四百二十話 母親のための
文字数 1,879文字
談話室で雑誌を読んでいたら、
「あーつぞーうちゃーん?」
都が来た。
「おお、都。どうした?」
「ちょっと話があってぇ・・・」
俺の隣に座る。
「話? なんだ?」
「なーんで最近私を見る時、緊張してるの?」
図星を突かれて言葉に詰まる。
「ねえ、伊達に貴方の母親やってないのよ? なにか隠してるでしょ?」
「いや、あの・・・」
「そうねえ、弟達が悪戯をしたのを知っているけれど、すぐに母親に教えなかったから自分も怒られちゃう、と思って黙っている顔、かな?」
にやあ、と笑う都が怖くて、俺は咄嗟に愛想笑いを浮かべ、そして咄嗟に顔を逸らしてしまった。冷や汗がぶわっと滲んで流れる。滅茶苦茶寒い。
「ママになにを隠してるの? 男の約束で言えないとか?」
「ちッ違います! あの、美代が『放っておけ』と、それで・・・」
「美代がなに?」
「あの・・・」
「なに?」
「さ、小夜が、その・・・」
俺は小夜の話を都に喋ってしまった。
「ふうーん?」
「ご、ごめんなさい。被害に遭っている美代本人が『放っておけ』と言うので、い、言えなくて・・・」
「淳蔵」
都はソファーから立ち上がり、にんまりと笑って俺の顔を覗き込む。都の瞳に映る俺はどこか呆けたような、それでいて切羽詰まった顔をしていた。
「教えてくれて、ありがとね」
頬を撫で、去っていく。
「・・・はあ、」
吐き気がしてきた。
「はあっ、はあっ・・・」
心臓がある位置のシャツを掴む。
「うえっ・・・」
動いたら吐きそう。
「淳蔵? どうしたんだ?」
美代の声。瞳を動かすこともできない。
「あれ? 都に怒られでもした?」
返事もできない。
「おやまあ。バケツと冷たい水を持ってくるからちょっと待ってろよ」
美代はすぐに談話室に戻ってきた。俺の足元にバケツを置き、目の前のテーブルに冷水の入ったコップを置くといつもの席に座り、ノートパソコンで仕事を始めた。
「えっ、淳蔵どうしたんだ?」
「ああ、直治。都に怒られたみたい」
「・・・小夜のこと喋ったのか?」
俺はゆっくり、唇を開いた。
「・・・喋った」
「怒られたの?」
「おこ、られてない」
美代が苦笑する。
「そのことなんだけどさ、白い親切な誰かさんが色々教えてくれたよ。陽性反応が出た妊娠検査薬は千代君の読み通りフリマアプリで購入。俺が副社長の立場を利用して手を出したってことにして、公にされたくなかったら示談金を払えと強請る計画を企てていた。『DNA鑑定を』と言われても『赤ちゃんは重労働と今までのストレスで流産しました』と言い返すつもりみたいだよ」
「あいつ美代のこと気に入っていたんだよな? 何故急に脅そうとしているんだ?」
「それがさあ、まだまだ小賢しい計算をしていて、もしかしたら都様は同性である私の味方をして美代様に責任を取らせる形で結婚させてくれるかも、とか、美代様が手に入らないのなら家族関係をグチャグチャにして美代様のこころに私の傷跡をつけちゃえ、とか。本人はなにかしらの形で上手くいくと思ってるみたい」
「まったくわからん」
「俺もわかんないよ。IQが十違うと会話が成立しなくなるっていうし、そういうことでしょ」
「馬鹿の考えはわかんねえな」
「・・・淳蔵、大丈夫?」
「んぁ、だいじょ、う」
駄目だ。
「あれまあ」
美代の呑気な声を背に、俺は慌てて談話室を出た。自室に戻るか一瞬考え、間に合わないと判断して一階の共用トイレに向かった。
「うえっ! うぅ・・・」
胃の中のものを吐き出す。
「げほっげほっ! うええっ、ううぅ・・・」
吐きながら気付いた。誰かが俺の髪を床に垂れないように掬い上げ、背を優しく摩っている。すう、と目の前が真っ白になった。俺の中から恐怖と悲しみが消えていく。
「・・・ジャスミン」
俺の髪を片手に背を摩っていたのは『白い男』だった。俺がよろよろと立ち上がってトイレから出ると、ジャスミンは身体の向きはそのままに後退する。
「お前、気が利くんだな」
ジャスミンはにこりと笑った。
「どうすんだ、小夜のこと・・・」
今度はにやりと笑い、トイレを出ていった。自室に戻り、歯を磨き、口を濯ぐ。窓を開けてベランダに出て深呼吸をする。漸く気分が良くなった。
「・・・情けないヤツだなあ」
母親に叱られただけで吐くようなマザーコンプレックス野郎。自分より小さい女が怖くて顔を青くしている軟弱者。そう思われていないのはわかっているが、俺は自分のことを情けないと思ってしまう。
本当は、都に嫌われるのが怖い。
都に嫌われるのが怖いから怒らせたくない。
死んだも同然だ、都に嫌われたら。
「アダルトチルドレンって卒業できないんだな・・・」
