第391話 メルシーおばさん、布施弁天に行く

文字数 1,335文字

あけぼの公園に行く途中に、公園に隣接して竜宮城のような建物が見えたので、公園の帰り道によってみました。

竜宮城のように見えた建物は、布施弁天(紅竜山東海寺)の楼門でした。

布施弁天は、関東3弁天(江ノ島・不忍)の一つです。

伝説によると807年に、紅龍が湖上に現れ、土塊を捧げて島を作りました。ある夜、里人の夢の中に天女があらわれ、但馬国(たじまのくに・現兵庫県)より来たといい、「私を探してお祀りしなさい」と告げました。目を覚ました里人が光明を訪ねて、洞窟で尊像を見つけたのがお寺の始まりとされています。

白蛇は、弁天様のお使いで、弁天様の化身と言われています。

そこで、紅龍と白蛇が、布施弁天のキャラタになっています。

1858年に出版された赤松宗旦の「利根川図志」には、「田中に孤山あり。弁才天を祀る。紅龍山松光山東海寺という。ここは関東三弁天の一つにして、参詣人群集し、戸頭の渡船を望み、曙山の桜楓を眺めて、頗る勝景と称するに足れり」と書かれています。江戸時代から、あけぼの山は、布施弁天とセットの観光地でした。

1810年に建設された2階建ての楼門(最勝閣)は、1階が漆喰で白く塗られ、竜宮城の門の形をしていました。現在、漆喰はコンクリートに置き換えられています。

1717年に建設された本堂は、屋根が茅葺きでしたが、銅板に葺き替えられています。布施弁天のご本尊は12年に一度の巳年に、ご開帳が行なわれる秘仏です。次回の御開帳は、2025年秋です。普段は、御本尊の御身代わりの「前立本尊」が置かれています。なお、本堂の中は撮影禁止ですので、説明写真はありません。

1818年に建設された鐘楼は、八角形の基礎の上に、十二角形に柱を建て、周囲に円形の縁を巡らして、中央に鐘を吊り下げています。設計は、つくば市谷田部の名主の飯塚伊賀七で、完全な図面が子孫に伝わっています。

その他に、三重塔、布施観音、ぴんころ地蔵などが安置されています。

裏手の利根川の七里ヶ渡しは、水戸街道の脇往還の重要な渡し場でした。江戸時代には、利根川の水運が栄えたため、布施弁天に船で参拝する人も多くいました。


写真1 竜宮城のような楼門がある布施弁天の参道です。


写真2 竜宮城、あ、間違えた、楼門への階段を抱っこで登ります。


写真3 楼門の下で一休みするメルシーおばさん。


写真4 楼門から更に、階段を登ると本堂前にでました。


写真5 本堂の入り口は、バリアフリーのためか、スロープになっています。この先は、犬は立入禁止です。


写真6 本堂の横にまわってきたメルシーおばさん。


写真7 紅龍と白蛇のキャラクタが見えます。


写真8 記念撮影用のキャラクタは、メルシーおばさんには、大きすぎました。


写真9 ママに、「何を飲んでいるの」と聞いているメルシーおばさん。


写真10 甘酒を見て考えているメルシーおばさん。


写真11 ぴんころ地蔵の案内板です。


写真12 ぴんころ地蔵の前のメルシーおばさん。


写真13 鐘楼の前のメルシーおばさん。あれ、屋根が全部写っていませんね。


写真14 撮りなおした写真です。屋根は全部入りましたが、今度は、メルシーおばさんが小さくなってしまいました。


写真15 七里ヶ渡しの方を見ると、筑波山が見えました。
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