がよ」
こんこん、とドアがノックされた。
「どうぞ」
『淳蔵、私。入れて』
都の声だ。美代がドアを開ける。
「み、都!?」
都はびっしょりと汗を掻き、巨大な裁ちバサミを祈るように両手で握って胸の前でぷるぷる揺らしながら部屋に入ってきた。
「み、都、どうし・・・」
「だ、だ、誰かに、切られる、くらいなら、じ、自分で切り、切ります・・・!」
都は焦点の合わない目で笑っていて、はあはあと荒く呼吸している。
「都っ、落ち着こう! 淳蔵は髪を切らないから、ハサミは必要無い! 俺に渡せ、な?」
直治が俺と都の間に入る。都は上下左右に細かく揺れる瞳で俺の姿を捉えると、ぽそぽそとした声で問う。
「・・・淳蔵、髪、切らない、ほんと?」
「ほんとほんと! 一生切らない! 俺の髪は都の髪だから! 都の好きにしてくれ!」
「都、ハサミを渡せ。ゆっくりだ。ほら、こっちに」
都はそっと、直治にハサミを渡した。そしてのそのそと部屋から出て行った。
「し、死ぬかと思った・・・」
ハサミを持ったまま、直治が脱力する。
「心臓止まったから誰かマッサージしてくれ」
「そのまま止めてろ」
「俺でよければしてやるぞ。肋骨が折れるだろうけど」
「クソッ、ああ言えばこう言いやがって・・・」
俺達は数秒沈黙し、見つめ合ったあと、笑った。
「おら、早く出て行け。もやもやが晴れてすっきりした気分なんだよ。ゆっくり味わわせろ」
「言われなくても。行くぞ、直治」
「はいはい」
美代と直治が部屋から出て行く。俺はパトロールのために二羽、鴉を飛ばした。いつもより風が心地良く感じた。
こんこん。
『どうぞ』
都の部屋に入る。
「あら、淳蔵。どうしたの?」
「ちょっと相談」
「うん?」
「髪、切ろうかなと思うんだけど、どうかな」
都はぴたっと固まった。息をしているのかもわからないほど、本当にぴたっと固まっている。
「み、都?」
「・・・・・・・・・なんで?」
「えーっと・・・。働くのに邪魔だから、かな?」
「・・・・・・・・・なんで?」
「えっ。あの、い、一応社員なんだし、短い方が客の印象も、」
「なんでェェェッ!?!?」
ドタンッ! と椅子をひっくり返して立ち上がり、バタバタと慌てながら駆け寄ってくると、俺の腕をガッシリ掴み、背伸びして顔を覗き込んできた。
「なんでッ!? なんでェ!?」
「あ、いや、俺が切りたいってわけじゃなくて、」
「なんでェッ!?」
「お、落ち着けよ! 都が切ってほしくないなら切らないから!」
「切らないでェェェッ!!!! 私の髪の毛でしょォォォッ!?!?」
「俺の、あ、いや、都のだな、うん・・・」
都が俺に抱き着く。俺は背中をぽんぽんと叩いた。
「おう兄貴、なにしてんだよ」
「ゲッ」
上体を僅かに捻って後ろを確認すると、美代と直治が居た。椅子が倒れた音を聞きつけてやって来たんだろう。
「美代ォー!! 直治ィー!! 淳蔵が私の髪の毛切るって言うのォォォッ!!」
「言ってない言ってない!!」
「ほおー、兄さん、刈り上げてるくらい短髪の女が趣味か?」
「兄貴よぉ、都は十分短いだろうがァ・・・」
「言ってない言ってない!! 誤解なんだって!!」
「あづぞうー!! どうじでぞんなごどいうのぉー!!」
結局、誤解を解くのに三十分かかった。美代と直治にしこたま嫌味を言われ、うんざりしながら自室に戻る。
「うーん・・・」
『私の髪』と言い切るほど好きなのか、俺の髪。そう思うと滅茶苦茶嬉しくてにやけてしまう。
