三百四十九話 天ぷら

文字数 2,768文字

夜。皆で集まって酒を飲む。


「『推し活』、『推し事』っていうのは昔でいう『追っかけ』のこと。追っかけてる存在のことを『推し』っていうんだよ。アイドル用語から派生したもので、自分は推しの『担当』なわけ。で、『同担拒否』は担当が同じ人とは関わりたくないって意味。『強火』は『私は熱い熱量を推しに捧げています』って意味。だから『強火同担拒否』になる」


美代の説明に、俺達は頷く。


「『リアコ』っていうのは『リアルに恋してる』ってこと。相手が二次元、つまりアニメや漫画の存在だと『夢女』とか『夢女子』とか言われるね。男も『夢男』とか『夢男子』とか。昔から推していれば『古参』、新参者ならそのまま『新参』を名乗る。この辺りは名乗りたがらない人が多いけどね。説明はこれで終わり」

「最近の若い子って面白いわねえ・・・」


都がしみじみと言う。


「お前、よーあんなにぺらぺら嘘が吐けるなァ」

「推し活は最近じゃ珍しくないからね。男女関係無く、アイドル、二次元、ホストにキャバ嬢、なんでもありだよ。こういう知識があると商談が盛り上がることもあるんだ。俺の『リアコだから推しは秘密で同担拒否』は嘘じゃないし、スムーズに話が進められるから良い具合なんだ」

「えっ、推し居んの?」

「アイドルやってるよ。そこに座って酒飲んでる」


美代が都を見てにやりと笑い、酒を飲む。言われた都は吃驚したあと、顔を真っ赤にして小さくなった。


「確かに、我が家のアイドルですね」

「も、もう桜子さんまでっ」

「俺も推し活でグッズ集めしようかな。抜け毛とか切った爪とか部屋のティッシュとか」

「淳蔵さん、それはストーカーですしキモいですよォ」

「冗談だって」


我ながら気持ちの悪い冗談だと思ったし千代にもツッコまれたが、美代が作った甘い雰囲気を吹き飛ばせたので良しとする。


「ンでも美代さんの言う通り『アイドル』に必要な要素は全て満たしてますねェ」

「ど、どこが?」


千代がにんまりと笑う。


「歌が上手い、ダンスが上手い、笑顔が素敵、顔が可愛い、スタイル抜群、お洒落、お上品だけどちょっと抜けててそれが『ツボ』ですニャ」

「ひええ。なんなの貴方達! おだててもなにも出ないからね!」


千代の言う通り、幼少期から仕込まれていたので歌は上手いし、社交ダンスもこなせるのだから、本格的に練習すれば賢くて努力家な都ならメキメキ上達するだろう。お顔もお乳もお尻も最高だし、お茶目な内面に触れれば余程意志の強い男でなければ虜になる。


「もう・・・」


都は立ち上がると冷蔵庫を開け、高そうなブルーチーズと蜂蜜を俺達に振舞う。おだてて出てきてるじゃねえか。なんて可愛いんだ。


「ねえ千代さん、幸恵さんのこと、なにかあったらすぐに相談してね」

「うーん、お肉さんに興味が無いので、『おっなんやおもろいことしとるなあ』としか・・・」

「変だね、都。教えてくれないくせに心配するなんてさ」


美代がちょっと嫌味っぽく言った。


「ジャスミンが『教えるな』って言うから・・・」

「犬の肉は炒めて食うと美味いらしいな」


直治がジャスミンを見て言う。ジャスミンは不満気な上目遣いで見つめ返して『ぶうん』と鼻を鳴らした。

雑談を楽しみ酒を飲み終わり、部屋に戻る。

メイドの管理は直治の管轄なので、幸恵のブログのチェックを俺がする必要は無いが、念のために見ておく。


『タイトル:手間のかかるご主人様です。

 こんにちは。メイド長のCです。

食事当番のMさんが、ロイヤルミルクティーでフレンチトーストを作っていました。勿論、ご主人様のため。十二時間以上漬け込んだため、とろとろです。茶葉の上品な香りがふわりと立つ、とても美味しいフレンチトーストです。私もいただきました。しかしご主人様、冷食に喜んだり手の込んだものに喜んだりと忙しいお方。ちょっと呆れてしまいますが、私はそんなご主人様のことが大好きです。



 今日の朝食
  食パン、バター、アロエの果肉入りヨーグルト。

 今日の昼食
  なし

 今日のおやつ
  ロイヤルミルクティーのフレンチトースト、麦茶。

 今日の夕食
  牛ステーキ、コーン、ポテト、ブロッコリー、パン、バター、赤ワイン。



 それでは皆様、ごきげんよう。』


「あほくさ・・・」


事件が起こったのは次の日だった。

どんどんどんどんッ!!

自室で寛いでいたら、ドアが乱暴にノックされた。


「直治、どうした?」


ノックの主は直治だった。顔を真っ赤にしてこめかみに血管を浮かび上がらせている。


「都どこだ」

「知らんぞ。部屋に居ねえのか?」

「居ない」

「電話も出ねえの?」


直治は反応しない。というより反応に困って返せないようだった。


「怒り過ぎて電話って選択肢が頭から飛んでったか」

「あー・・・」

「ちょっと落ち着け。なにがあったんだよ」

「ジャスミンが『新しいメイドを雇え』と言ってきた。それが気に入らねえんだよ!」

「落ち着けって。罪状は?」


直治は、すー、と息を吸い、はー、と吐いた。


「・・・一言でまとめるなら『天ぷら』だな」

「『偽物』・・・ね。今も千代の偽物がうろちょろしてんのにな」

「都に電話する」

「俺より先に美代に居場所聞いたか?」

「あいつも居ねえ」

「あれま」


直治はその場で電話をかけた。


「俺だ。どこに居る」


俺達は電話をかけた際、『一条淳蔵です』と名乗るように躾けられている。その余裕すら直治には無いらしい。


「美代とキッチンに? ジャスミンの馬鹿のこと知ってるか? ・・・知らない? またメイドを雇えと言ってるぞ。・・・部屋に? わかった」


電話を切る。


「美代とラーメンわけてたらしい」

「なにしてんだあのコンビ」

「騒いで悪かった。部屋の前で待つように言われたんで行ってくる」

「おう」


直治が階段を登っていく。俺は部屋に戻った。


「いいのかなあ。俺、運転手って身分で・・・」


副社長の美代と管理人の直治を、特に直治を見ているとそう思ってしまう。宿泊客は都が『戦い』から帰ってきてからは受け入れ自体を減らしているので、週に二組が基本だ。昔は特別な客だけを送迎していたが、今は俺が必ず送迎している。ホテルのオーナーである都も、客の管理をしている直治も大助かりだと言っているし、過去に直治の仕事をしていた美代もたまに褒めたり労ったりしてくれるが、俺自身はあまり役に立っている気はしない。


「ま、いいのかな・・・」


なんだかんだ今の形が一番落ち着いている。ここからかわってほしくないという気持ちもある。問題は俺より、直治かもしれない。あいつは周りが思っているより冷静沈着で穏やかなんかじゃない。もっと利己的で、動物的だ。都のためなら『悪いな』と言いながら俺も美代も、千代も桜子も平気で殺しそうなヤツだ。俺ならためらってしまうのに。


「やめやめ! 暇は碌なことねえ」


馬鹿な考えを振り払うため、資格の勉強でもしようと俺は参考書を開いた。
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