四百四話 眩暈

文字数 1,762文字

都と歌の話をするのは、少し気まずい。だから都の好きな歌手を俺は知らない。知らないが、美代が『歌詞で検索すればいい』と言っていたのを唐突に思い出し、都が過去に歌った曲から好きな歌手を調べた。紫苑に頼んで採譜してもらい、こっそりと練習を重ね、都だけに披露することにした。


「ンフフ、どんな曲を聞かせてくれるの?」

「恥ずかしいので秘密です」

「あんまり揶揄ったら緊張して指がもつれる?」

「その通り。舌も噛むかも」

「えっ、舌?」

「まあ、見てなって」


都を椅子に座らせて、ピアノを弾き始める。前奏を聞くと、都は目を見開き、口元を両手でおさえた。


『あたしが、こんなメロディを、口ずさむのはさて、どうしてでしょう? ねぇ、じっくり考えてみて』


都が好きな歌手の『眩暈』という曲だ。


『あたしが、こんな言葉を、口走るのはさて、どうしてでしょう? ねぇ、ちょっぴり考えてみて』


都が背を向けて歌う理由がわかる。恥ずかしい。


『何処迄堕ちて行っちゃうの、此の身体は。灰色に遠くなる、遠くなる、空』


上手く弾けている。歌えているかは自信がない。


『其の日は、確かに、地面が音も立てず、あたしの、歩みを、妨げ揺れて居た』


都の方を見ることができない。


『あたしが、こんな涙を、流して居るのはさて、どうしてでしょう? ねぇ、さっぱり考えてみて』


指先と肺に意識を集める。失敗したくない。


『何処迄堕ちて行っちゃうの、此の身体は。灰色に遠くなる、遠くなる、空』


すう、と息を吸う。


『その日は、確かに、地面が容赦すらせず、車の、暴走を、受け入れ騒いで居た』


力強く鍵盤を弾く。


『その日は、確かに、地面が音も立てず、あたしの、歩みを、妨げ揺れて居た』


後奏も失敗なく弾き終わることができた。


「・・・どう?」

「やばいですぅー・・・」


都は真っ赤になっていた。


「喜んでもらえてなにより」


俺はおどけて肩を竦めた。


「あかん、語彙が・・・。語彙が実家から帰ってこんなった・・・」

「感情が喧嘩しちゃったのか」

「うっ、ヤバい、目が・・・」

「目?」


まさか泣き出すのかと思ったら、違った。ギラギラと虹色に発光する瞳。都も感情をおさえきれなくなると目に出るらしい。


「ご、ごめんなさい、私・・・」

「ここ、紫苑の部屋だぞ」

「はい・・・」

「今夜、激しくしてくれる?」


都は睨み付けるように俺を見た。


「今は、駄目?」

「今でもいいよ」


二人で部屋を出る。『下準備』もせずにベッドに寝転がる。切羽詰まった表情で俺に覆い被さる都の頬に手を添える。午後の気怠い光に髪が透けている。なんて綺麗なんだろう。なんて綺麗な生きものなんだろう。挿入せずとも快楽は得られる。都が俺の身体をしゃぶり尽くす。甲高い女のような嬌声を上げる自分自身に、さっきまで低い声で歌っていたのかと、妙な気持になった。


「はあっ・・・。都、落ち着い、た・・・?」

「少しは・・・」

「ちょっと、もう出ないから・・・」

「ここ弄ってたら血流が促進されて新しいの作んないかなって思って」

「・・・後ろでも欲しくなってきちまった。綺麗にしてくる」

「早くね」

「急かすなってば・・・」


俺が勃起する必要はもうない。身体を清めて『下準備』をして、都の欲を捨てる穴になる。執拗に前立腺を責められて疲れ切った身体に無理に快楽を叩き込まれる。なんだかんだ言っても、都は優しいサディストで、俺は都の前ではマゾヒストだ。


「・・・んな、ところに、きすまーくつけたら、あぅ」


もう満足に舌が回らない。


「あっ、あっ・・・」

「紫苑さんにたっぷりボーナス弾まなきゃね・・・」


数日後、紫苑が震えながら俺に封筒を見せてきた。


「あ、あの、淳蔵様・・・」

「どうした?」

「都様が、ボーナスだと言って、こんなに・・・」

「おー、封筒が自立しそうな厚みだな」

「こんなにいただけませんと言ったのですけれど、都様が淳蔵様にピアノを教えてくれたお礼だと思いなさいと言って、こんなに・・・」

「貰っとけ貰っとけ」

「いいのでしょうか・・・?」

「あんまり断ると『社長命令』とか言って押し付けてくるぞ」

「わかりました・・・。あの、私、大金で手が震えて、怖くて銀行に預けに行けないんです・・・。自分で運転したら事故を起こしそうで・・・」

「ああ、銀行か。成程。今から行くか?」

「すみません、お願いします」

「いいよ」

「ありがとうございます・・・」
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