第645話 メルシーおばさん、香取神宮に行く

文字数 1,784文字

神社には、格式に従って、異なった名前が使われます。

神宮は祀られている神様が、皇室の祖先など皇族と縁の深い神社です。

「The 神宮」といえば伊勢神宮を指します。伊勢神宮は、全ての神社の一番上に存在している神社です。

平安時代の延喜式神名帳では、伊勢、香取、鹿島の3社だけに「神宮」という称号が使われています。

伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3社の格式が、トップ3になります。

3神宮の境内には、犬は入ることができません。

唯一の例外は、香取神宮で、本殿以外の参道には、犬が入ることができます。

そこで、メルシーおばさんは、香取神宮にいってきました。

本殿の中は、犬が入れないだけでなく、撮影も禁止です、

そこで、今回は、本殿を除く参道を紹介します。

なお、過去には、伊勢神宮に犬が入ったこともあるので、その話を資料に付けておきます。

資料:おかげ犬

江戸時代の人たちにとって、伊勢神宮は、「一生に一度は必ず訪れてみたい神社」でした。江戸時代には、およそ60年周期のおかげ年には、お蔭参り(おかげまいり)と呼ばれる数百万人規模の集団参詣が3回起きました。

1771年のおかげ年のお蔭参りから、病気や高齢で、伊勢参拝に行きたくても行けないご主人様に代わって、お参りする「おかげ犬」が見られるようになりました。「おかげ犬」は、お伊勢参りを目指す人たちと一緒に旅をして、参拝の証に伊勢神宮のお札をもって、主人のもとに帰りました。

犬のおかげ参り(犬の代参)は、1711年から100年間、流行しました。犬の首には、おかげ犬の目印の木札と伊勢参りをする旨を書いた書状とお金が入ったずだ袋がぶら下げられていました。犬は、ずだ袋に入れてあったお金で餌を調達していました。また、旅の安全を願ってずだ袋へご祝儀を入れてあげた人もいました。伊勢神宮のお札は、ずだ袋に入れて持ち帰りました。


1711年に、ある犬が、本宮前の広場で伏せをし、本当に拝礼するかのような格好をしました。境内への犬の立ち入りは、禁止されていましたが、立ち居振る舞いに感心した宮司さんは、その犬をお祓いした後で、その犬にお札を持たせて、放してあげました。これが、「おかげ犬」が参拝した最初であると伝えられています。

現在、伊勢神宮の門前のおかげ横丁では、おかげ犬グッズが売られています。

おかげ犬は、御蔭参明和神異記、歌川広重の「伊勢参宮宮川渡しの図」や「丸清版・隷書東海道五十三次(四日市)日永村追分参宮道」にも描かれています。

資料:忠犬「シロ」

福島県須賀川宿の宮先町で代々庄屋を務める市原家に飼われていた白毛の秋田犬シロは、人間の言葉がなんでも分かり、買い物や用事ができる利巧な犬でした。

ある年、当主が、病気になってしまい、伊勢参りができなくなりました。

そこで、お金と道順を記した帳面、「人の言葉が分かるので道順を教えてあげてください」と書いた紙をずだ袋に入れてシロの首から下げ、伊勢神宮に向けて出発させました。

シロは奥州街道、東海道を経て伊勢神宮に向かい、2ヶ月後、往復1400㎞の旅を終えて、無事に帰って来ました。

ずだ袋には、伊勢神宮のお札と奉納金の受領や食べ物の代金を記した帳面とお金の残りが入っていました。

シロは、3年後に死んでしまいました。市原家は、市原家の墓所にシロの犬塚(犬のお墓)を作りました。犬塚は現代、不動堂の裏に移されています。


図1 歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」(出典 ウィキペディア)左下におかげ犬が見えます。


図2 歌川広重「丸清版・隷書東海道五十三次(四日市)日永村追分参宮道」(出典 ウィキペディア)鳥居の前に、おかげ犬が見えます。


写真1 駐車場で自動車を降りると、参道の入口がありました。


写真2 参道には、お店が並んでいます。


写真3 クローズアップです。


写真4 香取神宮赤鳥居が見えてきました。


写真5 赤鳥居の前のメルシーおばさん。


写真6 参道です。


写真7 参道を進むメルシーおばさん。


写真8 香取神宮神池の前のメルシーおばさん。


写真9 香取神宮神池の前のメルシーおばさん。


写真10 香取神宮 石鳥居が見えます。奥に、赤い香取神宮総門も見えます。


写真11 香取神宮総門の前のメルシーおばさん。


写真12 これから先の本殿には、ペットは入れません。


写真13 香取神宮総門を見るメルシーおばさん。今回は、ここまでです。
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