二百六十九話 アンナ

文字数 2,786文字

カメレオンに教えられたアンナの居場所、小さな庭付きの一軒家に到着した。庭には物干しと、自転車が二台ある。俺はインターホンのボタンを押した。ぴんぽおん、と小さく音が鳴る。少し待っていると、玄関のドアが開いて、女が出てきた。


「はぁい」


吃驚した。にんまりとした笑顔、小さく細い身体には不釣り合いな大きな胸、腕と太腿にはびっしりと自傷の跡。その中には『アンナ』の文字もある。真冬だというのにピンクのキャミソール姿で、素足だ。『不用心だな』という感想は一瞬でどこかへ行った。


「どちら様ですかぁ?」

「突然お伺いして申し訳ありません。一条淳蔵と申します。こちらがアンナさんの、」

「はいはいはいはい。アンナちゃんですねぇ。どうぞどうぞぉ」


女は冷えているであろうタイルの上をぺたぺたと足音を鳴らして歩き、門扉をあっさりと開けた。『不用心だな』という感想が戻ってきた。


「失礼します」

「はぁい」


玄関の靴は散乱している。女物の靴と汚れたスニーカーばかりだ。スニーカーは大きい。色々と推測したが、口に出せば邪推になる。だから口には出さなかった。スリッパは無いようだ。女は玄関から入ってすぐの階段を無言で登っていく。アンナは二階に居るらしい。ぎし、ぎし、と踏面が鳴った。


「アンナちゃあん、お客さんだよぉ」


そう声をかけると、ノックもせずに一つの部屋のドアを開けた。そしてそのまま中に入っていく。女の背中越しに見えた部屋の中は、玄関とは違って綺麗だった。


『どうぞ』


別の女の声がした。姿は見えない。


「失礼します」


今更警戒しても遅い気がするが、そっと、部屋の中に入った。

嫌なにおいがした。

アンナは気怠そうな目元をした女だった。洒落た短髪をして、フレームの薄い眼鏡をかけている。胡坐を掻いているのに身長172cmの桜子よりも背が高いのが一目でわかった。黒いタートルネックとシンプルなデニムを着ているのも手伝って、中性的に見える。アンナは右手に紙巻き煙草を持ち、吸い、煙を吐き出した。


「座布団はありません」

「お気遣いありがとうございます」


俺と桜子はアンナの対面に正座した。


「お茶もありません」

「はい」


女が部屋を出ていき、ドアを閉めた。


「ご用件をどうぞ」


俺は都から都市伝説を調べるよう指示されたことと、町で会ったカメレオンにアンナの存在を教えてもらったことを伝えた。


「あー、あの子か・・・」


カメレオンの予想通り、なにか知っているようである。


「放っておけば虚しくなって悪戯をやめますよ」

「そういうわけにはいきません」

「そうですか? うーん。まあそう言うのなら止めはしませんけど・・・」

「力をお貸しください」

「ま、名前を付けるなら『透明人間』ですね」


アンナは少しズレた眼鏡をくいと持ち上げた。


「自分の存在に気付いてほしくて落書きをしていたら、たまたまその場所で事故が起こって、それを『呪いのマークだ』だなんて面白がって尾鰭を付けて喋る馬鹿の話を聞いて嬉しくなってしまって、今では町中を歩き回って呪いのマークを探して悪さをしているってわけです」


俺は頷く。


「正体は十七の小娘です。もう死んでますよ」

「もう死んでいる?」

「そう。だから人間とは『レイヤー』が違う。人間は干渉どころか感知もできない。敏い子ですから、そのうち気付いて悪戯をやめますよ。人間が反応しているのは『悪戯の結果』であって、『自分自身』ではないということに気付いて、やめます」

「反応が悪くなると、もっと過激なことをして気を引こうという心理になると思います。事実、度の過ぎた悪戯のせいで町は緊張状態にあると聞いています」

「ああ、すみません。止めはしないと言ったばかりでしたね。昼間は人間だった頃に住んでいた家に居ますよ。自室に居ます。場所は・・・、」


アンナは透明人間の住所を、二回、繰り返して言った。


「ありがとうございます。対処法については、」

「対処法? 妙なことを仰る」


アンナは片眉を上げた。


「ご自身も『レイヤー』が違うことに気付いていないのですか?」

「『人間らしく』を方針に教育されましたので、このようなことには明るくないのです」

「ほう、通りで私のことも知らないわけだ」

「不勉強で申し訳ありません」

「対処法でしたね。その辺の人間と同じように扱えば良いでしょう。もっとハッキリ言えば、殺してしまえば良い」

「ご教示いただきありがとうございます」

「他に聞きたいことはありますか?」

「いいえ。ありません。貴重なお時間をいただきありがとうございました」

「私から一つ、苦情を申しても?」


アンナは表情をかえずに言った。


「はい」


俺が返答すると、アンナは桜子を見た。


「何故、そちらの女性を連れてきたのか、理由をお聞きしたい」

「社長から、僕と彼女でこの件を解決するよう指示されました」

「では社長の差し金か」

「彼女が、なにか?」

「天敵ですよ、私の」


アンナは紙巻き煙草を人差し指と中指に挟んだまま、手の平を差し出すようにして俺達に見せる。黒い粒が皮膚から続々と飛び出し、部屋中に行き渡った。鳥肌が立った。物凄い不快感。これ以上ない程に嫌な羽音。


「世界で一番人間を殺している生きもの。『蚊』です。私の『商売道具』です」


大量の蚊がアンナの手に戻っていく。心底ほっとしたと同時に、不快感が肌を蝕んでいる。


「紹介が遅れました。私は『ダンピーラクィーン』のアンナ。吸血鬼と人間の交雑種です。町中に蚊を放ち、血を吸い、僅かな水溜まりの中に卵を産む。冬になると寒さで殆ど死んでしまいますが、全滅することはありません。私は蚊を通して町を観察し情報を仕入れています。お話した情報の信憑性の裏付けに、なりますかね?」

「はい。信じます」

「蜂は蚊を喰います。私を脅すために連れてきたわけではないようですが、あまり良い気持ちはしません」

「申し訳ありません」

「さ、用件は済んだでしょう。お帰りください」

「ありがとうございました。失礼します」


俺と桜子は部屋を出て、階段を降り、靴を履いて玄関から出る。


「あっ、お話終わりましたぁ?」


女が洗濯物を干していた。


「はい。終わりました。お暇します」

「はぁい」


女はやはり、素足だった。門扉を開け、外に出るよう促されたので、大人しく従う。女は門扉を閉めるとにんまりとした笑顔を一切崩さず手を振り、洗濯物を干し直し始めた。俺達は車を停めてある近くのコインパーキングに向かった。車に乗り、不快感を少しでも取り除きたくて、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「情報は得られましたが、あの紙巻き煙草は・・・」


桜子の予想は間違っていない。


「いけない葉っぱだな」

「・・・少女の自宅に向かいますか?」

「少し休憩したい。夕暮れまでまだまだ時間があるし、飯でも食おう」

「わかりました」

「なんか食いたいモンあるか?」

「では、パスタを」

「よし。車出すぞ」


俺はもう一度深呼吸してから、車を走らせた。
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