百五十八話 前途多難

文字数 2,715文字

「直治さァん」

「休憩だな、いいぞ」

「ありがとうございま、」


『ジャァァァスミィィィィィィィィィィンッ!!!!』


どかん! と館が爆発したのかと思った。


「ニャギィ!? なな、なんですっ!?」


ドチャドチャドチャ、ドスドスドス、足音が二つ。ジャスミンが談話室に駆け込んでくると、直治の足の下に無理やり潜り込んだ。


「うおッ!?」


ドス、ドス、ドス・・・。


「な、なあ、都じゃね?」

「だっ、だよな、やばいぞ」

「なにしたんだよ馬鹿犬っ」

「あっ、都さん・・・」


ピタ、と俺達は静止した。

ぬるり。

口角だけ吊り上げた都が談話室に顔を出す。目は見開かれ、瞳孔も開いていた。


「直治?」

「は、はい!」

「まさかとは思うけど、ジャスミンを庇っているの?」

「ちッ、違います! こいつが勝手に!」


直治はバタバタと暴れてソファーの上で横向きに倒れる。


「あの、都さん」

「なに?」

「どうしてそんなに怒っているんですか?」


千代が緊張しながら聞く。


「・・・誰かジャスミンを捕まえて」


直治が慌ててジャスミンの首輪を掴んだ。


「ふぅー」


都はいつも座る俺の隣ではなく、談話室の入り口に一番近い美代の隣にドカッと音を立てて座った。


「なにから説明すればいいのかな」


少し外側に跳ねている髪をガリガリと掻く。相当苛立っている時の仕草だ。


「『中畑製薬会社』って覚えてる?」

「あ、えっと、早貴って名前の娘と一緒に館に泊まりにきた、中畑さん?」

「そう」


少し前に館に泊まりにきて、都に頼んで芝居を打ってもらったのが、中畑製薬会社の社長、中畑。その娘の早貴は美代に惚れていて、中畑はそれを利用して新たなビジネスを成功させようとしていた。美代に手酷く振らせることで傷付いた早貴のこころを、早貴に惚れている、ある男に慰めさせて、男と早貴をひっつけようとしていた。所謂『政略結婚』のためだが、男が都合良く早貴に惚れていたので、あとは世間知らずでプライドの高い早貴を納得させれば済む話、だったはずだ。


「あの早貴って名前の馬鹿娘、中畑社長のお目当ての男とうまくひっついて同棲を始めたらしいわ。でもね、家事が全ッ然できなくて、事情を知っている私に『花嫁修業』をさせてほしいって頼み込んできたんだよ」

「花嫁修業?」

「そう。期間は三ヵ月。こんな山奥なら、一度連れ込んでしまえば簡単には逃げ出せない。娯楽も限られているしね。短期間で御相手の男の御母様から結婚のお許しが出るよう躾け直してほしいんだってさ」


ジャスミンがささやかな抵抗を始めたので、直治が両手でジャスミンの首輪を掴む。


「プライドの高い馬鹿って、使いようによっては輝くからね。『メイドと同じ待遇で扱う』ってことにして、私達への敵対心を上手く利用して、必死に勉強するように焚きつけてほしいってことだよッ! 『我儘に育てた責任は取る』つってたのはなんなんだよッ!」


都がガタンとテーブルを蹴り上げる。俺達は吃驚して身を竦ませた。


「ジャスミンが、それを承諾しろってさッ!」

「・・・都のため、に?」


都は鼻から深く息を吐いたあと、再びガリガリと髪を掻いてから頭を抱えた。


「どうしても、なんですか?」

「いいえ、『どうしても』じゃない。でも『その方が良い』って。だから多数決取りましょ。中畑早貴を三ヵ月、メイドと同じ待遇で働かせて躾けることに賛成の人、手を挙げて」


俺と直治、千代が手を挙げる。ジャスミンも行き場のないオテを空中でふわふわと漂わせていた。


「反対は美代だけ?」

「そうなりますねェ」

「・・・ッチ、わかりましたよ。相手は『すぐにでも』って話だったから、返事の電話を入れてくるわ。その前に、」

「うわっ!?」


都が美代を押し倒して強引に唇を吸う。


「ちょ、んんっ」


俺達は思わず目を逸らした。


「あっ、あっ!? だ、駄目だよっ、み、皆、居るのにっ」

「うるさい」

「そ、そんなっ、あふっ、んぅ・・・」

「じっとしてなさい」

「あ、あ、や、やめて、やめ・・・」

「じっとしろつってんだろ」

「ひぅ、ご、ごめんなさ、あ・・・」


くちゅくちゅとした水音、衣擦れ。美代の弱々しい吐息。二、三分の時間が永遠に感じられた。都は美代を虐めて気が晴れたのかはわからないが、いつも通りの静かな足音で談話室を出ていった。美代が、はあ、ふう、と呼吸を整えている。


「も、もういいよ・・・」


そっと美代の方を見ると、茹でられたように真っ赤になっていた。


「わ、悪い・・・」

「美代は悪くない・・・」


直治がシャツを引っ張りながら顔を横に振る。


「ご、ごめん、ちょっと・・・」


美代はふらふらしながら談話室を出ていった。


「うーん、都さん、なかなかの暴君ですねェ」

「お前それ本人に聞かれたら殺されるぞ・・・」

「そんなに器の小さい人ではないと思いますけどォ・・・。しかし直治さん、メイドと同じ待遇、ということですが、『花嫁修業』なんですし、三ヵ月分のカリキュラムを組まなければならないのでは?」

「あー、そうだな。俺が上司でお前が先輩になるのか・・・」


俺は『ご愁傷様』という言葉を飲み込んだ。相手の出方次第だが、直治が面倒事に巻き込まれるのは避けて通れないからだ。こういう時、長男なのに運転手という身分に甘んじてふらふらしている自分が情けなくなる反面、少しほっとする。

一週間後。

中畑親子が大量の荷物を持って館に来た。


「お久しぶりです、都さん」

「お久しぶりです、中畑さん」

「まずは、先日の非礼を詫びさせてください。申し訳ありませんでした」


中畑が早貴を見て謝罪を促す。


「・・・申し訳ありませンでした」


早貴はむすっとした表情で頭を下げた。


「お気になさらず。それより、三ヵ月分のカリキュラムの確認をしましょう」


都と直治、千代が作った書類を中畑と早貴に渡し、それぞれ目を通す。


「勤務時間は朝七時から夜八時まで。休憩は三時間。休憩は好きな時間にとっていただいて構いません。その際、スケジュールを管理している直治に申し出ること。休日は毎週水曜日と土曜日。直治と千代さんが、料理、掃除、洗濯を。食事マナーなどの礼儀作法は私が指導します。余裕があって興味もあれば、お裁縫や家庭菜園などもやってみる、ということでよろしいですか?」

「はい」

「淳蔵、直治、荷物を部屋に運んであげて」

「はい」

「わかりました」

「では、館内の案内を私と千代さんでしましょう。美代は中畑さんのお見送りを」

「はい」

「ありがとうございます。早貴、頑張るんだよ」

「・・・わかりました」


早貴は思いっ切り都を睨んでいた。荷物を持って二階に上がると、直治が零すように言う。


「前途多難だな」

「潰れそうになったら適度に話し相手になってやるよ。お前も馬鹿娘もな」

「ありがてえ」


直治が、くく、と笑って喉を鳴らした。
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