百六十七話 ニュウドウカジカ

文字数 2,953文字

遅い夕食が始まった。俺の隣に美代、正面に直治。都は中畑が来る前は一番奥の上座で食事を摂っていたが、中畑が来てからは食事マナーの指導をするため、美代の二つ隣の席に座り、都の正面に中畑が座っていた。


「美代、ゆっくりでいいから、なにがあったか話してくれる?」

「わかった」


綺麗さっぱり汚れを落とした美代の頬には、湿布が貼られている。


「商談の帰りに車に乗ろうとしたら、覆面を被ったヤツらに襲われたんだ。手を後ろに縛られて、麻袋を被せられたよ。怖くて動けなかったね」


中畑は汗をだらだら垂らしながら、目の前に置かれた水の入ったコップを見つめている。


「車に乗せられて、降ろされた場所で椅子に縛り付けられてさ。麻袋を乱暴に取るから髪がぼさぼさになっちゃったよ」


美代は味噌汁を静かに啜る。


「相手は男二人、女二人だった。女がこう言ったんだ。『今から私達と『イイコト』して、恥ずかしい写真と動画をいっぱい撮ってあげる』ってね。その映像をネットに流されたくなかったら、母親の一条都に身代金を払わせろ、ってさ」


俺は直治に話を聞いた時から、ずっと胸がむかむかしていた。食事の味がしない。


「抵抗したら一発殴られちゃった。鼻血が出たよ」


美代は薄く笑みを浮かべながら続ける。


「でね、日頃の行いの良さが出たのか、拘束がするっと解けてね。逃げ出そうとしたら揉み合いになっちゃって、相手のことボコボコにしちゃった。過剰防衛で警察に逮捕されちゃうかなあ?」

「冗談言わないの」

「あは、ごめんなさい。で、男一人と女一人は、生きてるのかわかんないくらいズタズタにしちゃったんだ。そうしたら残りの二人が命乞いを始めてね。情報を洗いざらい吐いて警察に自首するなら見逃してあげるって言ったんだよ」


中畑がヒッヒッと小さくしゃくりあげる。


「とある金持ちの娘に金で雇われて俺を襲おうとしたんだって。娘とは長い付き合いで、中学と高校が一緒だったらしいよ。娘が嫌いな同級生を虐めて泣かせるたびに、娘が報酬として金銭を支払ったのが始まりなんだってさ。それで虐められた同級生はひきこもりに。他にも、教師を退職に追い込んだり、部活を私物化したりと好き放題やったそうだよ。大学に進学してからは、娘が嫌った女を『合コン』と称して呼び出して、襲って映像を撮って脅していたんだって。娘はそうやって他の女を蹴り落として、大学の『ミスコン』で一位を取って喜んでいたんだってさ。一体、どんなブスなんだろうね? 一目でいいから見てみたいよ」


中畑が顔のパーツを中央に集めるようにくしゃっと歪めた。


「命乞いしてきた二人はどうしたの?」

「わかんない。怖くて逃げてきちゃったから。自首したんじゃないかな?」

「車は?」

「あいつら、俺から車の鍵を奪ったあと、俺の車を運転して一緒に移動してたんだよ。証拠が残らないようにしていたんだろうね。鍵は命乞いを始めた時に返してもらったよ」

「他になにか言っておくべきことはある?」

「連れ去られたのは山奥の廃ホテルだったよ。携帯で位置情報を確認したから自力で帰ってこられたってわけ。あ、ごめん。写真撮るの忘れちゃった。怖くてそれどころじゃなかったからさあ」

「そう。沢山喋らせてごめんなさいね」

「ううん。気にしないで。で、どうしようか。警察に自首するって言ってたけど、信じていいのかな?」

「自首するとなると、今までの犯行が明るみに出るから全員タダじゃ済まないわね。勿論、雇い主のお金持ちの娘とやらもね」


中畑はデカい顔を赤くしたり青くしたりを繰り返している。


「自首しないとなると、厄介ね。逆恨みしてなにをしてくるかわからないし、夕食が終ったらすぐにでも警察に連絡して現場を調べてもらって、美代にも事情聴取に行ってもらわなくちゃいけないわ。弁護士も呼んで、万が一のために備えないとね」


