二百六十六話 蛍

文字数 2,748文字

「都、明日の夜、デートしよう」


都は、戸惑いながらも頷いた。

翌日の夜。

食事の時間に、二人で抜け出すように庭に出る。俺は左手に鞄を持ち、右手を都に差し出した。都は緊張しているのか、遠慮がちに握ってくる。都の手を俺のコートのポケットに入れて、そっと、指輪の『スイッチ』を入れる。


「温かい・・・」


俺が微笑むと、都も微笑んだ。二人で森の奥へと歩いていく。


「美代とデートするの、久しぶりだね」

「だね。お互いに仕事ばっかりで。なんて、俺は都の秘書なんだけどさ」

「私が社長をできているのは、美代のおかげだよ」

「フフッ、ありがとう」

「ううん。私こそ。ありがとうね」

「都、寒くない?」

「寒くないよ。肺に冷たい空気が入ってきて気持ち良い」


可愛い都。柔らかい手が愛おしい。


「・・・皆に、『あの話』、したよ」

「・・・そう」

「いいんだよ、都」


都の唇が、震える。


「いいんだよ」

「・・・うん」


なにかを眩しがるような笑みを、都は見せた。


「そうそう、次の休みに、ジャスミンを連れてドッグプールに行ってくるよ」

「えっ? 美代がジャスミンとプールに?」


都が吃驚する。


「引きこもりの直治も連れていく」

「珍しい組み合わせだね」

「俺、あの犬と出掛けたこと殆ど無いから、少しは恩返しをね」

「ああ、恩返し・・・」

「そう。ドッグランやドッグカフェは行き慣れてるみたいだから、プール。屋内の温水プールだって。予約してあるんだ」

「フフッ、連れていく約束をした時、どんな反応だったの?」

「大喜びして顔を舐めてこようとしたから注意したら、どうしても舐めたかったのか膝を舐めてきたよ」

「んー、可愛い。絶対に舐めたかったのね・・・」


少しずつ、都の話す声が元気になってくる。


「・・・都、ここだよ」


森の奥、少し開けた場所に、小さなベンチが一つ。俺は鞄から折り畳み式のクッションを取り出して、ベンチに敷く。恭しい仕草で都に座るように促すと、都はにこりと笑って、座った。鞄をベンチの隅に置き、俺も都の隣に座る。


「見ててね」


両手を広げて都に見せ、手を合わせる。そして、手の中の空気を膨らませるように、ゆっくりと形をかえてから、手を開いた。


「わ、凄い・・・!」


俺の手の中にあるのは、小さな火の粒。ふう、と粒を散らすように息を吹きかけると、くるくると舞いながら辺りに広がり、木の枝や草の葉の先に留まり、きらきらと輝く。少しだけ、空気が温かくなった。


「綺麗でしょ」

「とっても綺麗・・・」


人差し指の先に火の粒を作り、都の前に飛ばし、ふわふわと漂わせる。


「手を出してごらん」


都が両手を差し出す。俺は都の手に火の粒を乗せた。


「不思議。熱くない」

「美代君はこういう芸当もできるのですよ」


おどけて言うと、都はくすくすと笑った。


「冬に蛍だなんて、素敵ね」


そう言われて、一瞬、呆けてしまった。都は手元の火の粒に夢中だったので気付かれずに済んだが、デート中に相手に見られたらまずい表情だっただろう。

俺はイルミネーションデートのつもりだった。

都も、イルミネーションは見たことがあるはず。でもそれは、なんらかの媒体を通してのもので、本物は見たことがない。だから『冬の蛍』という考えになり、その言葉が出た。

懸命に努力しても、都は時代に取り残されていく。

俺が居ないと、なんにもできない、哀れな女。

だから、

だから俺が、ずっと一緒に居てあげる。

都を信じて、この山で、この森で、この館で、都を待つ。

都の代わりとして仕事をしながら、都を待ち続ける。

いつ都が帰ってきてもいいように。


「都」


俺はにやりと笑う。


「お腹空いてない?」


都はちょっと吃驚したあと、恥ずかしそうな顔をした。


「・・・空いてます」

「だよね。夕食を食べずに来たんだから」

「なにかご馳走してくれるの?」

「あは、ご馳走って程じゃないけど、都が好きそうなものを・・・」


俺は鞄から、包装紙に『肉まん』と書かれた個包装の肉まんを取り出した。


「肉まんだ!」

「ちょっと触ってみて」


都が包装紙越しに肉まんを触る。


「冷たい」

「見ててね」


俺は肉まんに意識を集中させ、再び都に触らせる。


「温かい!」

「どうぞ」


都は弾けるような笑顔になった。なんて安上がりなんだ。物凄いお嬢様育ちで物凄い社長なのに、なんでこんなに庶民的なんだろう。


「・・・齧り付いていい?」

「いい。俺しか見てないよ」

「じゃあ、いただきます」


都は普段、肉まんなどの中華まんは割って食べる。それが作法だからだ。でも本当は、テレビのコマーシャルのように齧り付いて食べたいらしい。ぱく、と齧り付いたものの、かなり遠慮しているので皮しか口に入らなかった。そんなところも堪らなく可愛らしい。都に気を遣わせないために、俺も肉まんを取り出し、冷めたまま食べる。


「もっと食べる?」

「じゃあ、もう一つだけ・・・」


都は肉まんを二つ、ぺろりと平らげた。俺は水筒を取り出し、コップに温かいココアを注ぐ。


「食後のデザートも兼ねて、どうぞ」

「ありがとうございます」


ココアの温度管理もばっちりだ。一条美代に抜かりはない。


「フフ、勧めておいてなんだけど、変な食い合わせだね」

「甘いとしょっぱいで永遠に食べ続けられるけどなあ・・・」

「この前もそんなこと言って、たい焼きと塩昆布をぺろりと・・・」


談笑しながら、都がゆっくりとココアを飲む。飲み干したタイミングで、


「もう一杯飲む?」


と聞いたが、


「ううん。ごちそうさまでした」


と礼を言われた。


「おそまつさまでした」


都の身体を冷やさないよう、火の粒を調整しながら、語り合う。虫の声のしない夜が更けていく。


「もう帰ろうか」

「うん」


俺は火の粒を消した。途端に辺りが真っ暗になる。なにも見えないが、俺達は夜目が利くので問題は無い。手を繋いで館まで帰り、都の部屋の前まで甘い雰囲気を味わう。


「美代、今日はありがとう」

「いいえ。またデートしてね」

「あは、喜んで。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」


俺は都の手にキスをした。都が部屋に入って鍵をかけたのを確認してから、階段を降り、自室のドアを開ける。淳蔵と直治がそれぞれ椅子とベッドに座って俺を待っていた。


『おかえり』


二人の声が重なる。


「し、しぬ・・・し・・・」


俺の『能力』、燃やすのは簡単だ。というか可燃物は一度火を点ければ勝手に燃える。しかしこれが『燃えているものを燃やさないように維持する』となると、物凄く気力を消費する。


「大分アホだな・・・」

「ほれ、お兄ちゃん。栄養ドリンクだ」


直治が栄養ドリンクの蓋を開けてストローを差す。受け取って飲んだが、胃の中にある肉まんとの相性が最悪で、気持ち悪くなるだけだった。


「うーん。これは『都様親衛隊』の隊長を名乗ってもいい程の愛だなァ・・・」

「ヘヘッ、舐めんなよ・・・」

「舐めるのはお前だよ。早く栄養ドリンク舐めろ」
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