二百八話 あの頃の話

文字数 2,906文字

「お願いがあります」


桜子が頭を上げる。


「私を、『小鳥』にしてください」


淳蔵と美代の怒りが沸騰するのがわかった。


「馬鹿かテメェ。人間未満のナマモノの分際でなにほざいてやがんだ? あ?」

「美代、落ち着け」

「直治!! テメェは物知り顔で事情通ってか!? 俺にブチ殺されてェのかッ!!」


淳蔵が俺と美代の間に立ち、両手で制して宥める。『夢』で見て知っていたとはいえ、現実で事実として起こるとどんなに覚悟をしていても、受け止めきれない時はある。


「美代さん、チェックメイト、の状態ではないでしょうか?」


千代が言う。


「二人を空手で追い出すか殺すか、どちらにせよイリスとやらは次の手を講じてくるでしょう。悪魔の血を手に入れるまで、です。かといって、血を持ち帰らせたらそう遠くない未来におおごとになるでしょうし、都さんがそんな状態を見て見ぬ振りできますかねえ?」


美代が千代を睨む。


「二人をこのまま匿っているのも危険です。良からぬ企みをしていないとも限りませんし、イリスが『裏切った』と判断したら、二人を始末するためになんらかの形で一条家に接触、いえ、攻撃ですね、してくる可能性は、ヒッジョーに高いと思われまァす!」