面白くなってきた。中畑の逃げ道がどんどん無くなっていく。


「淳蔵はどう思う?」


都が俺に振る。


「むかむかしてるよ。俺の可愛い美代になんてことしてくれやがる」


美代が目を見開き、照れ臭そうに俺から視線を逸らした。


「直治は?」

「徹底的に追い詰めてやらねえと気が済まねえ。俺の可愛い美代になんてことしてくれやがる」


美代が真っ赤になって俯いた。


「・・・中畑さんはどう思う?」


ぴし、と氷が割れるような雰囲気が場を支配し、一気に冷える。


「わ、わだじ・・・」

「私ね、長く生きてるから知ってるの。死ぬよりつらいことなんて、この世にいくらでも存在することをね。もし、美代がレイプされてその光景を撮影されて、電子の海を永遠に揺蕩う存在になったら、美代は死ぬよりつらい状態になるんじゃないかしら。美代がそのあと、どうやって生きていくのか、中畑さんは考えたことある?」


中畑はがたがたと震え、視線をあっちこっちにせわしなく動かしていた。


「ねえ、あんま人のこと舐めんなって言ってんの。殺すつもりでかかってこいや。こっちも殺すつもりでいくからよ。美代だけじゃなくて一条家まで地獄の窯の底に叩き落そうとしたんだろ? こっちも同じことしてやるよ。お前も、お前の父親も、婚約者も。それだけじゃない。血族、友人、知り合い、そいつらのガキから飼っているペットまでまとめてブチ殺してやるよ。お前を殺すのは最後だ。お前のせいで大勢の人間が殺されていく事実に震えてろ、ボケが」


都の声は徐々に低く、淡々としたものにかわっていった。中畑は過呼吸を起こしそうな程泣いている。


「さあ、中畑さん。これから家族団欒を楽しむから、余所者の貴方は消えてちょうだい。邪魔よ。自室に戻ったら外には出ないでね。明日からまた、直治と千代さんに教えてもらいながら、お勉強を頑張りましょうね。おやすみなさい。良い夢を」


中畑は椅子から立ち上がったが、すぐに膝から崩れ落ち、その場で泣き続ける。


「あ、そうそう。都、お土産があるんだ。『肉』を『一人分』ね」

「・・・美代、もう少し自分を大切にしなさい」

「うーん、永遠の課題になるかも。『肉』さあ、今の状態だと『長期保存』はできないでしょ?」

「そうねえ」


中畑はなにをしでかすかわからない。ジャスミンが『都のためになるから』と考えて地下室に入れる可能性もある。


「俺、さっき食べてきたから、皆で分けて食べてよ」

「いいの?」

「いいよ。遠慮せず食べて」

「・・・じゃ、明日にでもいただきましょうか」


中畑が椅子にしがみつき、よろよろと立ち上がる。


「なンの・・・、なンの話をしているンですか・・・?」

「一条家の人間ではない貴方には関係のない話よ。まだそんなところに居るの? 消えろと言ったはずよね。貴方の顔、陸にあげられたニュウドウカジカみたいで、視界に入ると食欲が失せるのよ。早く部屋に戻って」


うっ、と直治が箸を持ったまま口元をおさえ、身体を揺らして静かに笑う。


「親の七光りで威張るにしたって、その親が成金じゃあねえ。品性の欠片もありゃしない。叩いて躾けるのはポリシーに反するのだけれど、明日からは遠慮も容赦も無く貴方のこと叩いて躾けるわね。精々、それ以上顔が大きくならないように頑張りなさい」


中畑は嗚咽を漏らしながら食堂を出て行った。


「なんだ? 陸にあげられたニュウドウカジカって」

「あとで調べなさい。吃驚するくらい似てるから」


都は苦笑した。
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