第608話 メルシーおばさん、霞ヶ城公園に行く

文字数 1,609文字

二本松城(別名霞ヶ城、白旗城)は、1643年から初代二本松藩主丹羽光重公によって整備されましたが、1868年に戊辰戦争で大半の建物が消失しました。1872年に、廃城令によって残る建物も全て破棄されました。

1982年に、二階櫓・箕輪門(みのわもん)・多門櫓がコンクリートで復元されました。
1993年から1995年にかけて5億3千万円かけて、天守台と本丸石垣が整備されました。

現在、二本松城跡は、県立霞ヶ城公園(2007年国指定史跡)になっています。

公益財団法人日本城郭協会が、2017年に選定した日本100名城には、福島県からは、この二本松城と鶴が城(会津若松城)と白河小峰城が選ばれています。

霞ヶ城公園は、春は約2,500本の桜が咲き、秋は「二本松の菊人形」の会場になります。

霞ヶ城公園は、東北自動車道の二本松ICに近いアクセスの容易な便利な場所にあるので、行ってみました。

二本松市は、明治時代末期から大正時代にかけて活躍した女流洋画家の高村智恵子さんの故郷として知られています。高村智恵子さんは、夫の高村光太郎さんが書いた「智恵子抄」の登場人物として知られています。高村智恵子さんは、1911年に、平塚らいてうさんが編集した雑誌「青鞜」の創刊号の表紙を書いています。実は、パパの亡くなったおばあさんは、平塚らいてうさんに会ったことがあるそうです。ひっとしたら、おばあさんは、高村智恵子さんにも会っているかもしれませんね。

二本松城は、山城で、天守閣跡までは、正面の駐車場から、坂道を100m登る必要があります。メルシーおばさんも、100mの坂を登りました。天守台の近くで、犬を連れた女性に会いました。運動のために、毎日、天守台まで来ているという話でした。その女性は、鈴をもっていました。このあたりでは、クマは出ませんが、カモシカが出るという話でした。

ところで、天守台の直ぐ下に、駐車場(乙森駐車場)があり、測量士さんが、測量の機材を運んでいました。後で、調べたら乙森駐車場は、一般の人にも公開されています。乙森駐車場を使えば、100mの高さを10mに短縮できたのでした。


写真1 霞ヶ池です。茅葺の建物は洗心亭です。右に写っている藤のつるは、智恵子さんの生家のフジを移植したものです。


写真2 霞ヶ池の水連です。


写真3 霞ヶ池の前のメルシーおばさん。


写真4 二本松城址への登り口まできました。これから、坂を登ります。


写真5 四阿の前の広場のメルシーおばさん。


写真6 四阿の前のメルシーおばさん。


写真7 日影の井戸です。千葉県の月影の井戸、神奈川県の星影の井戸と共に日本の三大井戸と言われ、深さが16mあります。この井戸は、1400年頃に建設されています。


写真8 二段石垣が見えます。その下の草に覆われている部分は大石垣です。


写真9 大石垣の上を進むメルシーおばさん。


写真10 二段石垣の桝形虎口を登ったメルシーおばさん。


写真11 二段石垣の下段(本丸跡)まで、もう2段です。


写真12 本丸跡です。右奥に西櫓台が見えます。晴れていれば、安達太良山が見える方向です。


写真13 本丸跡のメルシーおばさん。後方に、二段石垣の上段の天守台が見えます。


写真14 二段石垣の上段を登って、天守台に着きました。ここが頂上です。


写真15 東の方向です。緑の大屋根は城山総合体育館です。


写真16 東向きのベンチの上のメルシーおばさん。


写真17 北向きのベンチの上のメルシーおばさん。


写真18 天守台で、一番高い案内版にのってみました。


写真19 クローズアップ写真です。


写真20 案内板です。


写真21 東櫓台が見えます。近づいてみます。


写真22 東櫓台のベンチの上のメルシーおばさん。これから山を降りて、箕輪門に向かいます。


写真23 二階櫓(左)・箕輪門(中央)・多門櫓(右)です。


写真24 箕輪門の前のメルシーおばさん、これで予定は終了です。

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