四百二十二話 獏

文字数 1,704文字

「直治、こないだの話、教えてあげるよ」


一瞬、なんのことかわからずに呆けてしまった。


「私達、わかりやすく名前を付けるなら『魔力』を持っているでしょう?」


都は俺の腹をさりさりと撫でる。これをされると眠くなる。


「魔力を入れておく器って、人によって形が違うの。淳蔵はそもそもの器を持っていないから、私が頻繁に手渡してあげないといけないのよ。だからあの子、この山から長く出ると体調が悪くなるの。ま、何十年という単位での話だけれどね」


落ちゆく目蓋と戦いながら話を聞く。


「美代は右目に溜まってるの。だから他の人にあまり見せないように髪の毛で隠すように言ってあるのよ。あの子は訓練しなくても上手く使いこなせるよ。賢いからね」


都の手が離れていく。寂しさを感じる。


「直治は溜めることはできるけど上手く放出することができないから、私が定期的に吸収してるの。良い調節法を思い付いたんだけど、貴方が溜めた分を淳蔵が吸収し続ければ上手くいくわね」

「んぁ、んの話なんだよ・・・」

「黙って聞きなさい。千代さんはなんでも貯め込んじゃうし常に放出しているから自分の意思では使いこなせないの。常に循環しているのよ。あの子の近くに居ると元気になるでしょう? あの子の明るさと優しさがそうさせるのもあるけど、淀んだ空気を換気するように掻き回す性質のおかげでもあるのよ」


都はくすりと笑う。


「桜子さんは、言っちゃ悪いけど美代の下位互換みたいなものよ。素体がホムンクルスなのが影響しているんでしょうね。でも訓練次第では美代のサポートくらいはできるようになるよ」


都が俺の顔を覗き込む。


「悲しいことを思い浮かべてごらん」

「悲しいこと・・・」


都が幸せじゃなくなること。


「そのままね」


すり、と頬と頬を寄せ合うように都が俺の首筋に顔をうずめる。頭の中が一瞬真っ白になる。この感覚は、耐えきれぬ感情をジャスミンが落ち着かせてくれる時と同じだ。


「私の言ってること、なんとなくわかった?」

「・・・なんとなくは」

「感情ってね、苺のジャムみたいなものなの。甘くて良いにおい。舌触りも良くっていくらでも食べられちゃう。色も綺麗。人間の『肉』みたいにね」


都が、にい、と笑う。


「煮詰めると焦げ臭いにおいがして、べたべたねばねば焦げ付いて、どす黒く変化していく。感情が想像を生み、想像は空想になり、空想が妄想になっていく。そうなったらお終いだよ、直治」


俺は自分が統合失調症だったことを思い出していた。


「なにを考えているのかわかるよ。直治の感情は定期的に吸収してあげないとまた病気になっちゃう、かもね」

「冗談じゃねえ・・・」

「思いつめて暴走しちゃう時があるでしょう? 直せとは言わないよ。そこが直治の欠点であり美点でもあるからね」

「じゃあ俺はどうすれば・・・」

「淳蔵に渡せばいいんだよ。淳蔵は定期的な供給がないと駄目なの。あの子、他人の顔と名前が覚えられない癖があるでしょう? 『プライベートでは他人に興味がない』って言ってさ。癖が酷くなると他のなにもかもに興味がなくなって目先の快楽だけ追うようになるよ」

「目先の、快楽・・・」


淳蔵の人生を狂わせた、クスリ。


「私が悪いの」

「なんでそうなる」

「貴方達を感情に付随する生きものに造りかえたでしょう。人間を辞めさせた。魔力を調節しなくてはいけないのはそのため。言ったでしょう、直治。『チョウチンアンコウみたいになりたくないでしょう』って。私の幸せが直治の幸せだって言うのなら、直治の幸せが私の幸せなんだから、そのことも、もうちょっと考えてほしいな」


俺はなにも言えず、唇を閉じる。


「ただ世界の隅っこで暮らしているだけなら平和だったんだけどね。この世界を創造したお馬鹿さんはあっちこっちで恨みを買ってるから、人間をやりながら対策を練るのに必死なわけよ都ちゃんは。教えてあげるよ、直治。直治達に接触してきた『クリエイター』って男が居たでしょう。あいつね、私の天敵なの」

「天敵?」

「悪夢を喰らう獏だよ」


都はなにが面白いのか、くすくすと笑う。


「この話、兄弟と部下にしておいでなね。さあ、おやすみ、直治・・・」


都の声に誘われ、俺は夢の世界へ堕ちて行った。
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