二百二十七話 丁度良い機会

文字数 1,688文字

都が一番奥のソファー、左手に淳蔵と美代、右手に俺、一番手前に千代、と、千代が館に来てから、夜に語らう日の、いつもの席に座る。


「愛坂さんはね、椎名社長の娘なのよ」


いきなり言われて、吃驚する。


「母親は女優の・・・、」


都は、誰もが一度は聞いたことがある名前を口にした。驚きが止まらない。


「当時、二人はまだ若くて、名前も売れていなかった。ビジネスなのか、真剣だったのか、お酒による一夜の過ちなのか。そこはわからないけれど、彼女は妊娠したのよ」


都が肩を竦める。


「彼女は限界まで迷って、母親の道ではなく、女優の道を選んだ。そうして産まれた娘は父親の元へ。椎名社長には、娘に流れる血が金の鉱脈に見えた。母親はとても美しかったからね。無名なだけ、まだ売れていないだけ、と椎名社長は思った。だから愛坂さんを赤子の頃から女優として育てることにしたのよ。でも、全て上手くいったわけではない。彼の読み通り、母親は女優として美しさに磨きがかかり、演技も上達して、運も味方してどんどん有名になっていった。でも、娘はね・・・」


都は、困った顔をした。


「愛坂さん、演技は上手よ。経験を積めば、素晴らしい女優になるでしょう。でも、顔がね。どこにでも居る普通のおじさんの娘の顔。それ以上でも以下でもない。ビジネスとプライベートをわけきれなかった椎名社長は、他に育てるべき花の種がいくつもあるのに、娘を依怙贔屓して、どんどん事務所は傾いていった、ってわけ」


暴露に対する感想にしては少し間抜けな、『はあ』にも『おう』にも聞こえる声が漏れる。


「椎名社長はね、必死なのよ。愛坂さんは自分の両親が誰なのか、ちゃあんと知っている。椎名社長が他の女優の育成に力を入れ直すということは、今まで愛坂さんに注いできた労力を『無駄』と切り捨てること、つまり愛坂さん自身を『否定』することなの。あの親子は公私混同を続けてきたせいで、その選択肢が最良とわかっているのに選べない。どこかで落としどころを見つけて秘書かなんかにしときゃいーのに」


都は少し外に跳ねている髪を搔き上げた。苛々し始めているようだ。


「愛坂さんもね、自分を捨てた母親を見返すためには、母親以上の女優になるしかないと考えているの。直治に言ったでしょ? ヒステリックを起こしたら『じゃあ帰れ』って言っていいって。大人しくなったでしょ?」

「なった」


俺は頷いた。


「私、時代に取り残されて化石になっちゃわないように、定期的にマナーの先生に指導していただいてるの。とっても有名な先生よ。日本一優秀だけれど日本一厳しいってね。その先生に、前にうちで躾け直した『中畑さん』のことで少し相談をしていたのよ。で、先生は講義を受けに来た椎名社長と愛坂さんをボッコボコにしたあと、『この馬鹿親子を躾け直すのに最も効率が良い場所は一条家なのでは?』と思ったそうよ。丁度良い機会だと思って、先生と相談した結果、口裏を合わせて紹介料や成功報酬は無しでお受けしたの」

「ん? 丁度良い機会?」


美代が問う。都は頷いた。


「桜子さん、ちょっと足りないの」

「・・・なにが?」

「人間らしい感情」


俺達は沈黙した。要するに『こころを掻き乱す』ということである。


「わかってるとは思うけど、『虐めろ』って意味じゃないし『虐めを黙認しろ』って意味でもないわよ」

「ちょっとどうかと思うけど?」


美代が窘めた。


「貴方達にもちゃんと埋め合わせはするわよ」

「そういう問題じゃない」

「お願いだから付き合ってちょうだいな」


都は美代を真っ直ぐに見つめて、唇だけ緩く笑う。美代も真っ直ぐに見つめ返したが、結局、美代が根負けして、鼻で深く息を吸い、吐きながら脱力した。


「いつも通りにお願いね」

「てことは慰めたりしていいんだよな?」


淳蔵が言うと、都はちょっと驚いたあと、作り物ではない笑みを浮かべた。


「よろしくお願いします」

「話は終わりか?」

「はい」

「じゃ、失礼」


淳蔵は部屋を出ていった。


「全く、格好つけちゃって・・・」


美代も部屋を出る。


「んんー、都さんは愛情表現が上手いのか下手くそなのかわかりませんなァ」

「俺もそう思う」


都は困ったように笑った。
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