いつまでも俺は、母親のための子供だ。
「あーつぞーうちゃーん?」
都が来た。
「おお、都。どうした?」
「ちょっと話があってぇ・・・」
俺の隣に座る。
「話? なんだ?」
「なーんで最近私を見る時、緊張してるの?」
図星を突かれて言葉に詰まる。
「ねえ、伊達に貴方の母親やってないのよ? なにか隠してるでしょ?」
「いや、あの・・・」
「そうねえ、弟達が悪戯をしたのを知っているけれど、すぐに母親に教えなかったから自分も怒られちゃう、と思って黙っている顔、かな?」
にやあ、と笑う都が怖くて、俺は咄嗟に愛想笑いを浮かべ、そして咄嗟に顔を逸らしてしまった。冷や汗がぶわっと滲んで流れる。滅茶苦茶寒い。
「ママになにを隠してるの? 男の約束で言えないとか?」
「ちッ違います! あの、美代が『放っておけ』と、それで・・・」
「美代がなに?」
「あの・・・」
「なに?」
「さ、小夜が、その・・・」
俺は小夜の話を都に喋ってしまった。
「ふうーん?」
「ご、ごめんなさい。被害に遭っている美代本人が『放っておけ』と言うので、い、言えなくて・・・」
「淳蔵」
都はソファーから立ち上がり、にんまりと笑って俺の顔を覗き込む。都の瞳に映る俺はどこか呆けたような、それでいて切羽詰まった顔をしていた。
「教えてくれて、ありがとね」
頬を撫で、去っていく。
「・・・はあ、」
吐き気がしてきた。
「はあっ、はあっ・・・」
心臓がある位置のシャツを掴む。
「うえっ・・・」
動いたら吐きそう。
「淳蔵? どうしたんだ?」
美代の声。瞳を動かすこともできない。
「あれ? 都に怒られでもした?」
返事もできない。
「おやまあ。バケツと冷たい水を持ってくるからちょっと待ってろよ」
美代はすぐに談話室に戻ってきた。俺の足元にバケツを置き、目の前のテーブルに冷水の入ったコップを置くといつもの席に座り、ノートパソコンで仕事を始めた。
「えっ、淳蔵どうしたんだ?」
「ああ、直治。都に怒られたみたい」
「・・・小夜のこと喋ったのか?」
俺はゆっくり、唇を開いた。
「・・・喋った」
「怒られたの?」
「おこ、られてない」
美代が苦笑する。
「そのことなんだけどさ、白い親切な誰かさんが色々教えてくれたよ。陽性反応が出た妊娠検査薬は千代君の読み通りフリマアプリで購入。俺が副社長の立場を利用して手を出したってことにして、公にされたくなかったら示談金を払えと強請る計画を企てていた。『DNA鑑定を』と言われても『赤ちゃんは重労働と今までのストレスで流産しました』と言い返すつもりみたいだよ」
「あいつ美代のこと気に入っていたんだよな? 何故急に脅そうとしているんだ?」
「それがさあ、まだまだ小賢しい計算をしていて、もしかしたら都様は同性である私の味方をして美代様に責任を取らせる形で結婚させてくれるかも、とか、美代様が手に入らないのなら家族関係をグチャグチャにして美代様のこころに私の傷跡をつけちゃえ、とか。本人はなにかしらの形で上手くいくと思ってるみたい」
「まったくわからん」
「俺もわかんないよ。IQが十違うと会話が成立しなくなるっていうし、そういうことでしょ」
「馬鹿の考えはわかんねえな」
「・・・淳蔵、大丈夫?」
「んぁ、だいじょ、う」
駄目だ。
「あれまあ」
美代の呑気な声を背に、俺は慌てて談話室を出た。自室に戻るか一瞬考え、間に合わないと判断して一階の共用トイレに向かった。
「うえっ! うぅ・・・」
胃の中のものを吐き出す。
「げほっげほっ! うええっ、ううぅ・・・」
吐きながら気付いた。誰かが俺の髪を床に垂れないように掬い上げ、背を優しく摩っている。すう、と目の前が真っ白になった。俺の中から恐怖と悲しみが消えていく。
「・・・ジャスミン」
俺の髪を片手に背を摩っていたのは『白い男』だった。俺がよろよろと立ち上がってトイレから出ると、ジャスミンは身体の向きはそのままに後退する。
「お前、気が利くんだな」
ジャスミンはにこりと笑った。
「どうすんだ、小夜のこと・・・」
今度はにやりと笑い、トイレを出ていった。自室に戻り、歯を磨き、口を濯ぐ。窓を開けてベランダに出て深呼吸をする。漸く気分が良くなった。
「・・・情けないヤツだなあ」
母親に叱られただけで吐くようなマザーコンプレックス野郎。自分より小さい女が怖くて顔を青くしている軟弱者。そう思われていないのはわかっているが、俺は自分のことを情けないと思ってしまう。
本当は、都に嫌われるのが怖い。
都に嫌われるのが怖いから怒らせたくない。
死んだも同然だ、都に嫌われたら。
「アダルトチルドレンって卒業できないんだな・・・」
いつまでも俺は、母親のための子供だ。