三百六十二話 お披露目

文字数 1,672文字

かんなは能力の低さを理由に試用期間終了と共に解雇、という名目で『仕込み』に入り、八月が終わった。紫苑は無事に運転免許を取得し、週に一度、俺が運転の練習に付き合うようになり、九月が終わった。そして、十月になった。


「では、淳蔵様」

「おう」


紫苑が都を呼びに行った。久しぶりに良い意味で緊張している。


「淳蔵様、都様をお連れしました」

「ありがとう」

「失礼します」


紫苑が部屋を出るのと入れ替わりに、都が入ってくる。


「・・・えっ!」

「ピアノ、練習して、ちょっと弾けるようになったんだよ。聴きたい?」

「聴きたい!」


都は少女のように喜んだ。俺は手で椅子に座るように促す。緊張を緩めるために深く息を吸い、吐く。そしてゆっくりと、ピアノを弾き始めた。

エリック・サティのジムノペディ第1番。

雨の日は、この曲を聞きながら甘いミルクティーを飲む。

柔い微睡みに包まれる曲だ。

なんとか演奏し終えて、俺は都を見た。都は口元を両手でおさえて、顔を僅かに赤くし、うっとりしている。


「・・・どう?」

「すてきぃ・・・」

「おお、良かった。都のために練習したんだ」

「はあ・・・。マジで・・・?」

「ハハ、マジだよ。あのさ、都。提案があるんだけど・・・」

「なあに?」

「俺、もっと練習してもっと上手くなるから、その、俺の演奏で、歌を歌ってくれないか?」

「うん。いいよ」


やったぜ。


「ンフフフフ、夢が叶って嬉しいわ」

「夢?」

「私がこの前、直治の部屋で歌ったの、聞いてたでしょ。知ってるんだからね」

「あー・・・」

「ジャスミンが言ったの・・・」


みんな、みやこのうたをききたがってるよ。

はずかしい?

ひとりだと、はずかしいよね。

だれかといっしょなら、どう?

いいあいでぃあが、あるよ。

みやこのうたも、もっとすてきになるよ。


「・・・だからピアノ講師の紫苑さんをメイドにすることにしたのよ」

「成程。誰かにピアノを弾かせるのが目的だったと」

「そう。淳蔵がいいなあと思って、紫苑さんの部屋は淳蔵の向かいにしたのよ。ウェヘヘ、上手くいっちまったなあ」

「俺のこと好き過ぎるだろ」

「だって、ピアノを弾く淳蔵、絶対恰好良いもん」

「格好良かった?」

「格好良かった! 演奏も素敵だったよ。淳蔵、いつか『諌山実生』の『月のワルツ』を弾いてよ。歌うからさ」

「『諌山実生』の『月のワルツ』な。頑張るよ」


どんな曲だろう。楽しみだ。

その日の夜。

珍しく、都以外で集まって酒を飲んだ。俺の要望だ。


「歌ってくれるって約束したのか!」


美代が嬉しそうに言う。


「おう、約束したぜ。その『月のワルツ』とやらをまず皆で聞こうと思って、今日は呼んだんだよ」

「でかしたぞ兄貴。最高だ」

「直治はどうよ?」

「紫苑とひろに優しくなれそうだ」

「そりゃいい。千代と桜子は?」

「『月のワルツ』は名曲ですよォ!? 都さんが歌ってくださるなんてもう堪らんですニャ!!」

「早く、早く聴きましょう」


俺は頷き、パソコンを操作する。動画配信サイトの公式チャンネルに投稿されている音楽を再生した。

幻想的で、洒落た曲だ。

紫苑には採譜してもらうよう、既に頼んである。都がこの曲を歌ってくれるのを想像するだけで気分が高揚した。


「ヤバい、俺、想像しただけで涙出てきた・・・」


曲を聞き終わると、美代がポケットからハンカチを取り出して目元をおさえた。


「明日から紫苑とひろに優しくする・・・」


直治は曲の余韻を噛み締めながらそう言った。


「いつ聴いても名曲ですねェ!」

「素敵な曲です!」


千代も桜子も嬉しそうだ。


「明日から、また頑張りますかね」


酒を飲み終わり、寝る準備を済ませてベッドに横になる。うとうとしていると、しっかりと鍵をかけたはずのドアが勝手に開いた。中に入ってきたのは『白い男』だった。俺が上体を起こしている間にベッドまで歩み寄り、笑顔で俺を見下ろす。


「どうした?」


ジャスミンはサムズアップをしてみせた。そして部屋を出ていった。


「・・・それだけかよ」


俺は苦笑してベッドに寝転び直す。


「ンフッ、それだけかよ・・・」


親切な白い悪魔は、都のことが好きで好きで堪らないらしい。


「ありがとよ、ジャスミン」
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