七十二の二 満月の私と雅と海神の玉

文字数 7,844文字

「それは駄目だよ。取り戻してデニーに渡すだけ」

 中坊な座敷わらしがきっぱり告げる。九尾弧を解放するはずない。
 前世で君の参謀だった死神が藤川匠へ言ったよ。

 絶対に開けてはいけないと。

 ゼ・カン・ユさえもだ。

「だったら思玲は帰ってこない」
 ドロテアだった女の子がうつむいてしまう。

 うなだれようが同意できない。そりゃ君は咲き誇る夏の花の魔女であり龍の弟であり、もうひとつの花咲き誇る夏が最強主と組んでようやく仕留めることができたらしき存在だとしても、尻尾が九本ある狐は次元が違う気がしなくもなくもない。

「中国では九尾狐を神格化している」
 唐突に教えてくれた。やはり別次元の存在か。
「だけど封じられているなら邪だ。だから試そう」

 大昔に封じた者がいたのなら、今の世でも可能性はある。でも逆説で考えると、その程度のキツネに死んだ者を……。
 仮にだよ、手から焼きつく光を発し素手で切り裂く君のが強くてもだ、魔除けキャラにデフォルメされてストラップとかで人気ありそうな神様を倒したら国際問題になるはずないとして、わざわざ強敵を解き放つべきでない。馬車の外の沈んだ景色から目を逸らし、黙ってうつむくだけの君の頼みだろうと。

 これだけ付き合わされれば否が応でも、俺は流れて消えた彼女達の記憶を取り戻している。それぞれが嘆き悲しんでいたことを。でも俺は出演者ではなかった。単なる観客。だからこそ主演女優に釘づけとなった。
 金髪碧眼の女子。ショートヘアのドロテア。生まれ変わる前から圧倒的美女だったドロシー。暗かったドロシー。お姉ちゃんにだけ笑みを向けた……。

「その年齢の哲人さんに、見つめながら考え込まれると気持ち悪い。頭の中では私を」
「九尾弧は解放しない。別を試そう」
「だったら私が思玲を探す。だから私を殺して。すぐに追いかけてきて」

 ドロテアだった女の子がせつない眼差しを向けてくる。いにしえに違う人生を持つ存在に気色悪さなどなく、むしろ金髪に染めてカラコン入れたらあの子に近づくかななんて……、よく見たらこの人も裸足ではないか。またも宙に浮かぶではないか。

「気味悪がらないでよ。台湾の書物に記された技法で、貪の皮を足に巻いたら消えただけ……。十一歳のときに、大陸から持ちだされた貴重な書を端から暗記しようとした。しまわれたけど、邪術の章は真っ先に読んでいた。
……感情を制御できぬ、とてつもなき力を持つ若き女性ならば可能らしい。月満ちる夜に意図せず浮かべるほどの者ならば。
小さいときにすごく悲しいことがあった。そのときに空から人間ども……人々を見おろした覚えがある。だから試してみた。妖術に頼らず空を歩けた。はやく私を殺して」

「……思玲の魂は天に向かったよ」
「だったら私達も向かおう。今度こそ君を追いかける」

 とてつもなき力を持ち感情を制御できぬ若い女性の手に、またも楊聡民の杖が現れる。それを掲げる。そして、消滅させられるぞ。

「やめ、やめろ、やめてください。藤川から珠を取り戻そう」

 意図せぬ脅しに屈したわけではない。これも導きだ。思玲のためだ。そうに決まっている。そうであって欲しい。

「急ごう。空を歩けるだけだから遅いんだ。哲人さんが引っ張って」
 とてつもなき力を持ち感情を制御できぬ若い女性すなわち魔女が俺の手を握る。
「夏奈さんと川田さんが無事でありますように。何かあったら端から消し去ろうね、フォリアム・ロータス。違った。哲人さん。私はなにも思いだしてない」

 ***

 駐屯地の一角が紫色のバリアで守られていた。

「コケコッコー!」
 その上に浮かぶコカトリスに怒られる。満月の鶏子はこんなこともできたんだ。

「遅くてごめん。これだと俺達も入れない」
 中にいる夏奈達は平気なのか?

