第385話 メルシーおばさん、小町の里に行く

文字数 1,474文字

土浦市小野に小町の里があります。ここには、小野小町さんが京から奥州に下る途中で、病に倒れ、883年7月7日に、亡くなったという伝承があります。

小野小町さんは、平安時代の著名な歌人で、百人一首、六歌仙、三十六歌仙に選ばれ、絶世の美女でした。つまり、才色兼備の平安時代のスーパースターでした。

宮廷で華やかな生活を送っていた小町さんは、仕えていた天皇が崩御すると宮廷を去り、諸国放浪の旅に出ます。その後の足跡は不明です。小町さんは大変人気があったので、小野小町さんのお墓や伝承が日本各地にあります。

小町の里には、小町さんの伝承にちなんで、小野小町に関する展示がある小町の館の本館、そば打ち体験が出来る小町の館の体験館、農産物直売所(「カフェこまち」併設)、敷地内の直径7mの水車で石臼挽きにした常陸秋そばを使用する「そば処小町庵」があります。

6月初旬から中旬にはホタルを見ることもできます。

また、標高302mの朝日峠ハイキングコースの出発点として利用する人もいます。

藤が咲いているようなので、メルシーおばさんは、小町の里に行ってきました。

小町さんと三大美人

1888年に、読売新聞が、クレオパトラ7世さん、楊貴妃さん、小野小町さんを世界の三大美人に選出してから、日本では、この俗説が広まりました。この頃は、日清戦争の前だったので、国威掲揚のための記事だったと言われています。

有名な世界的美人は、トロイのヘレンでしょう。何と言っても、美人が原因で戦争になったケースは、ヘレンだけです。

日本だけで通用する世界三大美人には無理があります。無理がない日本の三大美人には、次の説があり、小町さんも健闘しています。これは、平安時代以前ですね。

(1)右大将藤原道綱母、衣通姫(そとおりひめ)、光明皇后
(2)衣通姫、小野小町、藤原道綱母
(3)染殿后(そめどののきさき、藤原明子)、小野小町、藤原道綱母

美しい犬は、美人、美犬、美人の犬などと呼ばれますが、定着した表現はありません。最近は、性差別だという批判が増えていますが、人間は、美人コンテストをします。犬のドッグショーは、犬が各犬種毎に定められた理想像(スタンダード)に近いかを審査する品評会で、美犬コンテストではありません。

平安時代には、上流貴族の間では仏教が広く信じられ、顔立ちに特徴があるのは、「前世の報い」と考えられ、没個性が美人の条件でした。この基準は、ドッグショーに似ています。平安時代の文献の美人の記述には顔立ちは書かれません。

江戸時代以降、顔立ちが美人の条件になり、鈴木春信と喜多川歌麿は、当時の三大美人の浮世絵を書いています。

つまり、顔立ちの三大美人は、小町さんや平安時代の人が想像しなかった出来事になります。


写真1 小町の里に着きました。左に、木に隠れた水車小屋、中央に藤棚が見えます。


写真2 反対側から見た水車小屋です。


写真3 水車のそばを通るメルシーおばさん。


写真4 藤棚の前のメルシーおばさん。


写真5 小町の里の中央まで進んできたメルシーおばさん。後方に藤棚と水車小屋が見えます。


写真6 パネルを使えば、メルシーおばさんも小町さんになれるかな。


写真7 小町の館の本館前です。


写真8 更に奥に進んできました。


写真9 小町の館の体験館が見えて来ました。


写真10 体験館の入り口のメルシーおばさん。


写真11 体験館の軒に、ツバメさんがいました。これから、軒下に巣をつくるようです。緑色のネットは、カラス除けです。


写真12 小町の里の一番奥まで来たメルシーおばさん。左に体験館が正面に本館が見えます。
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