四百二十一話 捨てろ

文字数 2,274文字

小夜がお茶を持ってきた。


「あの、美代様・・・」

「なんだい?」

「実は、美代様に、お話がありまして・・・」

「話?」

「わっ、私、私! 私、美代様のことが好きですっ!」


成程。俺の返答次第で今後どうするか決めようってわけか。


「ごめん、俺は仕事が恋人なんだ」

「そ、そんな虚しいこと言わないでください!」

「ごめんね、君の気持には応えられないよ」

「・・・美代様、だったら、お願いがあります」


小夜は泣いている。


「私のこと、一度だけでいいから抱いてください」


無理に決まってんだろボケ。


「小夜君、もう一度言うけど君の気持には、」

「私の初めて、貰ってくださいっ!」


なんだその気持ちの悪い情報は。要らねえよ。


「小夜君、落ち着いて、」

「どうしても駄目なんですかっ?」

「俺は君に好意を抱いていない。駄目だよ」

「美代様! 性欲処理でいいんです! セックスじゃなくてオナニーだと思って私のこと抱いてください!」

「無理だってば。これ以上騒がないで」

「どうしてですかっ? 私、こんなに美代様のことが好きなのにっ!」


知らねえよそんなこと。


「小夜君の一方的な好意の話をされても困るよ。俺は君のことを好きじゃないどころか、なんとも思っていないんだ」


嘘だ。女は嫌いだ。


「だからね、君の気持に応えることはできない。もう部屋を出てくれ。仕事があるんだ」


小夜は泣きながら事務室を出ていった。


「あーあ。鬱陶しい・・・」


小夜が次の行動に移したのはそれから二週間後のことだった。


「美代、ちょっと話があるの。私の部屋に来て」

「はい」


朝食後、都の部屋に呼ばれる。


「昨夜、小夜さんが私の部屋を訪ねてきたわ。貴方が副社長の立場を利用して、小夜さんを脅してレイプしたって。本当?」

「いいえ」

「でしょうね」


都は馬鹿にしたように笑った。その笑いには苛立ちも含まれていた。


「小夜さんは『証拠がある』と言って陽性反応が出た妊娠検査薬を見せてきたわ。それでね、小夜さん、美代のことが好きだって言うのよ。好きだったから何度犯されても我慢したって。でも妊娠となれば話は別。責任を取って結婚してほしいそうよ。それが駄目ならお腹の子供を堕ろすお金と精神的苦痛に対する慰謝料を払えって。二つとも断るのなら美代がしたことを公にするそうよ。どう思う?」

「小賢しい女だなと」

「私、物凄く気分が悪いわ」

「社長」

「なによ」

「食べもので遊んではいけません」

「それが?」

「食べものになる前は遊んでもいいですよ」


都は腕を組み、俺を見上げて、睨む。


「飼い犬に手を噛まれた気分はどうです? こころを掻き乱された気分は?」

「最悪」

「それは成長痛ですよ、社長」


都が悔しそうな顔をする。


「虚しい結果に終わっても、つらいだけの過程だったとしても、それをやること自体に意味があるのです。もしかして、小夜とご自分を重ねているのですか? 小動物を惨殺する小夜と、罪人を制裁する自分を重ねて考えているのでは?」

「知ったような口を利かないでッ!」

「弱肉強食ですよ、社長」

「なによ・・・」

「強さとは、己の我儘を押し通すだけの力があるかどうかということです。法に従うのも強さ、無法に生きるのも強さです。社長は、一条都はそういう意味では弱いのかもしれませんね。甘えることすら我儘だと切り捨てて一人で生きようとしているのですから」


俺はにこりと笑ってやる。


「都、あんなモノと自分を同列に考えているの? だとしたら馬鹿馬鹿しい。小動物を喰った小夜を都が喰う。それのなにがいけないのさ」

「・・・じゃあ私は、誰に食べられるの?」

「俺だよ」


都は驚き、目を丸くした。


「都が楽になれるように、俺が脅してあげようか。『副社長の一条美代』が居なければこの家は回らない。淳蔵にも直治にも、千代にも桜子にもできない仕事を俺は今までやってきたんだよ。どうしてかって? 都が困るようにだよ。どんな方法でもいいから、俺が居ないと生きていけないようにしてやろうって、大学に通っている間、そう考えた。今、『外』の世界では俺が一条都なんだ。意味、わかるよね?」


都は組んでいた腕を解いた。


「俺が脅迫してあげるよ、都」


都の耳元に唇を寄せて囁く。


「気高く無垢な一条都が、醜悪で下劣な米田小夜と己を重ねてしまっただなんて・・・」


都は抵抗しない。


「罪人を罰する一条都と小動物を惨殺する米田小夜の本質は同じだと気付いて、自分は『あんなモノ』じゃないと信じたくなくて、必死に頭の中で言い訳を捏ね繰り回してる。なんて、そんな恥ずかしいこと、誰にも知られたくないよね?」


俺は唇を離し、近距離から都を見下ろす。


「淳蔵が知ったら? 都を弱い女だと思って優しくして守ろうとするだろう。直治が知ったら? 都のために自分がもっと汚れようと思うだろう。千代が知ったら? 都の負担を無くそうと自分を殺してでも手足になろうとするだろう。桜子が知ったら? 都のこころを傷付けないためなら自分がどんな残酷な手段を取ろうとも構わないと思うだろう」


俺はどんどんと話を大げさにしていった。


「俺はね、都。優しくあろうとする都を愛おしいと思ったよ。でも、だからこそ、都は内に秘めた凶暴性に苦しんでいるんだよね。いいじゃないか、都。罪人を甚振ってなにが悪い。甚振って楽しんでなにが悪い。都は人間なんだろう? 人間が動物に言う『賢さ』は『人間に利益を齎すかどうか』だ。『生存に長けているかどうか』じゃない。小夜は人間の都に利益を齎したか?」

「美代、貴方・・・」


都はなにかを言いかけて、口を噤み、悔しそうな表情をした。


「獣である時は品性を捨てろ、都」


俺は都の部屋を出た。
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