「紫毒を吹き飛ばせばいい。噠!」
「やめろやめて! 川田に当たる!」

 座敷わらし中坊がカニ型の手を抑える。真下に巨大な穴ができる。

「さすが異形。すごい筋力。だったら私が見てくる」

 紫毒に耐性あるドロシーが突入して見えなくなる。……彼女は間違いなく人だよな。

 俺は半壊した自衛隊駐屯地の上に浮かぶ。某国のしわざに改竄されないだろうな。……まさに決戦だな。敗れたわけでないけど、あれだけいた仲間達が、俺とドロシー、夏奈と川田、忍と鶏子だけになった……。

「雅は?」
「コケ?」

 鶏子に聞くけど知らないようだ。ドロシーは生きていると根拠なく言ったけど、思玲を守って死んだかも。あの忠実な雌狼ならばそうだろう。

「折坂さんも知らない? 藤川匠は現れてないんだ」
「コケ、コケ。……コケケ?」

 鶏子が尋ねてきたことは分かる。

「……思玲は死んだよ」
「コケ……」
「でも九尾弧の珠で蘇らせるはないよね。麻卦さんも否定した」
「コケコケコケ!」

 夕方になって飼育係に思いだしてもらえたニワトリが餌箱をついばむぐらいの勢いで、鶏子が激しく首を縦に振った。……コカトリス矮小種さえ認めぬ摂理に反した行為。ゾンビにだけはしたくない。
 藤川はドロシーへの怯えを隠せなかった。奴こそ珠を開放するかも。願いはもちろん、ネジがはずれた魔女を倒せ。

「噠!!!!!」

 紫毒のドームが内側から吹っ飛ばされた。拡散される。

「げほげほげほ……」
 座敷わらしは直撃を喰らう。護符がない。肺が激痛。落下してゆく。

「ごめんなさい。自分から閉ざされちゃった。しまった、ピアスがないから祈れない。テツトちゃんがまた死んじゃう」
 そんな彼女の声が遠ざかる……。
「京さんに勾玉を返すの忘れてよかった。行くよ。私は親愛なる異形に祈ります。紫毒なんかで薄らぐ思春期座敷わらしに力を与えて」

 ドロシーが膝枕してくれた。嘘みたいにやさしい笑み。髪をさすられて眠くなってしまう。

「やばいやばい、川田さんに毒が降りそそいでいる」
 俺の後頭部をアスファルトに落とす。

 妖怪だろうと痛い。ドロシーは空でステップを踏みながら巨大狼男のもとへ向かう。

「私と夏奈さんは、川田さんの毛皮の下に潜り平気でした」
 コザクラインコを頭に乗せたジャージ女子高生がやってきた。
「まだ薄らいでいますね。私がさすりましょう。……リピドーの権化の頃の我が主。若い異形同士。ちょっと年上の私。こうして各所を触れられると劣情を抱きますか?」
 俺を抱き起こして顔を寄せてくる。誘う笑み。

「忍は自分の体をさすって回復できた」
「副作用が怖いので極力避けます。もちろん哲人様の怪我は、恐れることなく治します。腹部も」
 俺のシャツに手を入れてくるし。

 ***

「やはりこういう仕掛けでしたね」
 全裸の女子高生が男子中学生の前で微笑む。違った。ここだと本来の俺だから年下の忍。
「蛇で何度か覗きましたが、人同士ですと……いたっ」

 ***

「二度とするな」
 インコである夏奈が忍の手の甲を噛みちぎっていた。
「……思玲さん死んだよね」

「え、ああ……。遺体はハーブが台湾へ運んだ。俺は……気づきもしないで……」
 おのれの言葉にした途端、涙がこぼれてしまう。妖怪のくせに。

「哲人様は最善を尽くしましたよ」
 忍が俺の頭を抱いてくれる。

「そうだよ、ははは」夏奈が馬鹿笑いする。「九尾狐の玉だか球にお願いしよう。まんまドラゴンボール。父親が全巻持っていた。ははは」

 あれは揃えると龍が出てきたはず。だったらお前が生き返らせろ。なんて言うはずないけど、同じ意見な生まれ変わりの二人。

「危険すぎる」
「ドロテア違ったドロシーちゃんがいるだろ」
 夏奈がとてつもなき力を持つものの名をあげる。「問題は封じられた妹をボコると、霊山の石で眠る姉が来るかも。あっちはブサだけどあたいより強いなんてどうでもよくて、私は何も思いだしてない」

 青いコザクラインコより強いのか。姉妹でタッグを組まれる可能性もある……。なんでキツネ姉妹を知っている? そりゃドラゴン姉妹の姉だからだろうけど、どうせ否定するから追求しない。