こんこん。
「・・・どうぞ」
ガチャッと乱暴にドアを開けたのは美代だった。後ろに直治も居る。
「なんだよ嫌味なら一週間分は聞いたぞ」
「なんで髪を切りたがってるのか聞きに来た」
俺は溜息を吐いた。美代は勝手にベッドに座り、直治は腕を組んで壁に凭れ掛かる。
「さっきも言っただろ。男の長髪って良いイメージ持たれにくいから、社員の俺の髪のせいで社長の都のイメージダウンに繋がったら嫌だってだけだ」
「嘘は吐いてないけど」
「本当のことは言ってない」
「ッチ、はいはいわかりましたよ」
付き合いが長いというのも考えものだ。
「・・・下らない理由だぞ。笑うなよ」
「なんだよ」
「俺の髪が原因で、都になにか嫌なことがあったらどうしよう、と思っただけだ」
「・・・それだけ?」
「あ、の、な、あ!」
「やめろ二人共。本当にそれだけか?」
「それだけだよ」
「・・・はーあ。しょうもな。そんなん言ったら俺の化粧もだろ。直治の筋トレもな」
「筋トレも入るのかよ」
「あのな、淳蔵、直治。自分で言うのもなんだが、俺達は顔とスタイルは抜群に良い。それにプラスして髪、化粧、筋肉ときたら、老若男女問わず良くない感情を持たれるって経験は今までに何度もしてきただろう?」
「まあ・・・」
「そうだな」
「でも、髪も化粧も筋肉も俺達のアイデンティティであって、『都のため』といって取り上げたり捨てたりしていいモンじゃない。大体、そんなことしたら都が悲しむだろう。都は自分が傷付くことは厭わないけど、俺達が傷付くことには酷く敏感だ。俺達は自由奔放に生きて都を楽しませるために生きてるんだ。違うか?」
「違わねーけど・・・。直治、どうよ」
「違わないな」
「髪で問題起こしたくないなら、触られてもキレないように努力しろ。それだけでいいんだ、馬鹿がよ」
こんこん、とドアがノックされた。
「どうぞ」
『淳蔵、私。入れて』
都の声だ。美代がドアを開ける。
「み、都!?」
都はびっしょりと汗を掻き、巨大な裁ちバサミを祈るように両手で握って胸の前でぷるぷる揺らしながら部屋に入ってきた。
「み、都、どうし・・・」
「だ、だ、誰かに、切られる、くらいなら、じ、自分で切り、切ります・・・!」
都は焦点の合わない目で笑っていて、はあはあと荒く呼吸している。
「都っ、落ち着こう! 淳蔵は髪を切らないから、ハサミは必要無い! 俺に渡せ、な?」
直治が俺と都の間に入る。都は上下左右に細かく揺れる瞳で俺の姿を捉えると、ぽそぽそとした声で問う。
「・・・淳蔵、髪、切らない、ほんと?」
「ほんとほんと! 一生切らない! 俺の髪は都の髪だから! 都の好きにしてくれ!」
「都、ハサミを渡せ。ゆっくりだ。ほら、こっちに」
都はそっと、直治にハサミを渡した。そしてのそのそと部屋から出て行った。
「し、死ぬかと思った・・・」
ハサミを持ったまま、直治が脱力する。
「心臓止まったから誰かマッサージしてくれ」
「そのまま止めてろ」
「俺でよければしてやるぞ。肋骨が折れるだろうけど」
「クソッ、ああ言えばこう言いやがって・・・」
俺達は数秒沈黙し、見つめ合ったあと、笑った。
「おら、早く出て行け。もやもやが晴れてすっきりした気分なんだよ。ゆっくり味わわせろ」
「言われなくても。行くぞ、直治」
「はいはい」
美代と直治が部屋から出て行く。俺はパトロールのために二羽、鴉を飛ばした。いつもより風が心地良く感じた。