四百十二話 淳蔵の場合

文字数 2,548文字

都が倉橋美月に負けた。ジャスミンも殺され、館も山も燃やされた。都はたった一人を救うために全ての力と声を失った。たった一人救われたのは、俺だ。


「おはよう、都」


都が手話で『おはよう』と答える。


「悪い、都。昨日仕事で徹夜したから朝飯食ったら寝るわ」


都が頷く。


「昼飯作ったら起こしてくれ。夜はどこか出掛けよう」


再び頷く。煙草を吸わないと頭が回らない。最悪の世界に堕ちてからは一日二箱も吸うヘビースモーカーになってしまった。都に副流煙を吸わせないようにと、ベランダに出て煙草を吸う。


「はあー・・・」


俺のマンションなんだから共用部分のベランダで煙草を吸っても文句を言われる筋合いはない。何本か吸ったあとに深呼吸して部屋に戻り、都と朝食を摂る。歯を磨いて昼まで寝て、起きて煙草を吸い、昼食を摂る。洗濯とゴミ出し以外の家事は全て都がやってくれる。夫婦みたいな生活だ。俺は一度も都を抱いたことはない。もう処女じゃなくったって死にゃしないのに、俺は都に手を出せないでいる。都に永遠に少女で居てほしいのだ。俺の身体とリンクさせて、永遠に幼く美しいままでいて欲しい。電話の呼び出し音で意識が思考から浮上する。ワンコール以内に出るのは鉄則だ。


「どうした?」

『社長、お休みのところ申し訳ありません。タタキに入った連中を捕まえました』

「じゃ、芋づる式に吐かせろ」

『ビデオ撮りますか?』

「なに、女なの?」

『はい。全員元柔道部だそうで、定時連絡を過ぎたので用心棒が来ると強気でいます』

「あー・・・。そう。ビデオはいいや。『殺さないでくれてありがとうございます』程度にしとけ」

『はい』

「じゃ」


最初の一年はタクシー運転手として過ごしていたのに。どうしてこうなったのかの原因はハッキリしている。俺が都のストーカーを殴り殺したからだ。ベランダで洗濯物を干す都に一目惚れした男が俺が不在時に家に押しかけようとして、都は怖い思いをした。オートロックのマンションだからと安心していたのが駄目だった。男の友人が同じマンションに住んでいて、そいつを上手く利用して自由に出入りしていたのだ。

警察は役に立たない。

都は伸び伸びと日光浴をすることもできなくなった。頭に血が上った俺は仕事に行く振りをして家を見張り、再び家に押しかけようとした男を捕まえてお望み通り家に引き摺り込み、殴り殺した。あの日から俺は都を抱えてどんどん堕ちていった。手段を択ばないことに罪悪感を感じなくなった。他人が不幸になっても都が幸せならそれでいいと思うようになった。煙草を吸い終わった俺は部屋に戻り、ソファーに座っている都の隣に腰掛ける。


「みーやこちゃん」


都が微笑み、首を傾げる。


「ちゅーしよ」


いつからか、都は俺の言うことに逆らわなくなった。


「舌出して。そう、そのままな」


蕩けた表情の都は、可愛い。


「んー・・・」


都の腕が俺の頭を抱え込み、髪に指を絡ませる。


「はあ・・・。最高・・・」


頬を撫でられて、雌としてびくびくと反応してしまう。


「やらしいことしたい・・・。駄目?」


都は妖しく笑い、首を横に振った。

ソファーでそのまま身体を重ねる。

夜は焼き肉を食べに行くことになった。


「どんだけ食うねん」


軽く三人前は食べている。都は原因がわからない、振りをしている。リンクしている俺が都以外と滅多に飯を食わないからだ。人付き合いに必要な食事しかしない。仕事で忙殺されているので食事にまで気が回らない。その分、都が食べてくれる。今日は朝、昼、晩と都と一緒に食べられたのでとてつもない充実感がある。いつもこうならいいがそうはいかない。俺が死なない限りは都も死なないのだから、貯金を切り崩して生活するだなんて先の見えない怖いことはしたくなかった。


「もっと食うか?」


都が頷く。これで四人前になる。


「フフ、美味いな」


俺が人ならざる者だからだろうか。

やっぱり、人肉が一番美味い。


「デザートどうする? ・・・全種類? 『明日からダイエット頑張る』って顔してるけど駄目だぞ」


楽しい夕食を終え、家に帰り、風呂に入って歯を磨いて、髪の手入れをする。タクシー運転手をしていた時は短くしていたが、今は館で暮らしていた時と同じ長さになっている。手入れのためのオイルに混じる煙草のにおい。昔を思い出して、この時間が一番虚しい。


「みーやこちゃん、おやすみなさいだぞー」


先にベッドで待っていた都は遊んでいたゲームをすぐに中断し、ゲーム機をサイドボードに置いた。俺は携帯をポケットに入れたまま都を抱きしめて横になる。俺の可愛いふわふわちゃん。白くて可愛い都。ずっと抱きしめていたい。電話が鳴る。


「どうした?」

『社長、お休みのところ申し訳ありません。今から、』

「はいはい、今からね」

『ありがとうございます』

「じゃ」


電話を切る。溜息を我慢する。


「夜更かしは美容の大敵だぞ。寝てな」


ベッドから起き上がる俺を都が寂しそうに見つめる。俺はいつも気付かなかった振りをする。都がそれに気付いているのも、気付かなかった振りをする。車に乗り『会社』へ向かう。


「社長、おはようございます」

「おー。全員良い体格してんなァ」

「元柔道部ですからね」

「おめかしすれば男と間違うわなこれじゃあよ。でさァ、なんで喋っちゃうの?」


俺はまだ喋れそうなヤツに問いかける。


「俺さァ、久しぶりの休日で恋人とたっぷり楽しんでたのに、なんで喋っちゃうわけェ? 中断して急いでお前に会いに来ちゃったじゃん。腹立つわあ。お前のせいで可愛い寝顔が見られなかったじゃん。どう責任取るの? ええ?」

「あの、社長」

「なんだ」

「こいつらの用心棒、名を倉橋と言うそうです」

「・・・ふうん」


やって来たのか?

復讐の時が。


「ビデオ回せ。こいつの舌に串突き刺して炙れ。この前加藤がバーベキューしてた残りがあンだろ。俺の顔は映すなよ」

「はい」


馬鹿が命乞いを始める。

絶叫。

若い女の肉が焼ける良いにおい。


「あー、焼き肉のにおいがすンなァ。俺、今日の晩飯は恋人と焼き肉行ったんだよな。恋人の名前は『Mちゃん』って言うんだけど、用心棒さん、心当たりある? あるなら俺が誰かわかるよね? 会いに来てねー」


カメラにひらひらと振る手を映す。

倉橋美月。

あいつが居る限り都に安寧はない。

そして俺の復讐心も消えはしない。
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