第637話 メルシーおばさん、飯盛山にお参りする

文字数 1,716文字

飯盛山は会津若松市にあります。

1868年8月23日、新政府軍と会津藩は、猪苗代湖近くの戸ノ口原で戊辰戦争を繰り広げます。会津藩軍の白虎隊(16から17歳)20名は敗退して、戸ノ口堰弁天洞門(長さ140m)を通って、鶴ヶ城を目指します。飯盛山北麓にある戸ノ口堰弁天洞門の出口をでると、眼下に望む会津の城下が煙に包まれていました。白虎隊20名は南麓の林の中で鶴ヶ城を望み自決しました。(1名は蘇生。)新政府の反乱軍であった白虎隊は密かに葬られていました。1890年飯盛山の中腹に、白虎隊19士のお墓が建てられました。1900年に会津の各地で戦い亡くなった31士のお墓が建てられました。1928年には、戊辰戦争で亡くなった230名の婦女子の慰霊碑が建てられました。2001年には、14歳から17歳の少年兵士の慰霊碑も建てられました。

こうして飯盛山は、戊辰戦争で亡くなった人を忍ぶ場所になり、有名な観光地になりました。

「第381話 メルシーおばさん、長禅寺三世堂に行く」では、江戸時代後期に流行した内部がさざえの形の仏堂であるさざえ堂(栄螺堂、さざいどう)あるいは、三匝堂(さんそうどう)を紹介しました。江戸時代のさざえ堂は、現在5か所に残っています。

飯盛山には、そのひとつである1796年建設の円通三匝堂があります。円通三匝堂は、唯一、上り下り独立螺旋になっています。三匝堂は無住だったことがあり、残念ながら、内部の仏像は散逸しています。

飯盛山に登るには、飯盛山スロープコンベアという動く歩道をつかうことが出来ます。ママは、スロープコンベアが大変気に入って、「第31話 犬も歩けば山寺に登る」で紹介した「山寺にも、スロープコンベアがあればよかったのに」といいました。

スロープコンベアのような坂道を使うとメルシーおばさんは、自力で登れない階段を避けることができます。今回はできるだけ、階段をさけて、飯盛山のお参りをしました。

しかし、お家に帰ってから、パパはミスに気付きました。

仲間たちとはぐれ自決せずに生き残った白虎隊の酒井峰冶さんが城へ退却途中に、飯盛山裏手で愛犬クマにあいます。階段近くにあるそのシーンを再現した銅像を今回は見逃してしまいました。犬の銅像はあまりないので、当初計画では、愛犬クマの銅像がコースにはいっていたのですが、パパは、階段を避けることに夢中になって、すっかり忘れてしまいました。






写真1 駐車場の隣の建物は、「まちの駅飯盛山」(右の自転車の上)と書かれていました。観光案内所でした。地図をもらいました。


写真2 参道の入口です。階段がずっと続いています。階段の右の屋根が飯盛山スロープコンベアです。


写真3 ママに抱っこしてスロープコンベアに乘ったメルシーおばさん。


写真4 1人でスロープコンベアに乘ったメルシーおばさん。ルートは突き当りで、右に曲がって、2本目のスロープコンベアになります。


写真5 2本目のスロープコンベアはとても長いです。


写真6 2本目のスロープコンベアの上のメルシーおばさん。


写真7 3本目のスロープコンベアを出ると広場までは、もう一息です。


写真8 広場につきました。白虎隊のお墓のエリアが見えます。


写真9 3箇所のお墓の由来が書かれた案内板です。


写真10 白虎隊のお墓です。


写真11 白虎隊のお墓の前のメルシーおばさん。


写真12 クローズアップです。


写真13 14歳から17歳の少年兵士の慰霊碑です。


写真14 左が、白虎隊の、右が、31士のお墓です。


写真15 辰戦争でなくなった婦女子の慰霊碑です。


写真16 白虎観音です。


写真17 イタリア記念碑です。


写真18 これから、山を降ります。階段の左には、スロープコンベアが見えます。


写真19 白虎隊19士の霊像が安置してある宇賀神堂です。


写真20 宇賀神堂の前のメルシーおばさん。


写真21 さざえ堂です。


写真22 さざえ堂の前のメルシーおばさん。


写真23 白虎隊がたどった道の説明版です。


写真24 白虎隊がたどった戸ノ口堰弁天洞門の出口です。トンネルには農業用水が流れています。


写真25 厳島神社です。


写真26 「会津の弁天さま伝説」の弁財天像です。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み