百二十一話 萌え

文字数 2,342文字

こんこん。


「どうぞ」


ドアを開けて入ってきたのは、髪の短い淳蔵だった。


「よう」

「おまっ、髪どうした!?」

「あー、鴉出し過ぎると髪から持ってかれるらしい」

「そんなに鴉使って、なにしてんだ?」

「美代のとこ」

「んん?」

「ちょっとな。で、都から聞いた話を共有しようと思って来た」


美代は今日、朝食の席に参加していない。なにかあったようだ。淳蔵は椅子に座った。


「俺達の親や親戚、殺してないんだってさ。万が一、俺達が都のこと好きになれなくて、都の元から離れたくなった時に、帰る場所の選択肢として残しておいたと」

「ああ、成程な」

「会いに行きたいなら行ってもいいんだとよ。俺は行かねーけど」

「俺も行かない」

「そんじゃ、話は終わり。失礼しましたァ」


淳蔵がドアを開けると、ジャスミンが飛び込んできた。


「おおっと」


ジャスミンが俺の前に座り、目を見る。途端に眠くなって身体がゆらゆら揺れた。


「あ、おい馬鹿犬! なにしてるんだよ!」


淳蔵が俺を支えた。俺は夢の渦にぐるぐると飲み込まれていった。

美代の部屋だ。美代は布団に突っ伏して泣いている。ジャスミンが窓の外を示そうとしたのか、背伸びして窓をかりかりと掻いた。星空の中に、アメジスト色の光が輝いている。淳蔵の鴉だ。鴉が飛び立ち、少し時間が経った頃。

こんこん。


「・・・どうぞ」


淳蔵が部屋に入ってきた。美代はベッドに腰掛けた。


「ンだよ・・・。見世物じゃねーぞ・・・」

「酒」

「あ?」

「酒持ってきてやろうか」


美代は鼻水を啜りながら頷く。


「ちょっと待ってろ」


淳蔵が部屋から出て行った。


「・・・お節介焼きめ」


美代は少し笑った。淳蔵が戻ってくる。


「ほれ」

「ん」


淳蔵が椅子を持ってきて美代の対面に座り、グラスを渡して酒を注いでやる。美代はそれをぐいっと飲み干し、グラスを差し出した。淳蔵は再び酒を注いだ。


「慰めに来たんだよな?」

「そーだよ」

「ハハッ、馬鹿だろ、俺。自分で傷口を抉って塩を塗り込んでるんだから・・・」

「そーだよ馬鹿美代」

「付き合わせて、ごめん・・・」


美代は酒を煽り、空になったグラスを放り出すと、顔を両手で覆って、身体を震わせた。


「ごめんっ、なさい・・・」


淳蔵は椅子に酒とグラスを置くと、美代の横に座って肩を抱く。


「うう・・・、ううっ・・・」

「五年、十年の付き合いじゃないだろ俺達。それに兄弟なんだから、たまには甘えていいぞ」


美代が首を横に振る。


「酒飲んで酔っ払ってるだろ? 酔っ払いのやることだと思って受け入れてやるよ」


淳蔵がそう言うと、美代は淳蔵に抱き着いた。淳蔵は吃驚していたものの、美代を抱きしめ返す。俺達全員ザルなのに、淳蔵は優しすぎる。


「泣き疲れて眠いだろ。今日はもう寝ろ、な?」


美代は淳蔵に抱き着いたまま頷くが、淳蔵を離しはしなかった。淳蔵は苦笑する。


「よっと」


淳蔵は美代を抱きしめたまま、器用にベッドの上に美代を乗せ、二人でベッドに寝転がる。ころん、と転がった美代のグラスを、淳蔵の首の後ろから出た鴉が嘴で咥えて椅子の上に運び、再び首の後ろから淳蔵の体内に戻っていく。美代は淳蔵の胸に顔をうずめたまま、寝息を立て始めた。淳蔵は、朝までずっと、美代を抱きしめ続けていた。


「おい、おい直治、大丈夫か?」

「んあ・・・」


淳蔵が俺の顔を覗き込んでいる。


「ジャスミンに夢を見させられたのか?」

「あ、ああ、うん・・・」


俺は何故か淳蔵が滅茶苦茶格好良く見えて、そっと淳蔵の身体を押し返した。


「ちょっと都に用事ができたから・・・」

「おう。俺も戻るわ」


淳蔵は事務室を出て行った。俺は都の部屋に行く。ノックせずに部屋に入った。


「あら、直治。どうしたの?」

「とんでもない夢を見ちまって・・・」

「えっ、どんな?」

「言えない・・・」

「ええっ、大丈夫?」

「心臓がどきどきしてる・・・。落ち着くまでここに居させてくれ・・・」

「うん、いいよ」


俺は寝室に行き、ベッドに倒れ込んだ。


「なんなんだ、この感情は・・・」


ベッドでじたばたして暫く過ごした。

その日の夕食。

淳蔵と美代は何事もなかったかのように食事をしていて、俺一人がどぎまぎしていた。


「直治、どうした?」


淳蔵が問う。


「な、なんでもない。ちょっと昔のこと思い出しただけだ」


一応、嘘は言っていない。昔、つまり昼に見た夢の内容で頭がいっぱいなだけだ。美代が不思議そうな目で見つめてくる。途端に美代が可愛く見えて、俺はそんな自分に動揺した。食事を終え、事務室に戻って頭を抱える。


「アホか俺は!」


淳蔵と美代相手になにどきどきしてるんだ。仕事をしようと思っても、なかなか集中できないまま時間が過ぎていく。

こんこん。


「ど、どうぞ」

『失礼しまァす!』


仕事を終えたのであろう千代が入ってきた。


「直治様ァ、お仕事終了してもよろしいでしょうかァ?」

「千代、ちょっと話に付き合え」

「はい?」

「同性同士で抱き合ってるのを見て、心臓がどきどきしてるんだが、どう思う?」


千代は頬をぽりぽりと掻いた。


「んー、直治様には都様がいらっしゃいますし、可能性としてあるとしたら・・・。『萌え』、ですね・・・」

「は、『萌え』?」

「サブカルチャーにおけるスラング、ですねえ。小説や漫画やアニメに登場するキャラクターや、実在する人物、例えば、アイドルとか役者とかに対する、心臓がきゅんきゅんする現象のことです。都様の天然エピソードにきゅんとくるのも『萌え』ということになりますねェ」

「すっごいしっくりきた・・・」

「しかしなんです? 『同性同士で抱き合ってるの見た』って・・・」

「ちょ、ちょっとな。お疲れ様」

「はァい! お疲れ様でしたァ!」


言及しない。良いメイドだ。千代が事務室を出ていく。一人になった俺は、淳蔵のヘアオイルのにおいと、美代の香水のにおいを思い出して、一人悶えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み