千代はぴんと人差し指を立てた。


「私達、都さんの罠にまんまと嵌っておるのです!」


美代は、都に『可愛い』と評判の顔を、思いっ切り顰めた。


「導き出される答えは一つ。イリス・モーリーをブッ潰さないと、一条家に平和はありませェんッ!」

「・・・成程ぉ?」


歪んだ笑みをぴくぴくと引き攣らせながら、美代が事務室のドアを開けた。腕を組んだ都が正面の壁に凭れ掛かって立っていて、薄っすらと笑っていた。


「社長、『報連相』って知ってます?」

「美味しいよね」

「それはホウレン草! 最初っからこうするつもりだったんなら、なんで俺達に言わないんだよ!」

「意地悪だから」


にこ、と都は笑った。美代は拳を握りしめて全身を震わせている。


「あー、都? あんまり美代を怒らせるなよ?」


淳蔵が間を取り持つ。


「ごめんなさいね。明日、招かれざる客を招くわよ」


都は一枚の写真を取り出し、美代に渡す。


「写真の彼がイリス・モーリー。明日の夜十時、ちょっとしたイベントを談話室で開催するから、皆さん参加してね」

「・・・どうやってこんなもの手に入れたんだ?」

「その気になれば、なんでも手に入るわよ」


冗談に聞こえないのが性質が悪い。誰もなにも言えなかった。


「ちょっと言い過ぎたかしら。生き物のこころまでは手に入らないわね」


都は去っていった。


「・・・桜子君」

「は、はい!」

「君を『小鳥』にするかどうかは一旦保留だ。俺達はヒッジョーに忙しい。俺達が汗水垂らして働いている間に都とイチャイチャしようだなんて考えたら、わかってるよね?」

「はい! わたくしもキッチリとお仕事をいたします! 貴重なお時間を頂きありがとうございました! 失礼します!」

「しし、失礼しますぅ」

「失礼しまァす!」

「お前は待て雌猫」

「エェッ」


桜子と金鳳花が事務室から退散していく。千代は逃げ遅れたというのに、困った顔はしていなかった。


「俺は今、神経がささくれだっている。話し方と言葉の選び方には気を付けろよ。場合によっては質問が尋問、尋問が拷問にかわって、そのまま処刑になるぞ」

「はァい!」

「どこまで知ってた?」

「桜子さんが都さんを好きになる前は、桜子さんが自供した内容の全てを、です」

「好きになったあとは?」

「あの、殺さないでくださいよ? 二羽目の『小鳥』にするかどうかは、私が決めてよいと」

「な、ん、で、決定権がお前にあるんだよ!」

「燃やさないでください! 『火車』になっちゃいます!」

「命乞いしてる暇があるなら尋問に答えろ!」

「私は二羽目の『小鳥』にしようかと」

「あぁん!?」

「メイドがする仕事を一人で行うには量が過ぎるのは事実なんですぅ! お客様が多い日は直治さんがお仕事をしてくださる日もありますし、料理は美代さんもしますよねっ? 都さんは、お二人にはお仕事に集中してほしいと仰ってましてェ。淳蔵さんは本体のフットワークも軽いし、弁が立つし度胸もあるし、鴉も抜群の機動力がありますから、洗濯をやめて、有事の際に備えて頂きたいと・・・」

「ほー、都、そんなこと言ってんだ」


妙なところで褒められて嬉しかったのか、淳蔵がちょっと驚いていた。


「でェ? あの女がその不足分に足りるとでも?」

「お仕事は早いし丁寧ですよ。機転は利きませんけどォ」

「平常時は良くても緊急時に役に立たねぇだろうが」

「あの人はたっぷり時間をかけて育成すればかわると思いますぅ」

「人じゃねえっつの」

「みーよー。その辺にしとけ」


淳蔵が千代を庇った。


「ンだテメェクソ鴉」

「鬱陶しくなったら謀殺したまえよ」

「都の顔見てわかんねえのかッ! 『雅』の時と同じだッ! もう完全に情が移ってただろうがァッ! 俺は都を悲しませるのがいッちばん嫌いなんだよッ!」


懐かしい名前だなあ・・・。


「直治ッ!! テメェもだんまり決めてないでなんとか言えッ!!」

「俺は『アリ』だと思う」

「はあッ!?」

「んで面倒臭くなったら謀殺しろ」

「おまッ・・・。お前までそんなッ・・・!」

「千代の苦労は、一時期メイドを育ててたんだからわかるだろ。それに、俺とお前が仕事量を増やせば都の仕事量が減る。なにかあっても淳蔵が構えてるっていう安心感も得られるだろう。話し相手も、もう一人居ても良いだろ。女を虐めるのはどうかと思うが・・・」

「そこだよそこッ!! お前らやきもち焼かねーのかッ!!」

「焼いてないわけじゃねえよ。都は俺達をないがしろにしたことはない。だから不安ではないってだけだ。落ち着け」

「ぐっ・・・こ、この・・・!」


怒りで周りが見えなくなっていたが、少し冷静になると味方が居ないことに気付いたらしい。美代は盛大な溜息を吐いて、ずっと手に持っていたイリスの写真を俺のデスクに置く。イリスは、どこにでも居そうな気弱そうな男だった。少し拍子抜けする。


「失礼するよ。俺は忙しいんでね」


美代は髪を掻き上げてそう言うと、事務室を出ていった。


「うニャ、やっぱり淳蔵さんは余裕が違いますねェ」

「えー、そう?」

「長男の器って感じがしますぅ」

「面倒臭い洗濯しなくていいからラッキーってセコいこと考えてるけどな」


そういえば、千代は知らないのか。


「千代、淳蔵がなんで洗濯やってるか知ってるか?」

「いいえ」

「あれ、なんでだっけ?」

「当の本人が忘れてんじゃねえよ。あの時は美代がメイドの管理をしていたんだが、美代は大学進学を真剣に悩んでいてな。美代の負担を減らしてやるために自分から進んでやりだしたんだよ」


淳蔵は思い出したのか、照れ臭そうに視線を逸らした。


「あの時は俺達もまだ若かったからあんまり仲が良くなくてな。淳蔵と美代は大学進学について殴り合いの喧嘩を、」

「やめろ馬鹿! 余計なこと言うんじゃねえよ!」


淳蔵は事務室を出ていった。俺は笑いを堪えるのに必死になった。


「こう言っちゃなんですが、面白い過去ですねェ」

「まだまだあるから、ちょっと聞いていけ。淳蔵と美代には言うなよ」

「はァい!」


千代は瞳を輝かせた。
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