「忍! 哲人さんにくっつくな! 私とチェンジしろ」
 感情を制御できぬ若い女性が騒ぎだした。

「そうですね。もはやドロシー様だと川田さんへの祈りが強烈すぎるかもしれません。瀕死を維持させるべきです」
 忍が俺の頭をやさしく地面におろす。

 俺は川田であった……一度は人に戻った巨大な獣人を見る。ややかすんで目をつむったまま。鼻息もかすか。その前に鶏子がぼーっと立っている。またシールドを張ってほしい。

「鶏子さんはハシビロコウの真似をしています」
 忍が教えてくれる。一芸できるコカトリスだったのか。
「ふふ、冗談です。ああやってエネルギーを溜めています。充填されるまで紫毒は発射できません」
 ドロシーのせいで丸出しかよ。

「白虎と折坂さんは? 藤川匠は?」
「探りにいきましょうか?」
「いや。川田をさすってあげて。目を開けられるくらい回復させよう」

 死神を瞬殺する存在がいるのだから恐れる必要ない。……陰辜諸の杖を拾いにいかないとな。藤川が持ってきてくれないかな。川田だけでも人に戻してくれないかな。

「折坂さんや白虎が静かすぎるのおかしくね?」
 夏奈が言う。「ハイランドを襲撃するかも。たくみ君は阻止するため向かったとか」

 なおも『たくみ君』。
 いにしえの龍ならFUJIYAMAを仲間と勘違いして、ボコりにいくかもね。でも俺はゼ・カン・ユでないよ。自分達のことだけで精一杯。
 そんな言葉はインコになろうと夏奈は望んでない。俺だって。

「ニョロ子、やっぱり探ってきて」
「かしこまりました」

 蛇のときの名で呼んでしまった。忍は気にすることなく姿を消す。夏奈は俺の肩に移動する。

「戻りました。暴雪は隣接するロボット工場の屋根に潜み、月を浴び回復を図っています。ちなみにこの工場は24時間フル稼働です」

 神速で教えてくれたが、そんなのがご近所にあったのか。……東京の住宅地の真ん中で、流範が墓地を壊滅させても誰も現れなかった。いまも夜の出来事のままだろうけど、被害を駐屯地以外に広げるわけにはいかない。

「暴雪はなにを狙うかな。ちなみにキム先生はもういない」
 こんな大事なことも伝え損ねていた。

「我が主を襲う筋合いが消えたなら、夏奈さんの憂慮は現実になります。今のうち瀕死にすべきでしょう。目覚めたドロシー様ならたやすいです」
 忍が怖いほど冷静に答える。
「白虎より危惧すべきは、藤川が数分後に姿を現すこと。それより先に雅殿だった狼が来ます。折坂であった人をくわえています」

「雅は生きていたんだ。私も小鳥だとたいしたことねえ。爪先で寝るだけだ、ははは」
 夏奈だった龍だったインコが馬鹿笑いするより何より。

「折坂さんが人間?」
「峻計の仕業でしょう。雅は一匹狼になってないかもしれない。この群れに加わるための手土産として運んでいるかもしれない」
「何から優先すべきかな」
 俺をじっと見つめる女軍師へ尋ねたのに。

「暴雪に決まっている」
 コザクラインコがきっぱり言う。「すごくいやな予感がしてきた」

 青龍の感だ……。

「でもおとなしくさせるだけ。そのためには力の加減が必要」
 俺は川田の上で祈りを捧げるドロシーを見あげたのに。

「まずは雅だったはぐれ狼。ついで夏奈さん。ふう」
 忍が額の汗をぬぐいながら言う。祈りや血の力で体を回復できても、疲れまでとれない。

 もはや俺は麻痺しているけど、夏奈からの龍の気配が半端ない。コザクラインコになって資質を解放させようと、こちらこそ決壊が待っている。

「夏奈は俺のおなかに隠れていよう」
 肩の小鳥へ告げたのに。

「私もようやく気配を察せられるようになった。雅ちゃんが来る」
 ドロシーの大声が聞こえた。「私達に怒っている」

「……夏奈、急いで」 
 俺は肩に手を伸ばしコザクラインコを捕らえる。白シャツにしまう。

 ***

 吐息がかかる距離に夏奈が現れる。大きな瞳で俺を見つめる。

「いきなり入れないでよ……」
 ちょっと頬を赤らめる。

 その言葉のニュアンスに、戦場であろうと想像力が膨らんでしまう。二人きりで全裸の夏奈。俺の下半身まで――

「浮気者!」
「ぐえっ」

 モーションなしで股間を膝蹴りされた。俺も全裸なのに。

「今後は一人だけ思え! 外にいる人を見ろ!」

 うずくまったままで顔を背けさせられる……。

 ***

「結界を覚えたかったな。思玲や京みたいにみんなを守れた」
 ドロシーのでかいつぶやき声が間近でした。彼女は俺のまえに立っていた。
「忍は空に逃げて。ジャンプされても届かない高さ」

サワサワサワ
サワサワサワ

 心のうちの股間の痛みを忘れてしまう。
 森の奥深くに引っこんでいた木霊どもを引き連れて、蒼き狼がやってきた。よろよろの足取り。黒い血と枯れ葉がこびりついた毛並み。足にまとう腐葉土。折坂さんの首を噛んで引きずっていた。
 折坂さんも土と葉にたかられている。忌むべきものに関われば、ただの人も木霊に襲われる。神隠しと呼ばれるらしい。……彼のシャツの腹部は血で真っ赤だ。意識なき顔は真っ白だ。もう死んでいるかも。

「連れてきてくれたんだ。……思玲は祖国へ戻った」

「私の言葉だけを聞け」
 雅が折坂さんを口から離す。ドロシーを見つめる。
「私はもとの主から海神の玉を預かっている。それを川田に使え。ドロシーの役目だ」
 続いて俺へと顔を向ける。
「だが玉は私と主をつなぐもの。手にしたものへ襲いかかる。……狂乱した私を倒すのは松本の役目だ。そして私の肝を取りだし折坂に食わせろ。それ以外に死なせぬ手立てはない」

「ドロシー様も哲人様も従ってはいけません」
 上空から忍の声がした。
「海神の玉が輝けば、川田さんは力を取り戻してしまいます。人である折坂に異形の血と肉を授けるなどもってのほか。絶命するか満月の大和獣人が現れるだけ」

「ならば私も折坂も川田も死ぬだけだ。この程度の覚悟なき輩に、白虎と藤川から守れるはずない」

 雅は俺をにらんでいる。私を殺せと訴えている。できるはずがない。

「できるはずない」ドロシーも言う。「今夜は悪しきものだけを倒す。哲人さんが台輔ちゃんを殺しちゃったけど、私のダーリンだから赦す。だけどそれが最後だ」

 雅がしゃがみこむ。前脚の爪でおのれの胸をかきむしる。……黒い血にまみれた玉が地面に転がった。
 美しかった雌狼は立ちあがる。

「どけ」雅がドロシーに告げる。「主がいなくなった今、私は座敷わらしを倒す」

「引くものか。雅ちゃんが死んじゃう」
 ドロシーは両手をひろげる。「だから座って。祈りを捧げる」

「ならば貴様から死ね」

 横たわる折坂さんを飛び越えて、雅がドロシーに飛びかかる。無防備な首めがけて。

『ドロテア!』俺のなかで夏奈が叫ぶ。龍の資質が爆発する。

「名前を間違えるな」
 俺はおのれの腹を殴る。「雅、座敷わらしはここにいる」

「松本哲人!」
 雅が押し倒したドロシーから跳躍する。
「我が主を見捨てた男!」

 俺の手に怒りの法具がある。溶けだした狼なんて敵じゃない。

『やめろ』夏奈が叫んでいる。
「やめて」ドロシーの声は弱弱しい。

 ふたつの咲き誇る夏の花。どちらの声も聞かない。雅まで死なせない。

「俺をちょっとだけ食えよ。そしたら復活する」
 俺と結ばれる人が持つ火伏せの木札。その怒りを喰らい透けていく狼を、座敷わらしは抱きとめる。
「でもおなかは避けろ。大事な人を匿っている」

 俺は美しかった蒼き狼と見つめあう。

「峻計はふたつの杖を交差させ、折坂を人に化した。私の肝を折坂に……」

「不要だ」
 ドロシーが瀕死の人のもとへ向かう。
「私が折坂に癒しを授ける」

 雅は俺の腕のなかで溶けていく。安堵した顔を見せる。
 俺を殺そうとした蒼き狼。思玲の式神になった雌狼。

「死なないで。行かないで」
 座敷わらしは涙をこらえられない。

「瑞希は無事だよな。あの子は唯一いい子だった。……海が満ち引くのは月。月の神と向き合うとき、海の神の聖なる力は満たされる。それを月に返せ。教えてくれた人がいた」

 誰を思いだしたのだろう。裂けた口に笑みをこぼしたまま、雅がいなくなる。

「雅ちゃん、届いたよ。……ありがとう。ごめんね。さようなら」

 ドロシーが折坂さんから顔を離す。唇を何度もこすり、海神の玉を拾う。立ちあがって俺を見つめる。やっぱり泣いていた。でも強い眼差し。

「これからは日本語だけで伝える。やっぱり君は一番だ。最高だ。はやく人に戻っていっぱいキスして」

 その手の赤い珊瑚が濡れたように光る。……輝いた。ドロシーが輝かせた。

「……わかった。鶏子は折坂さんを影添大社に運んであげて」

 コカトリスがコケコッコーと返事する。
 折坂さんがうっすら目を開ける。

「人になろうと獣人の記憶が残っている。人に近い異形だったからだ」
 弱弱しく言う。
「心は異形のまま……。杖は大蔵司に渡すだけにしろ」
 また目をつむる。

 ……川田は一旦人に戻ったよな。でも大蔵司は忘れなかった。つまり人のままでこっちの世界にいた。
 陰辜諸の杖で、川田の体は人になる。心と記憶は戻せない……。残酷すぎる。やらなくてよかった。やはり忌みじき杖――

 融通なき正義のあがきを感じた。

「コケ?」コカトリスの不思議がる声も聞こえた。

 脳裏に峻計のゆがんだ笑みも浮かんだ。思いだしたくもないデジャヴ……。

「鶏子、じっとしてな」
 俺は静かに告げる。

 俺だって動いてはいけない。忍も川田も。ドロシーもかもしれない。夏奈は俺のおなかだから大丈夫だろう。……いまの俺には両手がある。両方の手で首を押さえる。

「木札が弾きかえした。なにが起きたの?」
 ドロシーがつぶやく。

「ひひひ、私が教えてやる」
 榊冬華の声がした。「たったいま、私であるお前以外全員が死んだ」

 死霊。悪霊。怨霊。いずれの呼び名もふさわしい榊冬華の魂が、コカトリスの頭上に現れる。

『やめろ』夏奈が腹のなかでつぶやく。怒りを越えた悲しみ。

「獣人だった人も殺してない。そのほうが苦痛だからな」
 藤川匠の声もした。「無様な存在は去れ。貴様など従えない」

 奴へ顔を向けられない。青い刃の光は川田へと幾重も飛ぶ。

「……ひひひ、私は冥界にも行けなくなった。永遠に地上をさまようだけ」

 醜い榊冬華。その手に陰辜諸の杖が現れる。鶏子のとさかをつつく。

「コケ?」

 鶏子の頭が落ちる。

ぞわっ

 おなかの中で逆鱗を感じる。

「だめだよ」シャツの上から夏奈を抱える。「我慢しな」

 支えをなくした俺の首がぐらつく。

「みんな心を強く。くっ」
 ドロシーが正面から抱えてくれた。その背に青い光が当たるのが見えた。
「へっ、護符がある。痛いだけだ」

『鶏子も死んじゃうよ……。忍もだ。あたいをだせ!』
「夏奈さんは怒らないの!」
『まじで怒るぞ。だって川田君も死ぬ!』

 ドロシーは必死に俺を支えている。雅の死で流れたままの涙。なのに誰もが凍てつく眼差し……。彼女は俺から片手をはずす。その手で海神の玉が濡れたように輝いている。

「鶏子ちゃんもごめんね。両方とも救えない」

 玉はPKの術で川田へと飛んでいく……。

 俺は夏奈を抑えている。また青い光がドロシーの背に当たる。彼女はよろめく。それでも俺の首から手を離さない。
 鬼気迫る顔のまま間近で見つめあう二人。

「……私がみんなをもとに戻す。さすがに、もう赦せない」
 彼女は俺に顔を向けたまま、泣きながら叫ぶ。
「ゼ・カン・ユめ、震えろ! 私に怯えろ!」




次章「4.97-tune」
次回「サマー・ボラー・ブルート」
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